本作が文部科学省の」「特別選定作品」であることに意外であるし、少し驚いている。というのは、この作品は紛れもなくアメリカの帝国主義的政策に対する批判であるし、日本もエルサルバドルの軍事政権とは密接に結びついていたからだ。
ちょうど80年代日本が第3世界の軍事/開発独裁政権に種々肩入れし、それに対して当時の左翼勢力などが「反帝国主義」を唱え、アメリカはもちろん日本にも厳しい批判を浴びせていたときの話だ。当時エルサルバドルのことは軍事政権反対勢力であるFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)への支援(といっても具体的にはどうすることだったかわからないが)を呼びかけていた大学生のグループのチラシや、新聞等で知る程度であったが、キューバと激しく対峙していたアメリカが中米の「裏庭化」を目論み、さまざまな介入を行っていたことも知っていた。そしてニカラグアでは社会主義革命政権が誕生し、アメリカが反政府軍を支援、ホンジュラスやグァテマラへのアメリカの軍政支援などに苛立ちを覚えていたものだ(といっても、恥ずかしいが何もしなかった)。
そのエルサルバドルでの内戦下、戦場に生きる少年が12歳になれば無理矢理政府軍に入隊させられ、反政府軍掃討の片棒を担がされる直前の緊張を追った物語である。食事中に突然家に飛び込んでくる銃弾。その銃弾に倒れる隣家の少女。若い女性らは街で突然政府軍に拉致され、ゲリラ側に肩入れしたとして神父までも殺害される。
少年の初恋の少女も家ごと焼かれ、少年らも家を失う。ここには希望が一切ない。内戦はおよそ10年続き、92年には停戦が合意されるが不安な政情に変わりはない。戦場とは戦争とはそういうものだという達観を許さない現実が私たちに迫るのは少年チャバの生きる問いではない。昔のこと、遠いことだから関わりを持たないでおこう、関心を寄せないでおこうとする私たちに対し、昔のことではない、遠いことではない、関係のないことではないと突きつける痛みなのだ。
シャロン首相が瀕死の床にあってもパレスチナの民はフェンスで遮られ身動きできず、イスラエル軍に撃ち殺されるのは日常茶飯事だ。そしてイラクに派兵している日本はもはやイラク人から見れば対戦国となっている。そのイラクの民間人死者3万人。
戦争は遠いことでも昔のことでもない。ましてや日本と全く関わりがないことでもない。チャバが生きながらえたのはほんのたまたまで、いや奇跡でチャバの目前で殺された少年らのほうが多いのだ。その銃口のこちらがわにアメリカの属国たる日本の姿がある。
中米では大地主と結託し、民を貧しいまま押さえつけてきた軍事独裁政権が多く、それらに反抗する広がりの中で「解放の神学」も唱えられた。80年代ほどの激しい内戦は伝えられないが、ベネズエラやチリ、ボリビアなどアメリカと明らかに距離をおく政権が誕生している昨今、それらが「反米」色を露にしているとアメリカが考えたとき(実際にどうかは問題ではなく、それを判断するのは常にアメリカである)、またしても市民に銃口が向けられ、多くの血が流されないとも限らない。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文から)
ちょうど80年代日本が第3世界の軍事/開発独裁政権に種々肩入れし、それに対して当時の左翼勢力などが「反帝国主義」を唱え、アメリカはもちろん日本にも厳しい批判を浴びせていたときの話だ。当時エルサルバドルのことは軍事政権反対勢力であるFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)への支援(といっても具体的にはどうすることだったかわからないが)を呼びかけていた大学生のグループのチラシや、新聞等で知る程度であったが、キューバと激しく対峙していたアメリカが中米の「裏庭化」を目論み、さまざまな介入を行っていたことも知っていた。そしてニカラグアでは社会主義革命政権が誕生し、アメリカが反政府軍を支援、ホンジュラスやグァテマラへのアメリカの軍政支援などに苛立ちを覚えていたものだ(といっても、恥ずかしいが何もしなかった)。
そのエルサルバドルでの内戦下、戦場に生きる少年が12歳になれば無理矢理政府軍に入隊させられ、反政府軍掃討の片棒を担がされる直前の緊張を追った物語である。食事中に突然家に飛び込んでくる銃弾。その銃弾に倒れる隣家の少女。若い女性らは街で突然政府軍に拉致され、ゲリラ側に肩入れしたとして神父までも殺害される。
少年の初恋の少女も家ごと焼かれ、少年らも家を失う。ここには希望が一切ない。内戦はおよそ10年続き、92年には停戦が合意されるが不安な政情に変わりはない。戦場とは戦争とはそういうものだという達観を許さない現実が私たちに迫るのは少年チャバの生きる問いではない。昔のこと、遠いことだから関わりを持たないでおこう、関心を寄せないでおこうとする私たちに対し、昔のことではない、遠いことではない、関係のないことではないと突きつける痛みなのだ。
シャロン首相が瀕死の床にあってもパレスチナの民はフェンスで遮られ身動きできず、イスラエル軍に撃ち殺されるのは日常茶飯事だ。そしてイラクに派兵している日本はもはやイラク人から見れば対戦国となっている。そのイラクの民間人死者3万人。
戦争は遠いことでも昔のことでもない。ましてや日本と全く関わりがないことでもない。チャバが生きながらえたのはほんのたまたまで、いや奇跡でチャバの目前で殺された少年らのほうが多いのだ。その銃口のこちらがわにアメリカの属国たる日本の姿がある。
中米では大地主と結託し、民を貧しいまま押さえつけてきた軍事独裁政権が多く、それらに反抗する広がりの中で「解放の神学」も唱えられた。80年代ほどの激しい内戦は伝えられないが、ベネズエラやチリ、ボリビアなどアメリカと明らかに距離をおく政権が誕生している昨今、それらが「反米」色を露にしているとアメリカが考えたとき(実際にどうかは問題ではなく、それを判断するのは常にアメリカである)、またしても市民に銃口が向けられ、多くの血が流されないとも限らない。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文から)