ロマンチック街道の終点フュッセンにたどり着く前に世界遺産ヴィース教会に寄った。18世紀初頭農婦が譲り受けたキリスト像が突然涙を流したという奇跡を聞きつけて巡礼者が押し寄せたため、小さな教会がバロック形式のフレスコ天井画を擁した教会に生まれ変わったというもの。
主祭壇の「鞭打たれるキリスト像」は美術作品としては特に見るべきものはない。まあ、キリスト教の奇跡にまつわる聖像は、そのほとんどが美術的価値よりその「奇跡」そのものが重要で、多くは名もない農夫などが貰い受け、あるいは、捨て置かれたものを大事にしたためなどとの謂れがある。そしてキリスト像あるいはマリア像から流れる涙。それ以前に聖母マリアが現れたり、病気が癒されたり。
現在では多くの巡礼者を誘う聖地となっているところばかりで、有名なのはフランスのルルド。ルルドはいつかは行ってみたいと思っているが、筆者は「聖地」の謂れそのものよりも教会建築の方が興味があるので、ヴィース教会の天井画には圧倒された。複雑な天井画はバルコニーから下を覗きこむ天使など天空にのびる奥行きが感じられるが、実はこれが騙し絵。精巧な筆致はフレスコ画の画法がきわめて困難をきわめたことを忘れさせるほど見とれてしまう。そして、バロックはこれでなくてはと思わせるのがまたいい。大げささと繊細さと。遠く時間をかけて訪れる価値の多い場所だけに観光客も大勢いた。
フュッセンを目指したのはガラでもなく、ノイシュヴァンシュタイン城を訪れるため。シンデレラ城のモデルとなったところなど、およそ筆者にはふさわしくないが、オーストリアとの国境付近の山に壮麗なお城を建てたのはバイエルン国王ルートヴィッヒ2世。ルートヴィッヒはバイエルンの地に次々に美しい城を擁するが、城で過ごした期間はとても短いらしい。施政より耽美に生きたルートヴィッヒの遺産は、その謎の死後すぐに押し寄せた観光客によって、城が後々まで大事にされた費用をも生み出したことだろう。しかし、時代はドイツが膨大な戦後補償を余儀なくされた第1次世界大戦がはじまる前、19世紀も末のことであった。
フュッセンは、ノイシュヴァンシュタイン城の玄関口以上の特徴がある街ではない。着いたのが夕方近かったため、歩いていける博物館やらも結局行かなかったが、街自体はこじんまりしているものの商店街はそれなりのにぎわいを見せ、ドイツはどこでもそうだが清潔な感じだ。ここまで来ると観光客も、ロマンチック街道自体がそうかもしれないが、西洋人の富裕な年配層が多そう。
翌日ホーエンシュヴァンガウ城、ノイシュヴァンシュタイン城そしてリンダーホーフ城と回ったが、前日とうって変わって、一日中雨で寒いのなんの。コートが手放せなくなった。ドイツの9月は普通は寒いもの、ヴュルツブルクやローテンブルクが異常だったということ。雨で運転にも慎重に、リンダーホーフ城が思いのほか遠かったこともあり、十分過ごすことはできなかったが、リンダーホーフ城は庭も立派で天気がよければ半日ぶらぶらしたくなるところ。ノイシュヴァンシュタイン城など山城はどうしても庭がさびしい。ヴェルサイユをはじめ平城の魅力は庭にある。まだまだ知らない宮殿、お城をいっぱい訪れたいものだ。この日はリーメンシュナイダーには出会わず仕舞だったが、目指すはドイツ3番目の都会ミュンヘン。疲れるドライブも終わりだ。明日はバイエルン博物館のリーメンシュナイダーに会いに行こう。(ヴィース教会)
主祭壇の「鞭打たれるキリスト像」は美術作品としては特に見るべきものはない。まあ、キリスト教の奇跡にまつわる聖像は、そのほとんどが美術的価値よりその「奇跡」そのものが重要で、多くは名もない農夫などが貰い受け、あるいは、捨て置かれたものを大事にしたためなどとの謂れがある。そしてキリスト像あるいはマリア像から流れる涙。それ以前に聖母マリアが現れたり、病気が癒されたり。
現在では多くの巡礼者を誘う聖地となっているところばかりで、有名なのはフランスのルルド。ルルドはいつかは行ってみたいと思っているが、筆者は「聖地」の謂れそのものよりも教会建築の方が興味があるので、ヴィース教会の天井画には圧倒された。複雑な天井画はバルコニーから下を覗きこむ天使など天空にのびる奥行きが感じられるが、実はこれが騙し絵。精巧な筆致はフレスコ画の画法がきわめて困難をきわめたことを忘れさせるほど見とれてしまう。そして、バロックはこれでなくてはと思わせるのがまたいい。大げささと繊細さと。遠く時間をかけて訪れる価値の多い場所だけに観光客も大勢いた。
フュッセンを目指したのはガラでもなく、ノイシュヴァンシュタイン城を訪れるため。シンデレラ城のモデルとなったところなど、およそ筆者にはふさわしくないが、オーストリアとの国境付近の山に壮麗なお城を建てたのはバイエルン国王ルートヴィッヒ2世。ルートヴィッヒはバイエルンの地に次々に美しい城を擁するが、城で過ごした期間はとても短いらしい。施政より耽美に生きたルートヴィッヒの遺産は、その謎の死後すぐに押し寄せた観光客によって、城が後々まで大事にされた費用をも生み出したことだろう。しかし、時代はドイツが膨大な戦後補償を余儀なくされた第1次世界大戦がはじまる前、19世紀も末のことであった。
フュッセンは、ノイシュヴァンシュタイン城の玄関口以上の特徴がある街ではない。着いたのが夕方近かったため、歩いていける博物館やらも結局行かなかったが、街自体はこじんまりしているものの商店街はそれなりのにぎわいを見せ、ドイツはどこでもそうだが清潔な感じだ。ここまで来ると観光客も、ロマンチック街道自体がそうかもしれないが、西洋人の富裕な年配層が多そう。
翌日ホーエンシュヴァンガウ城、ノイシュヴァンシュタイン城そしてリンダーホーフ城と回ったが、前日とうって変わって、一日中雨で寒いのなんの。コートが手放せなくなった。ドイツの9月は普通は寒いもの、ヴュルツブルクやローテンブルクが異常だったということ。雨で運転にも慎重に、リンダーホーフ城が思いのほか遠かったこともあり、十分過ごすことはできなかったが、リンダーホーフ城は庭も立派で天気がよければ半日ぶらぶらしたくなるところ。ノイシュヴァンシュタイン城など山城はどうしても庭がさびしい。ヴェルサイユをはじめ平城の魅力は庭にある。まだまだ知らない宮殿、お城をいっぱい訪れたいものだ。この日はリーメンシュナイダーには出会わず仕舞だったが、目指すはドイツ3番目の都会ミュンヘン。疲れるドライブも終わりだ。明日はバイエルン博物館のリーメンシュナイダーに会いに行こう。(ヴィース教会)