大阪城は、豊臣秀吉が天下統一の拠点として石山本願寺跡に築城しました。
「大坂夏の陣」で焼け落ちた後、新たな天下人となった徳川家康の息子・秀忠と
孫・家光の手によって、二度目の大阪城の建設が行われたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c2/7509e6ac1ed062a64a3f5c8e394aba4d.jpg)
私が探していた、天守閣前の井戸のようなボウリング跡です。
地下に眠る秀吉時代の石垣を 「常時公開・展示できるようにしたい」と・・・
おっしゃっておられるのを聞いたことがあって、そこが上画像の場所だと思って
いたのですが、横の売店で買い物をしたときに聞くとやはりこの場所でした。
それは、昭和三十四年(1959年)の大阪城総合学術調査で地質調査が
行われ、現在の大坂城はもともとあった土地の上に10m以上の盛り土をして
その上に築城されていたことがわかったのです。
この天守閣前のボウリング跡は、その二度目の大阪城建築で秀吉の築いた
石垣などは・・・どうなったのかと? 本丸・天守閣前を調査されたのでした。
そして、その時に地下7.5mの所から石垣が発見されたのです。
しかし、このあたりは縄文人の住居跡であり、石山本願寺・難波の宮跡なので
秀吉時代と断定はされなかったのですが、翌年に徳川幕府の京都・大工頭を
していた中井家のお家から、豊臣時代の大阪城本丸図が発見されたことから
この石垣が、秀吉時代の石垣だと分かったそうです。
∽∽∽∽∽ ひとりごと
∽∽∽∽∽
現在の大阪城は、豊臣の大坂城の上に徳川の大坂城が築城されて
いたのですね~ ここが石垣の見える場所だと分かってスッキリしました。
売店の方が 『今は蓋をしているので見えないが、あの井戸の上から覗くと
秀吉さんの石垣が見えるよ。』 と調査されたときの様子を話してくれました。
~~~~~~ 今日の誕生花 日比谷花壇より ~~~~~~~
花名 : オミナエシ 花言葉 : 美人
東アジア一帯に分布するオミナエシ属の多年草で、秋の七草の一つとして
知られています。
日当たりの良い山野に生育し、小さい黄色の花をたくさんつけます。
「大坂夏の陣」で焼け落ちた後、新たな天下人となった徳川家康の息子・秀忠と
孫・家光の手によって、二度目の大阪城の建設が行われたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c2/7509e6ac1ed062a64a3f5c8e394aba4d.jpg)
私が探していた、天守閣前の井戸のようなボウリング跡です。
地下に眠る秀吉時代の石垣を 「常時公開・展示できるようにしたい」と・・・
おっしゃっておられるのを聞いたことがあって、そこが上画像の場所だと思って
いたのですが、横の売店で買い物をしたときに聞くとやはりこの場所でした。
それは、昭和三十四年(1959年)の大阪城総合学術調査で地質調査が
行われ、現在の大坂城はもともとあった土地の上に10m以上の盛り土をして
その上に築城されていたことがわかったのです。
この天守閣前のボウリング跡は、その二度目の大阪城建築で秀吉の築いた
石垣などは・・・どうなったのかと? 本丸・天守閣前を調査されたのでした。
そして、その時に地下7.5mの所から石垣が発見されたのです。
しかし、このあたりは縄文人の住居跡であり、石山本願寺・難波の宮跡なので
秀吉時代と断定はされなかったのですが、翌年に徳川幕府の京都・大工頭を
していた中井家のお家から、豊臣時代の大阪城本丸図が発見されたことから
この石垣が、秀吉時代の石垣だと分かったそうです。
∽∽∽∽∽ ひとりごと
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現在の大阪城は、豊臣の大坂城の上に徳川の大坂城が築城されて
いたのですね~ ここが石垣の見える場所だと分かってスッキリしました。
売店の方が 『今は蓋をしているので見えないが、あの井戸の上から覗くと
秀吉さんの石垣が見えるよ。』 と調査されたときの様子を話してくれました。
~~~~~~ 今日の誕生花 日比谷花壇より ~~~~~~~
花名 : オミナエシ 花言葉 : 美人
東アジア一帯に分布するオミナエシ属の多年草で、秋の七草の一つとして
知られています。
日当たりの良い山野に生育し、小さい黄色の花をたくさんつけます。