旅の終わりはベルリンである。ドイツの首都、最大の都市、現代美術のメッカという呼称はさておき、今回の目当ては10年間も改修で閉館していたボーデ美術館(博物館)である。旧東ベルリンに位置する世界遺産「博物館島」。その一角を占めるボーデ美術館は、初代キュレーターの名前を冠したそうであるが、一介の旅人にとっては、名前の由来より立派な建物の由来こそ惹かれる。ボーデ博物館の建物が完成したのは1904年。ヨーロッパの美術館は古い建物が多いが、博物館島は、これでもかというくらいに荘厳な美術館が並び、その中でボーデはひときわ美しい。というのは他の建物は規模や重厚さでボーデを凌ぐが、ボーデの曲線はちょうどシュプレー川の中州のとがった部分にあわせて三角形の、それでいて先端は丸みを帯びた優美な姿であるからだ。10年以上前、はじめてベルリンを訪れた時、ボーデは改修中で先端の丸い建物に沿って建築用の足場とシートがかけられていたのを覚えている。いつになったら見られるのだろうかと。
中世彫刻、ビザンチン美術、北方ルネサンス…。感嘆のコレクション。そしてリーメンシュナイダーの彫刻群。筆者にリーメンシュナイダーの魅力を教えて下さった福田緑さんは(本ブログ 2012ドイツ旅行記①参照
http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/dbe0a1c74ebe850888aa77534c34a862)ボーデの「福音史家ヨハネ」をお気に入りの作品とあげていらっしゃるが、全面的に賛同する。福音史家ヨハネは四使徒像(他にマタイ、マルコ、ルカ)の一体だが、ヨハネにまつわるおはなし=優おとこ!の美形であること、どこか線が弱く、繊細に見えること、若かったこともありイエスにこよなく可愛がられていたことなど=をあますところなく表現しているように見える。そして、ヨハネにかぎらないが、リーメンシュナイダーに特徴的などこか、愁いを帯びた表情は、後のキリスト教の数多い受難を物語っているようにも見え、ヨハネによる「黙示録」で最後はユダヤ(教)に打ち勝ち、エルサレムの地を全うしたと言えど、現代的にうがった見方をすればこのエルサレムの争奪戦こそヨハネの愁いの本質であったのではなどと余計な想像力をはたらかせてしまうほど、深い感慨をもたらすのである。
ボーデにはリーメンシュナイダーにしては可愛らしく、聖人が登場しない「歌い、演奏する天使」もある。おそらくは、祭壇や聖壇の一部としての拵えられたものかもしれないが、独立の作品としても好もしい。ほかにも勇壮な「竜と闘う聖ゲオルグ」など、ある意味、ヴュルツブルクのマインフランケン博物館やミュンヘンのバイエルン国立美術館など聖像が多いのに比べると、聖像はもちろん、その周辺・民衆の姿を彫りこんだ作品も多く、リーメンシュナイダーを巡る旅の最後にふさわしく、さまざまなリーメンシュナイダー作品に出会えて本当に幸せである(2012年9月現在、「歌い、演奏する天使」も「竜と戦う聖ゲオルグ」も日本で展示中ある=福田緑氏(http://www.geocities.jp/midfk4915/h_georg.html))。もちろん、リーメンシュナイダーの真骨頂は聖壇であると思うし、ヘルゴット教会でマリア祭壇との出会いに電撃が走ったと感じたように、その荘厳さ、大げさに言うならより神に近い領域に足を踏み入れたという意味では、個々の作品は聖壇にはかなわない。けれど、使徒一人ひとりの像、それらを取りまく天使や楡の木その他の装飾、そして聖人の細かな表情一つひとつがリーメンシュナイダーの技量と魅力を伝えているのではあるまいか。聖壇という総合芸術以前の小さな手仕事が、500年の時空を超え、私たちを魅了してやまない理由がそこにある。
リーメンシュナイダーを巡る旅は一応このボーデ博物館で終了したが、ベルリンで必ず訪れる最良の場所、ゲマルデガルリー(絵画館)も紹介しておきたい。博物館島を離れ、ポツダムプラッツ近所の文化フォーラムという新しい文化総合施設の一角にあるゲマルデガルリーは、何度か紹介しているが、13世紀の中世にはじまりヤンファンエイク、ブリューゲルやクラナッハ、デューラーなどドイツ・北方ルネサンスの逸品がてんこ盛り。ここに来るといつも「ああ、ヨーロッパ、キリスト教美術を堪能しに来てよかった」とにんまりしてしまうのだ。次に来るのはいつだろうか。ゲマルデガルリーは、筆者にキリスト教美術の魅力をおしえてくれた先生であることに変わりはない。(了)(福音史家ヨハネ)
中世彫刻、ビザンチン美術、北方ルネサンス…。感嘆のコレクション。そしてリーメンシュナイダーの彫刻群。筆者にリーメンシュナイダーの魅力を教えて下さった福田緑さんは(本ブログ 2012ドイツ旅行記①参照
http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/dbe0a1c74ebe850888aa77534c34a862)ボーデの「福音史家ヨハネ」をお気に入りの作品とあげていらっしゃるが、全面的に賛同する。福音史家ヨハネは四使徒像(他にマタイ、マルコ、ルカ)の一体だが、ヨハネにまつわるおはなし=優おとこ!の美形であること、どこか線が弱く、繊細に見えること、若かったこともありイエスにこよなく可愛がられていたことなど=をあますところなく表現しているように見える。そして、ヨハネにかぎらないが、リーメンシュナイダーに特徴的などこか、愁いを帯びた表情は、後のキリスト教の数多い受難を物語っているようにも見え、ヨハネによる「黙示録」で最後はユダヤ(教)に打ち勝ち、エルサレムの地を全うしたと言えど、現代的にうがった見方をすればこのエルサレムの争奪戦こそヨハネの愁いの本質であったのではなどと余計な想像力をはたらかせてしまうほど、深い感慨をもたらすのである。
ボーデにはリーメンシュナイダーにしては可愛らしく、聖人が登場しない「歌い、演奏する天使」もある。おそらくは、祭壇や聖壇の一部としての拵えられたものかもしれないが、独立の作品としても好もしい。ほかにも勇壮な「竜と闘う聖ゲオルグ」など、ある意味、ヴュルツブルクのマインフランケン博物館やミュンヘンのバイエルン国立美術館など聖像が多いのに比べると、聖像はもちろん、その周辺・民衆の姿を彫りこんだ作品も多く、リーメンシュナイダーを巡る旅の最後にふさわしく、さまざまなリーメンシュナイダー作品に出会えて本当に幸せである(2012年9月現在、「歌い、演奏する天使」も「竜と戦う聖ゲオルグ」も日本で展示中ある=福田緑氏(http://www.geocities.jp/midfk4915/h_georg.html))。もちろん、リーメンシュナイダーの真骨頂は聖壇であると思うし、ヘルゴット教会でマリア祭壇との出会いに電撃が走ったと感じたように、その荘厳さ、大げさに言うならより神に近い領域に足を踏み入れたという意味では、個々の作品は聖壇にはかなわない。けれど、使徒一人ひとりの像、それらを取りまく天使や楡の木その他の装飾、そして聖人の細かな表情一つひとつがリーメンシュナイダーの技量と魅力を伝えているのではあるまいか。聖壇という総合芸術以前の小さな手仕事が、500年の時空を超え、私たちを魅了してやまない理由がそこにある。
リーメンシュナイダーを巡る旅は一応このボーデ博物館で終了したが、ベルリンで必ず訪れる最良の場所、ゲマルデガルリー(絵画館)も紹介しておきたい。博物館島を離れ、ポツダムプラッツ近所の文化フォーラムという新しい文化総合施設の一角にあるゲマルデガルリーは、何度か紹介しているが、13世紀の中世にはじまりヤンファンエイク、ブリューゲルやクラナッハ、デューラーなどドイツ・北方ルネサンスの逸品がてんこ盛り。ここに来るといつも「ああ、ヨーロッパ、キリスト教美術を堪能しに来てよかった」とにんまりしてしまうのだ。次に来るのはいつだろうか。ゲマルデガルリーは、筆者にキリスト教美術の魅力をおしえてくれた先生であることに変わりはない。(了)(福音史家ヨハネ)