徐京植さんの美術関係著作はたいがい読んでいるが、徐さんの発掘でフェリックス・ヌスバウムという名も知ったし、オットー・ディックスの「戦争祭壇画」やエミール・ノルデの「描かれざる絵」のことも知ることができた。徐さんは、ナチスドイツにより迫害された画家のみならずアウシュビッツから生還した医師にも目を向け、その足跡と思念を丹念に追跡してもいる(『プリーモ・レーヴィへの旅』1999年)。その医師プリーモ・レーヴィの追跡とナチスに迫害された上記画家を取り上げたテレビ番組をヒントに筆者も小文をしたためたことがある(「プリーモ・レーヴィへの旅」への旅)。かなり「ええかっこ」した小論であったが、その小文をしたためることによって、3人の画家のことやその3人をしつこく追いかけた徐さんの思いを少しでも知ることができた。
徐さんの美術エッセーの表題はディックスの言葉「肖像画家というものは、すぐに各々の顔に隠れた美点や欠点を読み出し、それを絵画に表現する偉大な人相学者であるといつも思われがちだ。それは文学的な考えだ。画家は「判断」せず「直視」する。私のモットーは「汝の目を信じよ!」である。」からとっている。ディックスの肖像画は対象の醜い面、いや、ディックスに言わせれば対象を「直視」した結果、を描いていて「美しく」はないのだろう。その美しくなさがナチスの逆鱗に触れた。美術はアーリア人の優位を示すとともに、ドイツの理想を描かなければならないとしたナチス思想と相反する美術作品は放逐されたのだ。
徐さんは、ナチスにより「退廃芸術」のレッテルを張られた美術作品を繰り返し、追いかける。その中に、ノルデ、キルヒナー、マルクらドイツ表現主義、ディックス、ベックマンらの新即物主義、そしてヌスバスムらユダヤ人美術が含まれている。2度の世界大戦に従軍したディックスは反ナチスであったわけではない。それどころかナチス党員でもあった。しかし、売春婦を好んで描き、戦争の悲惨な実相を描き続けたディックスを監視し、迫害し、時には逮捕した。海外亡命の道もあったが、ディックスはその道を選ばず、ドイツ国内にとどまり続け「風景への亡命」(徐さん)をしたのである。
戦後東ドイツからはドイツにとどまり続けながらナチスに抗した作品を描いた画家として、西ドイツからは抽象表現主義後の具象芸術を貫いた画家として、両ドイツから評価、賞賛されている。しかし、徐さんの言うようにディックスはそんな評価がほしかったのではもちろんなく、自分の見たままをそのまま、時に醜悪に見える様を描いたにすぎず、また、ディックス自身がそれを己の仕事と達観していたふしさえある。
本書は、ディックス以外に忘れ去られた画家、ヌスバウムを辿る章、虐殺とアートをめぐる記憶の仕方に言及した章、そして、ゴッホの画力に改めて驚かされる対談(画家矢野静明氏との対談)も収めていて必読である。
以前、ドレスデンを訪れたことがあるが、州立美術館の旧館(アルテ・マイスター)を訪れただけでディックスの「戦争祭壇画」がある新館には行くことができなかった。とても残念である。
徐さんの美術エッセーの表題はディックスの言葉「肖像画家というものは、すぐに各々の顔に隠れた美点や欠点を読み出し、それを絵画に表現する偉大な人相学者であるといつも思われがちだ。それは文学的な考えだ。画家は「判断」せず「直視」する。私のモットーは「汝の目を信じよ!」である。」からとっている。ディックスの肖像画は対象の醜い面、いや、ディックスに言わせれば対象を「直視」した結果、を描いていて「美しく」はないのだろう。その美しくなさがナチスの逆鱗に触れた。美術はアーリア人の優位を示すとともに、ドイツの理想を描かなければならないとしたナチス思想と相反する美術作品は放逐されたのだ。
徐さんは、ナチスにより「退廃芸術」のレッテルを張られた美術作品を繰り返し、追いかける。その中に、ノルデ、キルヒナー、マルクらドイツ表現主義、ディックス、ベックマンらの新即物主義、そしてヌスバスムらユダヤ人美術が含まれている。2度の世界大戦に従軍したディックスは反ナチスであったわけではない。それどころかナチス党員でもあった。しかし、売春婦を好んで描き、戦争の悲惨な実相を描き続けたディックスを監視し、迫害し、時には逮捕した。海外亡命の道もあったが、ディックスはその道を選ばず、ドイツ国内にとどまり続け「風景への亡命」(徐さん)をしたのである。
戦後東ドイツからはドイツにとどまり続けながらナチスに抗した作品を描いた画家として、西ドイツからは抽象表現主義後の具象芸術を貫いた画家として、両ドイツから評価、賞賛されている。しかし、徐さんの言うようにディックスはそんな評価がほしかったのではもちろんなく、自分の見たままをそのまま、時に醜悪に見える様を描いたにすぎず、また、ディックス自身がそれを己の仕事と達観していたふしさえある。
本書は、ディックス以外に忘れ去られた画家、ヌスバウムを辿る章、虐殺とアートをめぐる記憶の仕方に言及した章、そして、ゴッホの画力に改めて驚かされる対談(画家矢野静明氏との対談)も収めていて必読である。
以前、ドレスデンを訪れたことがあるが、州立美術館の旧館(アルテ・マイスター)を訪れただけでディックスの「戦争祭壇画」がある新館には行くことができなかった。とても残念である。