日本では国政選挙で50%を超えるくらい、地方選挙は30%を割ることもあるという。これで民意の反映と言えるだろうか。投票率の話だ。東京特別区の杉並区は人口57万、有権者は47万人、地方では大規模な市になるスケールだ。区長選挙では、3期12年つとめた現職に、2ヶ月前に日本に帰国した女性が挑む。その選挙運動と候補者に密着したのが本作だ。
杉並区は緑が多く、古く安価な賃貸住宅も富裕層が好みそうな区域もあるいろいろな人が住みやすいと感じる人気の区だそうだ。しかし、区が進める駅前再開発、道路計画などに異議を唱える住民らが区長選を見据えて団体を立ち上げる。道路ができれば立ち退かざるを得ない地域の住民や、児童館の廃止によって子どもの行き場をなくす保護者らがいるからだ。しかし、肝心の区長候補が決まらない。立ち退き対象の地域に住むペヤンヌマキ監督が市民団体を訪れカメラを回し始める。そして区長選2ヶ月前にやっと決まったのが岸本聡子。ヨーロッパに20年近く在住していた公共政策の専門家である。岸本にはオランダで民営化した水道を公営に戻した著作もある。だが、杉並区と縁があったわけではない。果たして「落下傘候補」が固い地盤の保守系現職に勝てるのか。
岸本が訴えるのは「ミニュシパリズム」。地域主権(者)主義とでも訳すそうだが、馴染みもないし、分かりにくい。それを岸本は自分の名前の漢字、「耳へんに、公共の公、ハムの下に心、と書いて聡子」「みんなの心を聞く」という意味ですと翻訳する。でもみんなの心を聞くとは具体的にどうすればいいのか、どうであればそういう現実に繋がるのか。
地方選挙、特に市町村など小さな自治体の議員の多くは「地域の声を聞きます」と訴え、時に市政などに反映させている人もいるだろう。でも、都市開発、道路拡張、福祉やコミュニティ施設の統廃合は、本当に住民の意思を反映しているのだろうか。そこに住民自身が立ち上がる契機がある。
地方自治は民主主義の学校と言われる。憲法にも「地方自治」の項がきちん設けられている。ともすると住民自治が置き去りにされる中にあって、杉並には古くから住民運動に携わる元気な(主に)女性たちがいた。岸本陣営を支えたのがこれらの人たちで、ノウハウとネットワークを活かして運動を広げていく。そう、東京都でも西部は昔からその素地があったのだ。そして岸本も「みんなの心を聞く」を実践する。街で自転車を押して駆け回る岸本に話しかけてくる女性。岸本を応援するからこそ、時に厳しい注文もつける。でも、どこかのおじさん候補のように笑顔で握手を繰り返すのではなく、岸本は聞くのだ。
岸本も支援者もこの選挙では勝てると思っていなかったらしく、次の4年後を考えていたという。しかし開けてみれば岸本が当選。わずか187票差だった。岸本の選挙戦は、「区政を変えよう」と集まった人たちが本当に手弁当で、個々の役割を担ったからの勝利だった。そして、有権者もそれを見ていた。すぐに金をばら撒くどこぞの人たちとは全く違うのだ。ミニュシパリズムが芽吹いたのだ。
岸本の区長就任の翌春、支えた住民らが区議選に立ち、見事当選。新人15人が全員当選、現職12名が落選した。杉並区議会は、女性比率が50%を超え、議長にも女性が就任。パリテを実践した素晴らしい構成となったが、その成果はこれからだ。
折しも、群馬県前橋市長選では自公推薦の現職に野党系女性新人が圧勝、京都市長選でも共産党系新人が肉薄した。地殻は自ら変動しなければならない。
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