スイスはローザンヌと言えば、バレエで有名だが、ここには世界的にも珍しいアール・ブリュット美術館がある。アール・ブリュットとはフランス語で「生の芸術」。精神障がい者芸術を積極的に紹介したジャン・デュビュッフェが名付けたとされる。「生の」とは、正式な美術教育を受けていない、あるいは、感性からほとばしる程度の意味である。デュビュッフェが障がい者芸術に出会い、その作風を大きく変容させていった以前は比較的分かりやすい具象画を描いていた。しかし、障がい者芸術に出会ってから、そのアンフォルメぶりはとてつもなく発展、後にウルループという曲線と赤、青、白の組み合わせの不思議なフォルムが展開されていった。
デュビュッフェを長々と紹介したのは、ニキフォルについて何も知らなかったこと、ニキフォルがデュビュッフェとは反対に徹底的に具象であったことを示すためである。アール・ブリュット美術館には日本の障がい者アートも数多く展示されていて、そのどれもがとても緻密で色鮮やかである。それらを想起させつつ、かつ、ポーランドというカソリックの強い社会でイコンのような肖像画など宗教画をそれこそ、数万点も描いた(ニキフォルの生涯描いた作品で残っているのが4万点と言われる)奇才の姿と彼を支えた人物を描いたのが本作である。
ニキフォルを演じたのが80を越えるポーランドの国民的女優のクリスティーナ・フェルドマンでその迫力と孤高の画家ぶりには圧倒される。ニキフォルはマリアン・ヴォシンスキという才能のない画家兼公務員に支えられたから後世に残った。晩年になってニキフォルはヨーロッパで認められるが、もしマリアンがいなければもっと早く亡くなっていたかもしれないし、作品が残ることもなかったかもしれない。今や、ニキフォルの作品はオークションでもっとも高値がつく画家の一人だというから驚きだ。そして忘れてはならないのは、社会主義下のポーランドで医療費はおそらく無料あるいは低廉、マリアンを支える友人の医師らの姿、ニキフォルの世話のために転職するマリアンなど弱肉競争主義ではない社会故に救われた部分もあるということだ。
道ばたで観光客相手に絵を売ってなかば浮浪者のような生活であったニキフォルが描く絵はとても鮮やかで表情豊かである。それはやはりニキフォルの観察眼によるところが大きいであろうし、絵を描く以外になにも興味がなかったからであろう。そしてそのような偏った人間を支えたマリアン。
ニキフォルはこれから日本でもどんどん紹介されるであろうが、その色遣いにはアール・ブリュットの資質が、独特のフォルムはマレーヴィッチの雰囲気が漂い、お気に入りの一人になりそうである。ただし、映画は1960年代のポーランドの田舎を描いた割には時代考証が甘いような気がした。
デュビュッフェを長々と紹介したのは、ニキフォルについて何も知らなかったこと、ニキフォルがデュビュッフェとは反対に徹底的に具象であったことを示すためである。アール・ブリュット美術館には日本の障がい者アートも数多く展示されていて、そのどれもがとても緻密で色鮮やかである。それらを想起させつつ、かつ、ポーランドというカソリックの強い社会でイコンのような肖像画など宗教画をそれこそ、数万点も描いた(ニキフォルの生涯描いた作品で残っているのが4万点と言われる)奇才の姿と彼を支えた人物を描いたのが本作である。
ニキフォルを演じたのが80を越えるポーランドの国民的女優のクリスティーナ・フェルドマンでその迫力と孤高の画家ぶりには圧倒される。ニキフォルはマリアン・ヴォシンスキという才能のない画家兼公務員に支えられたから後世に残った。晩年になってニキフォルはヨーロッパで認められるが、もしマリアンがいなければもっと早く亡くなっていたかもしれないし、作品が残ることもなかったかもしれない。今や、ニキフォルの作品はオークションでもっとも高値がつく画家の一人だというから驚きだ。そして忘れてはならないのは、社会主義下のポーランドで医療費はおそらく無料あるいは低廉、マリアンを支える友人の医師らの姿、ニキフォルの世話のために転職するマリアンなど弱肉競争主義ではない社会故に救われた部分もあるということだ。
道ばたで観光客相手に絵を売ってなかば浮浪者のような生活であったニキフォルが描く絵はとても鮮やかで表情豊かである。それはやはりニキフォルの観察眼によるところが大きいであろうし、絵を描く以外になにも興味がなかったからであろう。そしてそのような偏った人間を支えたマリアン。
ニキフォルはこれから日本でもどんどん紹介されるであろうが、その色遣いにはアール・ブリュットの資質が、独特のフォルムはマレーヴィッチの雰囲気が漂い、お気に入りの一人になりそうである。ただし、映画は1960年代のポーランドの田舎を描いた割には時代考証が甘いような気がした。