kenroのミニコミ

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夢は国家主義と関係のないところで教育を    「夢は牛のお医者さん」

2014-05-06 | 映画
この映画を見て、ブログを書く前提で真っ先に感じたのは下村博文文科相に対する怒りであった。それは下村文科相が「戦後レジームから脱却」して「戦後教育を見直し」、教育を立て直すという安倍政権の方向性を強く、確信をもってすすめているからである。その確信は、たとえば沖縄県竹富町の教科書選定をめぐる独立性を、強権をもって「正常化」「指導」し、教員に対し「政治的中立性に反する場合」はなんらかの「懲戒が相当」であるとし、さらに極めつけは「教育勅語は現代にも通用する」との明言で現れているからだ。
皇民化教育である。さらに教育現場、教員に対する威嚇という意味では国家主義であり、ここに天皇制軍国主義は再び完成した。
教育とはどのようなものが教育足りえるか。それは定義が難しいにしても、たとえば鳥山敏子さんが1980年代に小学校のクラスで豚を一頭育て、そして食べる授業を実践したときの驚きと感動に、「教育」の姿を見たことを思い出すのだ。教育とはおそらく上から命令されるものではなく、自ら考えたり、体験したりする方が、子どもらにとってはその後の思い出や人生の糧となるような気がする。考える以前に「君が代」を歌えとすることは正反対である、少なくとも。
新潟県松代町莇平という過疎の地に、新入生がいないからと仔牛を3頭、入学させたことから物語ははじまる。小学3年生だった高橋知美さんは、家が酪農家でもあったため牛には親近感があったが、学校で世話した仔牛が病気がちであったことから牛のお医者さんになりたいと思う。子どもは、小さい頃何らかの将来の夢を持つが、たいてい叶わない。しかし知美さんは違った。貫徹するのだ。田舎の学校から猛勉強して通学できない地域の進学校へ。下宿生活では3年間テレビを見ないと自分に課し、見事国立岩手大学医学部獣医学科へ。そこで6年間勉強し、獣医師国家試験もとおり地元中越の共済獣医師(畜産家をまわる「経済」動物だけを見て回る獣医師)となり、戻ってくる。しかし、その地域で獣医師は所長のほかに知美さんだけ。一人車で東京都と同じ広さを車で回り、牛の状態を見てまわる。獣医師というと、「動物のお医者さん」のほんわかしたイメージしかなかったが、その多くは知美さんのような「経済」動物(家畜)の経済的価値(病気を治療するのと、出荷する(殺す)のとどちらが経済的有用か)だけをはかる仕事に就いている。ただ、知美さんは自ら「牛のお医者さん」になることを目指したため、それも引き受けている。残す命と残さない命、すべて人間の都合であるということを。
小学3年生で獣医を目指すと決めた知美さんを追った26年。もう小学校は廃校になり、集落も20軒ほど。牛を飼い始めた小学校をたまたま取材した新潟テレビのディレクターが知美さんを追うと決めたその時間は、知美さんの成長談でもある。いや、今や獣医師になって10年、二人のお子さんの子育てとも両立させながら獣医師としはたらく知美さんは、その26年を感じさせない。なによりもまぶしい。
ところで、冒頭下村文科相への怒りをつづったが、知美さんをふくめ地元新潟県のこのような過疎地域は自民党の集票基盤であるし、ときの内閣が教職員に対する「君が代」強制など国家主義的教育を押し付けたとしても、おそらく反発はしていないだろう。それはそれで致し方なく、学校現場で一人ひとり抵抗するなり、考えてほしいと思うが、これだけは思う。下村文科相が求めるような教育とは違うところで、仔牛を育てるなど豊かな出会いをこの地域の子どもたちは吸収し、知美さんのように国家のために地元に戻ってはいないことを。と同時に、知美さんを含め国家主義教育の攻撃に対し問題意識が希薄なことも。
コメント
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