ガザではすでに死者3万5000人と、まだ瓦礫の下に残されている1万人と報道されている。ガザ報道が中心になり、ウクライナのことは忘れられたのだろうか。スーダンは、ミャンマーは。
「マリウポリの20日間」は、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻し、ロシアが掌握しようとした最大の激戦地の開戦後のわずかな期間を写すものだ。しかしそのわずかな期間にこの戦争の全てが語られていると感じるほどの濃密な映像だ。破壊される街、次々と受傷者が運び込まれる病院、道路には遺体が横たわる。爆撃された産科病院でカメラは瀕死の妊婦を映し出す。しかしあろうことかロシア側は「アクターだ」と言い放つ。ならば戦場に残ったAP記者らはなんとか映像を域外に持ち出さなくてはならない。電気も通信もほとんど通じない中で、もし記者らが拘束されれば、ロシア軍の前で「動画はフェイクだ」と言わされるからだ。しかし、記者が逃げ出すということは、その後も続く市民の被害、虐殺を伝える術がなく、見殺しにすることになるのだ。
2022年5月に「陥落」したマリウポリはロシア支配下となり、ロシアが破壊した街を「復興」の象徴として宣伝しようとしている。既成事実化だ。そこに住まう人は今どうしているのだろうか。(「マリウポリの20日間」公式サイト https://synca.jp/20daysmariupol/)
ウクライナからポーランドへ避難民が押し寄せる前の2021年、ポーランドへはベラルーシ経由でシリア、やアフリカ、アフガニスタンなどからの難民が押し寄せていた。ベラルーシ・ルカシェンコ政権が、EUの足並みを乱そうと自国に難民を引き寄せて、国境を接するポーランドに大量に送り込む「人間兵器」を展開していたからだ。しかし、ポーランド側も人道的とは程遠い政策を展開していた。送り込まれた難民をベラルーシ側に送り返すのだ。「ボールのように蹴り合われた」難民は疲弊し、命を落とす者も。国境地帯は氷点下近い藪、沼地帯で「死の森」なのだ。ポーランド政府は「立入禁止地帯」を設定し、難民を助けようと入った人は「密入国を助ける人身売買業者」として拘留、罰せられるようにした。映画はフィクションだが、難民出身の俳優も出演し、難民を助ける人道グループや地域からの綿密なリサーチにより迫真に迫る者となっている。名作(「いいユダヤ人ばかりではないから助ける ソハの地下水道」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/18ec0a26d957afef2caf6bf887b5dfd0)のアグニエシュカ・ホランド監督は、自国の暗部を何の憚りなく描いた。この点でもポーランドではまだ民主主義が根付いているという証だろう。作品は、難民、援助者、近所に住んでいたため援助者となる、一人暮らしの女性、そして人間を虫けらの如く扱う国境警備隊の若き青年それぞれの視点で描かれる。その群像的映像が秀逸だ。
沼で命を落とすシリア難民の少年とその家族、少年を救えなかったと自責するが自身も重傷を負ったアフガン女性は退院するとすぐに警察に連れ去られ安否不明となる。過大なストレスのため精神を病む国境警備隊の青年。それぞれが一所懸命に生を全うしよとする中で、国家、グローバル世界が個を押し潰す。難民危機の後、ウクライナから200万人の難民を受け入れたポーランドは優等生扱いされるが、その1年前にはこのような国だったのだ。そこには同じ白人のウクライナ人とは違う扱いの人種差別が明確にある。(「人間の境界」公式サイト https://transformer.co.jp/m/ningennokyoukai/)
ナチス・ドイツの蛮行を描く映画を多く見てきた。「シンドラーのリスト」をはじめ、再視に絶えないキツイ作品もあるが、どこか過去のこととして、冷めた姿勢で観ることができた。しかし、実写のドキュメンタリーとフィクションの違いはあるが、この2作品は現在起こっていることだ。あなたは何をしているのか? 何ができるかのか? と問われているようでとても苦しい。
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