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法廷で描かれる葛藤の正体とは  「サントメール ある被告」

2023-07-23 | 映画

日本に裁判員制度が導入されて14年になる。辞退率の高さ、裁判員に対する秘密保持の広さなど課題は多々あるが、定着してきたとみて間違いないだろう。

フランスは日本が裁判員制度を導入する際に参考とした参審制度の国である。参審制とは、アメリカやイギリスで採用されている陪審員制度と違い、裁判官と市民が協働して審理に関わり、判断する。日本独自の形態としての裁判員制度は、現在でも市民が法曹のプロである裁判官の先導に追従してしまうのではとの指摘もあるが、これまでのところ、裁判官による強引な訴訟指揮との声は少なそうだ。もともと日本の刑事裁判は当事者主義が採用されていて、裁判所主導で証拠調べなど審理が進ことは基本的に想定されていない。その感覚からすると、本作で描かれるフランス裁判所の審理風景は驚きだ。

生後15ヶ月の娘を海岸に置き去りにして死なせたとされるセネガル出身の母親ロランスを裁く法廷。動機が不明。裁判長は「なぜ、娘を殺したのか」「分かりません。裁判でそれを知りたい」。被告人であるロランスに矢継ぎ早に質問を繰り返し、その生い立ちまで根掘り葉掘り。

しかし、被告人質問の前に登場する証人らこそロランスが精神的に追い込まれた(のではないか)とされる要因を垣間見せる。ロランスと親子ほど歳の違う、娘の父と目される男性はロランスの妊娠、出産に気づかなったと当事者性のかけらもない。高学歴でフランス語を完璧に話すロランスだが、アフリカ人が「ウィトゲンシュタインを学ぶのは不可解だ」と証言する教授。女性、エスニシティに対する差別意識が顕になる。そして、ロランスが自国のウォロフ語ではなく、母親から「完璧な」フランス語を話すことにこだわり、育てられたとの桎梏も明らかになる。ロランスは呪術の仕業と持ち出し、検察官はそんな証拠はないとますます混迷を深めるが。

実際にあった事件をもとに脚本は書かれ、法廷でのやり取りは調書どおりに再現したとされる本作。実事件と違うのは、それらの様子が、被告人と同じセネガル出身で学者にて作家、母親との葛藤を抱え、自身妊娠中であるラマの視点から描かれることだ。ロランスが自分を「合理主義者だ」と証言しながら、動機も経緯も不合理極まりない事件の真相が追及されるのではなく、ラマが自分こととして事件を受け止めるとき、物語は見る者の「腑に落ちる」。長らくフランスの植民地であったセネガル出身者が、フランスでどのようなアイデンティティを持ちうるのか、どのように白人社会から見られているのか。人種、学歴、女性、複層的な課題こそがロランスの動機であり、「実存」であったのかもしれない。弁護人が母親と子どもの細胞、遺伝子的な結びつきを「キメラ」の話を通して長い最終弁論を終えた時、それまで固く、冷厳としたロランスが泣き崩れる。

興味深いのは、裁判官3人も書記官と思しき人も、2人の弁護人も皆女性であることだ。フランスの司法官(裁判官と検察官)の女性比率は7割近いという。日本の2〜2.5割と大きく異なる。また個人的には参審員の役割ももっと知りたかった。

サントメールはフランス北部の小さな町。聖なるオメールが原題だが、オメールそのものがもともと司教区の地名であるらしく(そもそも人名)、その聖性は、差別や偏見、何らかの固定した意識に凝り固まった者には感じられないのかもしれない。(「サントメール ある被告」は、アフリカにルーツを持つアリス・ディオップ監督作品 2022)

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