映画に怖い作品は数多あるが、ホラーや残酷ものは見ないので、よく見る怖いものというとナチス・ドイツ(の蛮行もの)だろう。しかし、「シンドラーのリスト」のように実際の殺戮、迫害シーンが続くのも「怖い」が、一見穏やかな生活を描いていて、暴力シーンが全くないのに「怖さ」を感じることは十分できるものもある。
「関心領域」とは、アウシュヴィッツ強制収容所群を取り巻く40平方キロメートルの地域。ナチス親衛隊の用語である。反民主主義国家やその指向を隠さない政権は時に婉曲表現を多用する。オーウェルの『1984年』に出てきたニュースピークしかり、安倍晋三政権の「防衛装備移転」(武器輸出のこと)、プーチンの「特別軍事作戦」しかり。ナチスが「関心」を持っているのは、そこが大量殺戮工場の現場であり、その周辺にはそれを暴こうとする反対勢力(連合国側や報道)その他が入り込んではならない「領域」であるからである。しかし、「工場」の周辺には施設従事者以外も住まう。ルドルフ・ヘス収容所長の家族である。
子どもを川遊びに連れて行き、妻ヘートヴィヒと旅行の思い出話をするヘスは、よき父、よき夫である。しかし同時に、自宅に焼却炉の設計技術者を招き入れ、新しい機械がいかに「効率的に」焼却できるかの説明を聞き、「早急に」と指示する。焼却するのはもちろん収容所の死体である。
家族、友人とプール付きの広い庭でパーティーを開き、子どもたちは走り回る。なんと牧歌的、穏やかな日常か。しかし遠くから絶え間なく聞こえる叫び声、それは看守の怒鳴り声と痛みつけられ殺される被収容者の断末魔であり、銃声には誰も気づかない。聞こえていない。
それらの音が聞こえ、遠景の煙突から絶え間なく吐き出される黒煙と臭気に耐えられない者がいた。遊びに来たヘートヴィヒの母親である。母親は突然逃げるように帰ってしまう。怒り狂うヘートヴィヒは、ヘスの性欲の吐口と暗示される下働きの女性に言い放つ。「あんたなど燃やして灰にできる」と。同じ頃、ヘスに出世が約束された転属の話が出て、妻に告げるが「こんなに恵まれた場所はない。子どもたちも健康に育っている。私は行かない」。天塩にかけて綺麗に整備した庭(もちろんユダヤ人やポーランド人の庭師らが)を手放したくないし、被収容者の持ち物であったすばらしい毛皮のコートなどが手に入る生活を手放したくないからだ。
映画の合間、合間に印象的なシーンが流れる。地元民と思しき少女が夜陰に紛れて、収容所の畑にりんごを撒きに行くのだ。そのシーンだけ暗視カメラで映されるが、実際、被収容者を援助しようとした地元民はいたらしい。また、ラスト近く、現代の世界遺産「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の日常が突然現れる。夥しい数の遺棄された靴や持ち物。その展示スペースを淡々と掃除するスタッフ。彼らの「関心」事は部屋の清掃そのものであるが、その姿は私たちに突きつける。現在続いているウクライナ、ガザ、スーダンやミャンマーなどの殺戮はあなたの「関心領域」であるのかと。
「怖い」は何も物理的、直接的暴力を見聞することではない。いや、それ自体が「怖い」のではない。その実態に無関心でいられるその心性が「怖い」のだ。そして、それに慣れ続けることがもっと、もっと「怖い」のだ。(「関心領域」2023 アメリカ・イギリス・ポーランド映画)
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