セクシュアル・マイノリティに対する無理解、誤解、偏見は相当なものがある。イギリスではエルトン・ジョンが同性婚を選択し、それが法律上も認められたオランダや法律上の結婚は認められていないが、相続などで異性間結婚と同等の権利を認めたフランスなどに遅れている日本。ましてや、20年前それもアメリカ南西部のカウボーイ文化の強い地域ではなおさらのこと。
ただ、性指向と性自認は同じではないし、主人公の2人は結婚し、子どもももうけていることからバイセクシュアルとも言え、また、明るく積極的なジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)は同性愛指向も強いが、寡黙で押さえた雰囲気のイニス・デルマー(ヒース・レンジャー)はジャック以外の男性は求めない。イニスは子どもの頃、自分の父親の手によって殺された同性愛者(かどうか定かではないが、男性同士で牧場をしていた一人であり、妻を娶らない男性など論外であった)の凄まじい死体(ペニスに紐をくくり付けられ、引き回されたリンチ後の)を見せられそれがトラウマとなってジャックを愛してしまう自分自身を受容できないでいる。そしてマチズモの席巻するテキサスやワイオミングといった超保守的な地域で同性愛者が受け入れられるはずもなく、現にジャックはホモフォビア(同性愛嫌悪)の暴徒の手によって殺されてしまう。
しかし、この映画は単純な同性愛映画ではない。「ウェディング・バンケット」でもホモセクシュアルの主人公がそれを父親に隠すため、偽装結婚をはかり、それらに気付く家族と本人の苦悩を描いてみせたアン・リーは本作でアカデミー監督賞を受賞した。そう、同性愛を隠して生きる本人もつらいが、それに気付き受け入れられない家族もつらいのだ。イニスの妻、アルマや子どもも殺されたジャックの両親も。そして台湾出身、アメリカに移住したリーは、その微妙な関係、心の機微を描くのがとてもうまい。そして背景には雄大かつ美しいい山々。
ブロークバック・マウンテンというのは実在しないそうだが、莫大な数の羊を追う峰峰は本当にありそうで、そこで芽生えた愛もまた本物だ。純粋であればるほど「愛情」といったものは社会と衝突することもあるし、その桎梏の第1歩が親や家族である。そして親や家族、友人が受け入れないということは社会や世間が受け入れないということだ。しかし同性愛に限らず社会的少数派に対し「それは世間が許さない」という言辞は、それを言った人自身が許さないということであるのだということが本質である。
アメリカでは「ボーイズ ドント クライ」というヘイトクライムを扱ったよい作品もあった。「ボーイズ…」は実在の事件を模したものだが、ヘイトクライムが殺人にまで及ぶのがアメリカらしい。受容できるかできないかをまず話し合うという姿勢が冒頭にあげたヨーロッパ各国より弱いのだろう。そして市民社会に蔓延するガン。アメリカの病理はまだ続く。
ただ、性指向と性自認は同じではないし、主人公の2人は結婚し、子どもももうけていることからバイセクシュアルとも言え、また、明るく積極的なジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)は同性愛指向も強いが、寡黙で押さえた雰囲気のイニス・デルマー(ヒース・レンジャー)はジャック以外の男性は求めない。イニスは子どもの頃、自分の父親の手によって殺された同性愛者(かどうか定かではないが、男性同士で牧場をしていた一人であり、妻を娶らない男性など論外であった)の凄まじい死体(ペニスに紐をくくり付けられ、引き回されたリンチ後の)を見せられそれがトラウマとなってジャックを愛してしまう自分自身を受容できないでいる。そしてマチズモの席巻するテキサスやワイオミングといった超保守的な地域で同性愛者が受け入れられるはずもなく、現にジャックはホモフォビア(同性愛嫌悪)の暴徒の手によって殺されてしまう。
しかし、この映画は単純な同性愛映画ではない。「ウェディング・バンケット」でもホモセクシュアルの主人公がそれを父親に隠すため、偽装結婚をはかり、それらに気付く家族と本人の苦悩を描いてみせたアン・リーは本作でアカデミー監督賞を受賞した。そう、同性愛を隠して生きる本人もつらいが、それに気付き受け入れられない家族もつらいのだ。イニスの妻、アルマや子どもも殺されたジャックの両親も。そして台湾出身、アメリカに移住したリーは、その微妙な関係、心の機微を描くのがとてもうまい。そして背景には雄大かつ美しいい山々。
ブロークバック・マウンテンというのは実在しないそうだが、莫大な数の羊を追う峰峰は本当にありそうで、そこで芽生えた愛もまた本物だ。純粋であればるほど「愛情」といったものは社会と衝突することもあるし、その桎梏の第1歩が親や家族である。そして親や家族、友人が受け入れないということは社会や世間が受け入れないということだ。しかし同性愛に限らず社会的少数派に対し「それは世間が許さない」という言辞は、それを言った人自身が許さないということであるのだということが本質である。
アメリカでは「ボーイズ ドント クライ」というヘイトクライムを扱ったよい作品もあった。「ボーイズ…」は実在の事件を模したものだが、ヘイトクライムが殺人にまで及ぶのがアメリカらしい。受容できるかできないかをまず話し合うという姿勢が冒頭にあげたヨーロッパ各国より弱いのだろう。そして市民社会に蔓延するガン。アメリカの病理はまだ続く。