世界には内情が不明な国も多い。例えばアフリカの多くの国で報道も少なく、国としての発信もあまりない。そもそもソマリアなど中央政府が機能していないとされる国もある。中央政府が強固に機能していて日本とも広い国境を接しているのにその内情、特に一般の市民生活の様子が不明なのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)だ。
本作は「脱北者」が中国、ベトナム、ラオスを抜けて強制送還しない安全なタイにまで逃れる行程を追うドキュメンタリーだ。作り物か思えるほどとてもスリリングに事態は動いていく。その困難の大きな理由は脱北者が80代の祖母、幼児を含む5人という一家だからだ。タイにたどり着くまで絶対に存在を知られてはならない。そのスタートが、中国との国境の川を渡り、韓国でずっと脱北者の支援をしているキム・ソンウン牧師。キム牧師自身、支援の過程で首の骨を折る大怪我をし、ボルトが入ったままの体で無理をするべきではない。しかも、キム牧師の活動を快く思わない国からは入国も拒否されている。だから、タイを目指すロー一家、中国からタイまで同行する親戚のウ・ヒョクチャン、そしてキム牧師も同行する地域では密入国なのだ。国境を越えるにはさまざまなブローカーの手を借りねばならない。高額な手数料はもちろん、騙されることもある。越える場所は、ジャングルであったり、落ちると助からない川など。ロー一家を追う映像とともに、自身脱北者で、何年も会えていない息子の脱北支援に奔走、その報告に心痛めるリ・ソヨンやかつての脱北者やその支援、北朝鮮の内情を知るジャーナリストらのインタビューが映される。
ソヨンは、収監されたことがあり、地獄のような刑務所生活から生還し、親子で脱北を試みたが息子は果たせなかったのだ。ところが、息子を脱北させようとすすめていたところ、ブローカーの裏切りで息子が強制送還されたというのだ。捕まった脱北者は過酷な強制収容所に収監され、時に命を落とすことも。
新型コロナ・ウィルス感染症予防のため、国境を封鎖した中国へ入るルートは限られる。そして北朝鮮国内は海外への通信回線は遮られ、国境付近もとても安定したものではない。もし見つかれば厳罰対象だ。それでも一縷の望みをかけてブローカーに連絡をとり、送金するソヨン。厳しい現実がさらされる。
時折挟まれる資料映像は、多くは北朝鮮国内の撮影実績のあるアジアプレス(石丸次郎)が提供したものだ。そこには、ガリガリに痩せた国民や処刑のシーンも含まれる。しかし、前述の中国の国境封鎖で近年の撮影はできていないという。ただ、現況が極端に改善しているということはないだろう。ミサイルにお金はかけても、国民の飢餓解消やより自由の保障には無関心と思える国だからだ。
だが、十分な食を欲し、外の世界へ出でようとする試みを抑えることはできない。それが、対外的には差別がない平等な世界の共産主義国家であったとしても。日本でも著名なドキュメンタリー監督で、先ほど関東大震災における一般人による虐殺事件「福田村事件」の劇映画を撮った森達也。森は北朝鮮への渡航の思い出を語りながら言う。「言語や民族や信仰が違っていても人の内面は変わらない。」
そして外の世界を知ることを禁止し、全国民を挙げてたった一人の人間(その時は「神」)に命を捧げる一致団結を誓った前歴は日本にこそあるのだ。かつて日本の領土(植民地)であった彼の国で、その「伝統」が強固に息づき続けているのが皮肉だ。