kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ひとりだからこそつながれる    クレアモントホテル

2011-01-29 | 映画
イギリスでデイムの称号と言えば、ハリポタはマクゴナガル先生のマギー・スミスとか007シリーズのM役、ジュディ・ディンチなど数少ないと勝手に思っていたが、結構授与されているようだ。日本の叙勲制度と同じで、天皇(国王)から授与されることを潔しとしない人はもらわないし(ジョン・レノンは返上)、そもそも候補対象に上がらないだろう。その点、やはり王国だなと感じさせるデイム(男性の場合はナイト)は、映画・演劇といった芸能界でも名をあげた人は喜んで戴くようだ。何よりも名誉であるし、そうはいっても誰でも授与されるものではないからだ。
解説の佐藤忠男が「恥ずかしながらあまり記憶がない」女優と白状されているくらいだから、筆者も全然知らない人であった。ジョーン・プロウライト。デイムの称号を持ち、あの故ローレンス・オリヴィエ夫人であり、数々の賞にノミネートされているという。英国ヴェテラン俳優の常で舞台出身。このプロウライトがとにかくすばらしい。賢くてウイットに富んでいて、それでいてやさしい。
パルフリー夫人は、口うるさい娘から逃れたいとの思いもあり、一人クレアモントホテルへ。長期滞在型ホテルの住人?は他人の詮索好き、話題も狭く、アメリカのトレンドドラマを夕食後皆で観るという変なルールもある。期待外れのホテル生活にうんざりしているとき、図書館の帰りに転んで青年に助けられる。小説家をめざす貧乏青年を孫と偽って、ホテルの住人らに紹介するが、いつかそれが本当の孫、いや、孫という生来の肉親関係を超えた信頼関係を持つようになり…。
人間はひとりで生まれ、ひとりで逝く。「ひとり」には「一人」もあるが「独り」もある。パルフリー夫人は若くして最愛の夫アーサーを失くし、家族のために働いてきたが、母子家庭のつらさ故か、娘はかなり厳しい雰囲気。一人でゆるりと過ごしたいと選んだクレアモントホテルはプライバシーのない狭い空間。勘違いした紳士がプロポーズしてきたり、孫の仔細を嗅ぎまわってみたり。けれど、人生の多くは、プライベートとパブリックの均衡をどう計るか?に費やされるといえばそうである。ましてや、ラテンのような情熱型ではなく、天候不順のブリテンの地となれば、余計に他者との距離の計り方に腐心する人生ではあるまいか。
話は変わるが、ジェンダー論、フェミニズム研究等専門の伊田広行さんが、昔、シングルの社会的重要性を述べる中で「ひとりだからこそつながれる。ひとりであるから仲間を求める」みたいなことをおっしゃっていて、社会の仕組みが家族単位で構成される日本のあり方をシングル単位で考えようという意欲的な問題提起として喝采したことを覚えている。伊田さんのシングル論は、当時、日本の非正規雇用が、あまりにも正規雇用と差別されている中で社会をシングル単位で考えることによってそのようなあからさまな差別にノーという明確なテーゼと捉えることができた。
パルフリー夫人は社会的地位、名誉、財産のない青年との交流ではじめて「ひとり」を楽しめたという逆説は、人と人のつながりはそういう外形的な条件ではないという作者の意図を見事に描き出し、そして、そのつながりにも訣れが来る必然を、さわやかに伝えている。
あんな老人でいたいという思いは、本作を見た多くの人の思いではないだろうか。それにしてもだ。いないはずはないのに、ひとりで素敵な男性の老人を描いた作品は女性のそれに比べてとても少ないように思える。イギリス、日本を問わず、現実を反映しているのだろうか。
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