「飢えている子どもの前で文学は何ができるか」
サルトルの有名な言説に思い至ったのは、阿部寛演ずる版元の蔦屋重三郎が「絵で世界は変わる」と宣ったからだ。時代は寛政の改革で奢侈禁止。しかし喜多川歌麿、東洲斎写楽、そして葛飾北斎と浮世絵文化を彩った錚々たる面々が活躍する時代でもある。弾圧と自由な表現と、近代法制の整う以前に表現者と、それを支える民、そして取り締まる側との攻防が時代の息吹を伝える。
それにしても北斎人気は度を越している。確かに米LIFE誌で「この1000年で最も偉大な功績を残した100人」に日本人でただ一人選ばれたことがある。しかし、数年前の若冲人気といい、東京オリンピックを盛り上げるための「クールジャパン」戦略の一角かと思うと鼻白む思いもする。とはいえ、北斎の偉業は度を越している。仔細は語るまい。90歳で斃れるまで画狂を貫き、富嶽三十六景、北斎漫画、男浪・女浪‥。偉業・異作の出ずる根本は、「描きたい」「描くのだ」という思いのみ。
若い頃を柳楽優弥、晩年を田中泯が演じるダブルキャストの手法は成功していると見える。史上最年少でカンヌ映画祭主演男優賞をとった柳楽は、その後、若年で傑出した俳優は成功しないというジンクスを跳ね除けて着実に伸びている。一方、田中は最近役者として名が売れているが、本来は身体で全面に勝負する世界的な舞踏家である。だから田中はインタビューで繰り返し自分がダンサーであることを強調しているし、その真骨頂が画面の節々にまみえる。例えば、ベロ藍を粉の状態で入手し、雨の中それを浴びるシーン。そして北斎の挿画を弾き立たせた戯作者の柳亭種彦が刺殺される場面を想像するシーン。いずれもスクリーンいっぱいに北斎、田中の形相が映し出される、なんという迫力か。ここでは身体をはって踊る田中が顔だけで勝負している。そしてそれは眼球だけでも。
民の自由な表現を担保する芸術は、時に権力批判も内包する。そして芸術家自身が、そうでなければ自己が目指す芸の極地に達し得ないと、権力と直接に対峙する。さらに柳亭のように秘されたまま消されることもある。しかし「出る杭は打たれない」と、蔦屋重三郎は言い放つが、それは酷薄な時代と無縁であったからではないか。というのは、寛政の時代、幕府も庶民に広がった戯作や浮世絵人気を本当に押さえ込もうとしたのかどうか、腰が座っていなかったという嫌いもある。商人なくしては武家社会も保てないことは明らかな時代であったからだ。明治以降の日本では、天皇制のもとに容赦無く消された表現者はいくらでも数えることができる。
北斎を持ち上げる理由に、西欧、主にフランスでの浮世絵などジャポニズム人気の嚆矢とする解説がある。確かにそういった部分もあるかもしれないが、北斎の生きた時代、フランスはヤワな貴族趣味のロココを脱し、新古典主義、ロマン主義と質実に立ち返った時代である。また、その後の印象派は反アカデミー趣味を重んじた。ゴッホが浮世絵を好み、エミール・ガレが浪の流線型にヒントを得たとしても、それは歴史的必然性の範疇とは言えはしまいか。
坂本龍一は「音楽で勇気を与える、なんて、音楽家としては一切思わない」旨述べる。絵で世界を変えることはあり得ない。後付けで言いつのることはあったとしても。