常々思っていたことだが、マスメディアの「あなたは中国に親近感を持っていますか?」という世論調査はヘイトではないか、ということだ。こういった調査の問題点は二つある。一つは、ここでいう「中国」が何を指しているのか不明確なこと。現在の習近平政権のことであるのか、中国共産党のことであるのか、歴史的連続性としての中国であるのか。あるいは、仮に習近平政権であるとしても、その領土や軍事などの覇権主義的姿勢なのか、香港やチベットなどに対する人権蹂躙の姿勢であるのか、さらには知的財産権や産業構造の独占などその国家独占欲資本主義的な政策であるのか。反対にIT産業やコロナ対策で成果を上げていることであるのか。そして、政権のことではなく、多数の民族からなる中国人民のことなのか、世界遺産を多く有する豊かな土地のことであるのか、タブーが少ないとされる多様な食文化のことであるのか。これら質問の言う「中国」が何を指すかめ明確にせず訊く姿勢は、結果発表の際、調査者の意図に合うように操作される危険性が高い。
次にこのような質問は、普通中国か韓国に対して訊く場合がほとんどで、たまにアメリカもあるが、フランスに親近感を持っているかとか、エジプトに、あるいはインドにとかの質問はありえない。
このように中国や韓国にだけ「親近感」について訊き、答えの選択肢には「ある」「ない」「どちらとも言えない」しかない。朝日新聞は、読売新聞のように、どちらとも言えないと答えた人に対して「どちらかというとありますか、ないですか」と更に質問(更問い)を重ねて無理くり答えさせているかのようにはしていないことを強調するが、質問自体に疑問がある。
長々と自説を開陳してしまったが、本書はまさにヘイトスピーチとはそのようなものか、それにどう対抗するか、報道の現場を超えて問うている。著者の立ち位置は明らかだ。報道は差別に対しては中立を装う、両論併記で逃げるべきではないと。両論併記について言えば、筆者もずっと疑問に思ってきた。例えば、選択的夫婦別姓法制化について、賛成派はアイデンティティの喪失や、働く上での旧姓使用の限界、生活の上での不便さなど実利的、実際的な不合理を訴えるのに対し、反対派は「家族の一体感が失われる」とか「夫婦はそもそもそういうもの」などといった論理的、合理的に説明できない論を展開してきた。しかし、メディアはこれを両論併記として報道するのである。両論とは、一方の論が他方に対する反対論になっているべきと思うが、そうはなっていない。論争などそもそも成り立たないのである。が、マスメディアは必ず両論併記として紹介する。
著者は、韓国での記者経験も踏まえてこの中立、両論併記の悪弊は、従軍慰安婦のことなど日本と韓国との関係での関係改善の壁となっている、むしろそこから解放されて報道すべきと、拓かれたのである。
考えて欲しい。「ゴキブリ、朝鮮人!」とのデモを前にして、「鶴橋(の朝鮮人)大殲滅です」と言われて、報道に中立などあるのか。言われた人間の側に尊厳を保てと平静さを求めるのか。
報道の現場にたち、世間に広く実態を知らせるジャーナリストの役割とは、「“中立”を掲げた無難な報道に逃げ込まず、ヘイトクライム・レイシズムに本気で抗う」(安田奈菜津起氏評)こととの明確な姿勢であり、それは差別を表現の自由の範疇に逃げ込ませない報道記者の指針となり得るだろう。(『ヘイトスピーチと対抗報道』角南圭祐 2021 集英社新書)