「ある部分が当時のドイツの空気と似ていなくもない今日の日本に暮らす私たちは、この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」(きさらぎ尚)
本作の主人公、実在する一介の家具職員ゲオルグ・エルザーがヒトラー暗殺に失敗したのが1939年11月8日。ヒトラーがドイツで全権掌握してから6年が経っていた。その頃日本は、1931年の柳条湖事件後、32年の満州国建国、そして37年の盧溝橋事件で中国大陸への侵略を本格化させていた。39年7月には国民徴用令を公布しており、40年の大政翼賛会設立、そして41年の日米開戦へと総力戦前夜であった。エルザーは早い段階から、ヒトラーの危険性に、ドイツが戦場になり、多くの犠牲が出ることを予感していたのだろう。そして、ヒトラーを暗殺しなければ、自己の自由が奪われると。
エルザーが守りたかったのは「自由」。イギリス諜報部の差し金でも、ロシアの陰謀でもなかった。だからむしろ、過酷な拷問を受けても、ナチス=ヒトラーが欲するような暗殺計画の背後、理由など自白しようがなかったのだ。さすがに恋人エルザに危険が及んだときに、黙秘を止め、自ら爆弾の製造方法などその綿密かつ大胆な計画を語ったが、「一人でやった」を押し通すことができたのだ。むしろ、エルザーを恐れていたのはヒトラーの方。だからありもしない「背後」を暴こうと、拷問ときに懐柔などあらゆる手を使って、「真実」をエルザーに吐かそうとするが、決して殺しはしなかったのだ。
エルザーの破壊工作でヒトラー以外の8名の市民らが亡くなった。だから、その「テロ行為」を賞賛する者もいなかったし、エルザーの名は長くドイツの歴史の中で黙殺されてきたという。逆に言えば、エルザーが「自由」ゆえにヒトラーを抹殺しようとした理由を理解、共感できなかったからかもしれない。
エルザーがかような思いに至ったのは、日々ナチスの勢力が強まり、ドイツ全体が生きにくい社会になりつつあることを実感していたからだ。共産主義運動に理解を示す友人は、捕えられ強制労働へ。ユダヤ人の知人も町でさらし者にさせられる。普通にお酒を飲んで、恋愛をおう歌できた時代は去り、ビアホールも「ハイル・ヒトラー」の挨拶ばかり。村の収穫祭はナチスのプロパガンダの場と化し、世の中がたった一色になっていく閉塞と恐怖。
有名なマルチン・ニーメラー牧師の手紙では、最初共産主義者だけが排除の対象と思っていたら、やがてナチスの「敵」は教会にまで及んだが、それまで無行動、自分とは関係ないと考えないようにしていたから、すでに遅かったと。フランスのレジスタンスから生まれた『茶色の朝』も、オーウェルの『1984年』もが描く全体主義の過程と実相は、一人ひとりの市民に対し、その速い流れの過酷さを示し、「自分には無関係」との思考停止を厳しく問うているが、エルザーもまた「自由」のために自らの自由を賭けたのだった。
2015年夏。この国では政権の無理くりな「安保法制」をそれこそ無理くりなやり方で成立させたが、明日自衛隊が世界に銃を向けるわけでも、日本が戦場になるわけでもない。しかし、自由と民主主義のための緊急行動(SEALDsなど)は、日々要請されているし、それに目を背けていては、『茶色の朝』や『1984年』の現実化であり、エルザー以前の私たちを追い込む世界となるだろう。あの侵略戦争の実相を描く映画がない日本に比して、ドイツはナチスの時代をそれこそしつこく描き続ける。その違いは大きい。
冒頭のきさらぎ尚の本作コラムを繰り返す。「この物語を遠い他国の昔の話だと言ってはいられないと。」