ボルゲーゼ美術館は2度目である。その時も事前予約制ではあったが、まだネット予約ではなく、当日入館時間の1時間前に行って予約。1時間くらい公園をぶらぶらしてなかなかよかったのを覚えている。今回はネット予約で直前に到着。味気ないといえば味気ないが時間の節約にはなる。
ミケランジェロを超えたと言われるベルニーニの「プロセルピナの略奪」と「アポロとダフネ」は見とれる。特に「プロセルピナの略奪」は大理石とは決して信じられないくらい柔らかい。冥界の神プルートにさらわれたプロセルピナが助けを呼ぶ姿、それを押さえんとするプルートの指がプロセルピナの太ももに食い込む様はバロック彫刻を代表するベルニーニのおそらくは最高傑作。これほどまでに大理石は弾力があり、反発力があるものなのか。
そしてプロセルピナの表情。ミケランジェロの彫刻がどこかローマ的に突き放したような冷たさを内包しているのに比べ(ダビデ、ピエタなど)、ベルニーニの作品は、絶望や悲嘆を見事に表している。そこにまるで命が宿っているかのように。
バロック彫刻から、19世紀にロダンが登場するまで彫刻の世界は絵画のそれほどメジャーではない。しかし、ボルゲーゼにもあるカノーヴァの作品はベルニーニが完成させた柔らかな大理石(彫像)に成功している。カノーヴァは古代の理想の美を目指した新古典主義の大家であるが、ルーヴルにある「アモルとプシュケ」もすばらしい。が、ボルゲーゼのヴィーナス像、その寝具のマットの波打つ様はおよそ大理石ではない。
彫刻のことばかり書いてしまったが、ボルゲーゼはカラヴァッジョの名品も多い。「ゴリアテの首を持つダビデ」など、劇的な構図で魅了するカラヴァッジョの比較的おとなしいい作品は多いとも見えるが、「花かごを持つ少年」や「聖ジェローム」など見逃せないものばかりである。ほかにもクラナッハやラファエロなどルネサンス期の作品もぞろぞろ。
そして見逃せないのが館を彩る天井画。見上げ続けていると首が痛くなるが、寝ころんで満喫したい画の数々。それほど大きな美術館ではないが濃密かつ凝縮したボルゲーゼはローマに行くたび訪れたいところである。
(カラヴァッジョ「花かごを持つ少年」)
ミケランジェロを超えたと言われるベルニーニの「プロセルピナの略奪」と「アポロとダフネ」は見とれる。特に「プロセルピナの略奪」は大理石とは決して信じられないくらい柔らかい。冥界の神プルートにさらわれたプロセルピナが助けを呼ぶ姿、それを押さえんとするプルートの指がプロセルピナの太ももに食い込む様はバロック彫刻を代表するベルニーニのおそらくは最高傑作。これほどまでに大理石は弾力があり、反発力があるものなのか。
そしてプロセルピナの表情。ミケランジェロの彫刻がどこかローマ的に突き放したような冷たさを内包しているのに比べ(ダビデ、ピエタなど)、ベルニーニの作品は、絶望や悲嘆を見事に表している。そこにまるで命が宿っているかのように。
バロック彫刻から、19世紀にロダンが登場するまで彫刻の世界は絵画のそれほどメジャーではない。しかし、ボルゲーゼにもあるカノーヴァの作品はベルニーニが完成させた柔らかな大理石(彫像)に成功している。カノーヴァは古代の理想の美を目指した新古典主義の大家であるが、ルーヴルにある「アモルとプシュケ」もすばらしい。が、ボルゲーゼのヴィーナス像、その寝具のマットの波打つ様はおよそ大理石ではない。
彫刻のことばかり書いてしまったが、ボルゲーゼはカラヴァッジョの名品も多い。「ゴリアテの首を持つダビデ」など、劇的な構図で魅了するカラヴァッジョの比較的おとなしいい作品は多いとも見えるが、「花かごを持つ少年」や「聖ジェローム」など見逃せないものばかりである。ほかにもクラナッハやラファエロなどルネサンス期の作品もぞろぞろ。
そして見逃せないのが館を彩る天井画。見上げ続けていると首が痛くなるが、寝ころんで満喫したい画の数々。それほど大きな美術館ではないが濃密かつ凝縮したボルゲーゼはローマに行くたび訪れたいところである。
(カラヴァッジョ「花かごを持つ少年」)