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学芸員の矜持だけでは救えない文化政策の貧弱さ 「わたしたちの国立西洋美術館」

2023-08-17 | 映画

私がアジアの国へあまり行かなかったのは、たいてい海外旅行は美術館目当てで、それも西洋美術に触れるためであるからだ。だから、身辺事情の変化やコロナ禍、昨今の円安、原油高などで海外渡航が叶わなくなった現在、国立西洋美術館(西美=セイビ)は数少ない目標地となった。

その西美が2020年10月からル・コルビジェが構想した創建時の姿に近づける整備のために休館した。休館中の内部にカメラが入り、収蔵品の移動・整理、館長をはじめ学芸員(研究員)らのインタビューを交えた構成で、西美及び日本の美術館の歴史、役割、課題等に迫るのが本作である。監督は「春画と日本人」を撮った大墻敦(おおがきあつし)。大墻は長らくNHKで美術をはじめ様々なドキュメンタリーを制作してきた。

描かれるのは、学芸員らの美(術作品)に対する愛と、それをどう美術館に集う人に提供できるかと試行錯誤する姿である。しかし、日本最大の西洋美術の殿堂にして、職員はたった20人という。ただ、修復部門を含めて職員全てが学芸員とも考えられないし、任期採用も多いだろう。そして、美術館の仕事は展示や収集だけではない。企画はもちろん、海外美術館やギャラリーなどと対外折衝、広報、図録の制作やグッズの販売など多岐にわたる。在仏美術ジャーナリストはフランスの美術館はそれらを網羅的に備える態勢になってきたと話す。だが、西美は「国立」ながら独立行政法人。自前の予算は悲しいほど少ない。そして、日本で開催される美術展が新聞社やテレビ局の大手メディアの予算で成り立ってきた歴史も明らかにされる。

日本における西洋美術(画)の紹介、導入の歴史は幕末開国から明治初年の揺籃期を経て、黒田清輝を嚆矢とする海外留学組の存在、大正デモクラシー前後の前衛への傾倒、日中・太平洋戦争期の国策に沿った活動だけが許された時代を経験し、戦後の表現の自由の時代とそれを体現した西洋美術への渇望の時代へと連なる。そして同時にフェロノサ・岡倉天心に始まる日本美術の優位性からの攻撃、日本美術か西洋美術かの濁流に揉まれてもきた。その中にあって、松方幸次郎が日本にも本格的な西洋美術館をとの構想のもと、莫大な収集を始めるが、金融恐慌で断念。戦後、散逸したコレクションを日仏友好の証しとして日本へ返還(ただし、真にフランスを代表する作品は返還されなかった)され、その展示場所して建築されたのが西美であった。そして西美のあと、特に高度経済成長期に全国に美術館の建築ラッシュが起こる。それがいずれも今改装期に入っている。どれだけ西洋美術作品に特化した美術館ができても、西美の「王座」の位置は揺るがなかったはずだ。

上述したように西美の予算は小さく、自前の企画で収益を上げるのは困難極まりない。これはそもそものこの国の文化予算の貧弱さと、西美の独法化、いや、公立美術館の多くは指定管理者制度のもと採算重視を迫られている。そこでは新自由主義的な発想、「選択と集中」がそもそも儲けを前提としない学術や文化の領域まで侵食していることは明らかだ。

本作の焦点ではないが、公立の美術館(展)の抱える課題は表現の自由をめぐる世界でも大きくのしかかる。2019年の「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」を始め、会田誠作品の撤去要請(2015 東京都現代美術館)、最近でも飯山由貴の映像作品の上映禁止(2021 東京都人権プラザ)もあった。

西美の一人ひとりの職員の矜持に敬意を表するとともに、図書館の自由ならぬ「美術館の自由」もぜひ守り抜いてもらいたいと思う。

(「わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏」は7月15日以降公開中)

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