kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

隠された風景 死の現場を歩く 福岡賢正(南方新社)

2005-03-19 | 書籍
犬や猫を「かわいい」と育てはじめ、大きくなったり、老いると捨てる人たち。夏場の海水浴場に大型犬を連れてきてそのまま残して去る観光客。これらペットが野犬化などすると危険なため「殺処分」の「悪役」を引き受ける保健センターの職員。そういった保健センターの仕事を「むごい、かわいそう」と非難する人たちもまた犬猫を「かわいい」と言った最初の人たちと重なる。
あるいは食べきれないほどの肉をあさりながら、平気で残し捨てる私たちの食生活。その私たちは屠畜の現場にいる人を差別し、また屠畜場の建設等に反対する。鶏の頚をさっさと切り、鶏肉へと解体する作業を見て「なんてかわいそうな」と言いながら、フライドチキンを食べ散らかす。
またあるいは、家族や会社などへの「すみません」を書き連ねながら自ら命を絶つ人たち。自殺するのはその人が弱いからだと言い放つ人もいて、自殺者の家族はますます肩身が狭くなる。日本の自殺者およそ3万5千人。「世間体」を気にして「病死」で済ませる家族も多く、実態はこれより多いとも言われる。「死」を考え、その内奥に迫ることは「生」を考えることでもある。しかし、現代の私たちの日常にはあまりにも「死」が隠されてはいないか。だから「生」への想像力を欠いてはいないか。
「人を殺してみたかった」少年。ウサギを何十匹も埋め殺した者。最近ではうるさいから殴ったら動かなくなったと我が子の命を虫のように奪う親さえよく報道される。「死」があるから「生」があるのであって、日々の「死」体験は、今ある「生」を大事にしようとすることにつながらないか。
著者の福岡さんはそこまで書いてはいないが、私が代弁しよう。ペットを保健所に引き取ってとやってくる人たちに「はい、殺す道具や薬は無料でお貸ししますから、自分でしてください」と。
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