著者の岡田温司先生(直接存じ上げているので、こう呼ばせていただく)は、博覧強記の方である。大学教授たるものそうでなくてはならないという面もあろうが、岡田先生はとても多くの著作があり、もともとのご専門がなんであったか不明なほど、その言及範囲は多岐にわたる。近年は影(陰)や、鏡、膜といった「間メディウム」に関する著作が多いようだが、それでも美術の地平から、作者の思惑を超えて、見る側、それが社会的にどういう意味を持ち、どう影響してきたかといった広範な関係性にかかる記述は美術にとどまることはない。
その岡田先生が、ロシアがウクライナに侵攻し、日本では安倍政権以降「軍拡」路線が進む中での危機感を基底に「反戦」を直接取り上げられたことに感慨を覚える。美術史・美学がご専門の人は、多くの人は現実の政治状況・国際関係にコミットしないし、その姿勢は少なくとも「非政治的」に見える。そして、政治学や社会学、国際関係論など実学部門、歴史学など過去の戦争を研究主体とする分野、あるいは憲法学、国際関係法などの法学から遠いと思われている芸術分野で現実政治に拘って発言する人は稀だ。
しかし、芸術作品とてその時代で起こった大きな事象、戦争が最たるもの、と無縁でないことは明らかで、有名なのはピカソのゲルニカなどであろう。『反戦と西洋美術』では、前近代の戦争画から紐解くが、著者によれば西洋において戦争の悲惨さに直面したのは17世紀からであるという。十字軍やルネサンス期のイタリア諸国の抗争では、英雄譚や勝利の栄光が描かれてきたからだ。それが、バロックの巨匠ルーベンスが三十年戦争におけるカトリックとプロテスタントの対立、ハプブルグ家とブルボン家の抗争に時期、戦争の悲惨さをギリシア・ローマ期の神々に訴えさせる形で描いたのが戦争画の転換点、嚆矢というのだ。確かに戦争終結の講和条約であるウエストファリア体制は主権国家の集合体であるヨーロッパの完成ともされる。しかし、主権国家間の対立は止まず、その後も数々の戦争を西洋は経験した。そして、戦争のフェーズが変わったのが、ザ・グレート・ウォーたる第一次世界大戦である。
タンク車、塹壕、毒ガスという総力戦、殲滅戦はそれまでと比較にならないくらいの若い命を奪った。画家もその例外にもれない。青騎士の仲間として友人のマルクやマッケを失ったパウル・クレーは自国の飛行機が落ちたことも喜んだ。そして、オットー・ディックスをはじめ、戦争の悲惨な面を容赦無く描く画家も多く現れた。第二次世界大戦になると、ユダヤ人であるということのみで逃れ、収容所で命を落とした者も少なくない。
そもそも第一次世界大戦という未曾有の不合理ゆえにダダ、そしてシュルレアリスムが発生、発展した歴史があり、ナチスの思想に反するとされたシュルレアリストたちも脅威にさらされた。マックス・エルンストをはじめアメリカに逃れた作家も多い。アウシュヴィッツで殺されたフェリックス・ヌスバウムのような戦後に奇跡的に発掘されたユダヤ人画家もいる。さらに、大戦後のヨーロッパで戦中の恐怖、鬱屈、韜晦、悔恨などさまざまに複雑な感情をドローイングでほとばしらせたのがジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエといったフランス人画家もいた。
もう世界大戦など起こらないと東西冷戦構造を横目に起こったのがベトナム戦争であり、それに対する大きな反戦のうねりもあった。河原温、草間彌生、オノ・ヨーコといった在米日本人作家が直接的な表現ではないにせよ、ベトナム反戦の作品を明確に打ち出していた。ベトナム戦争への抗議と抵抗は著者によると、フェミニズムとアート界の体制批判として特徴づけられるとする。そのいずれもが、ベトナム戦争以降、あらゆる戦争や体制へのアンチをその後表現し続けてきた今日を思えば的確な洞察だろう。
本書には、聞いたことのない作家、作品も多く紹介されるし、時代背景と無縁ではないそれらを取り上げる意義が丁寧に説明される部分など、岡田先生のいわば美術と世界(史)を結ぶ手綱に唸らされっぱなしであった。本書の的確、詳細な評は筆者の能力を超えるが、新書という形態ゆえ、多くの人に読んでほしい好著であると思う。そして、ここからは勝手な思いだが、ロシアのウクライナ侵攻により、戦争が人類にとって常時身近にあると認識させられた現在こそ、美術史家として、このような書を世に出さねばと岡田先生は考えたのではないだろうか。(『反戦と西洋美術』2023 ちくま新書)
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