kenroのミニコミ

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リーメンシュナイダーを巡る旅 2012ドイツ旅行記⑤

2012-10-03 | 美術
ロマンチック街道を抜けている間はフランケンワインの名勝地ということもあり、ビールよりワインという感じであったが、ミュンヘンはウインナソーセージとビール! 残念ながら、ミュンヘンは一泊なので、料理よりバイエルン・ナショナル博物館が第一の目的。以前訪れたときにはリーメンシュナイダーのことを知らなかったので、アルテ・ピナコテークなどミュンヘン美術館街をまわっただけだった。
バイエルン・N博物館は、ミュンヘンを訪れた日本人をはじめおそらく観光客は訪れないところ。市の中心街マリエンプラッツからも少し離れていて(本当に少しだが)、 そこに足を延ばす人はいないだろう場所。ところが、これがすごい! ヨーロッパの美術館は日本人にはあまり知られていない、人気のないところでもかなりの規模であり油断ならないところが多い。バイエルン・N博物館も例外ではない。最初入った旧館とおぼしきところはリーメンシュナイダーもたった一点で、10分ほどでまわれる小さな規模。ところが、入口がすぐには分からなかった隣の本館か新館はとてつもない広さ。そこに陳列されている中世彫刻は、リーメンシュナイダーでなくとも魅入られる。15世紀末から16世紀初頭に活躍したリーメンシュナイダーをはるかにしのぐ古さ。13世紀、12世紀まである。木彫のキリスト像などはもちろん稚拙だが、何とも言えない雰囲気がある。それは、文字の読めない、印刷技術のなかった時代にいかに人々にキリスト教を教え広めようとしたか、教会や修道院などの壁に絵を描いた布教の苦難を彷彿とさせる。もちろん、現代まで残存している12世紀のキリスト像は民衆のために彫られ、日常の信仰の対象となったものではないだろう。そうであればとっくに朽ち落ちているか、略奪や薪の糧にされていてこのような完全な形で残っているとは思えないからだ。
とまれ、信仰が絶対であった時代の苦難のキリスト像はやはり美しい。おそらくは14世紀あるいはルネサンス以降、キリスト像とはこうあるべきという規範=それは、痩せこけた表情にとどまらない、磔刑にさらされる全身苦悩の、それでいてきれいな身体という決まり事=に至る中世彫刻の一つの変遷が見て取れるからである。リーメンシュナイダーと違わない時代に生きたデューラーが、自身の肖像画を後世のキリスト像として定着させたとき、キリスト像はすでに民衆の中に固定されていたのである。そこにいたる民の思うキリスト像が確立されていくのが12世紀頃までとするならば、リーメンシュナイダーの仕事は、定着したキリスト(像や他の聖人ら)の完成形を日々教会に集う信者(この時代、キリスト教信仰のない村人など考えられない)に対し、さらにその峻厳さゆえに信仰を深める役割を果たしたことは想像にかたくない。
バイエルン・N博物館でリーメンシュナイダー作品といえばやはり「天使に支えられる聖マグダレーナ」であろう。マグダレーナはもちろんマグラダのマリアのこと。「遊び女」すなわち娼婦から「悔い改め」、信仰に生き、磔刑後のキリスト復活に居合わせたというマグラダのマリアは、キリスト教美術の中でおそらくキリストの母マリアの次に描かれた女性。バイエルン・Nのそれは「神は一糸まとわぬ聖女のために毛髪(あるいは毛)でその身をおおわしめた」(植田重雄『リーメンシュナイダーの世界』)。古さと経年劣化の故か毛髪にも毛皮にも見えないマグダレーナ像は、その縮れ様がグロテスクで筆者は少し苦手である。しかし、この細かな襞を彫り上げたリーメンシュナイダーの技量には感嘆せざるを得ない。この繊細な襞一つひとつによって、15世紀の民はマグダレーナの物語を深く心に刻んでいったのであろうから。(聖ニクラウス バイエルン・ナショナル博物館)
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