2011年9月9日(金)の毎日新聞に、上画像の記事が載ってました。
その記事によると・・・
7世紀ごろの創建とされる高槻市の古代寺院「梶原寺」は、現存しないが
同市梶原の畑山神社付近に、地域の豪族が建立したとされ 「正倉院文書」
「今昔物語集」にも、寺院の存在が記述されています。
その 「梶原寺」 跡から礎石 (そせき) がみつかり、柱を載せる「柱座」が
2カ所確認されたことから、市教委は「寺の建て替えに伴って礎石が再利用
された様子がうかがえる、貴重な資料としています。
この石は、地元住民が7、8年前に自宅に塀を作るため地面を掘り起こした
際に出土し、今年5月に近くで発掘調査をしていた市教委に報告しました。
調査で、同じ時代の寺の礎石などと形状が似ていることや、梶原寺以外の
建物が当時その場所になかったことから、「梶原寺の伽藍 (がらん) に
使われていた礎石とみられる」 との結果をまとめたそうです。
礎石は花崗(かこう)岩で、一番長い辺が約1m、高さ約30cmの直方体の
ような形で、柱を載せるため丸くかたどった柱座が、上面 (直径約50センチ)
と、底面 (同約70cm) の2カ所あり、「両面に柱座があるのは珍しい事例」
だと、市教委の方が話されていたそうです。
その礎石は、この畑山神社 (はたやまじんじゃ) 境内に展示されています。
2010年11月06日 撮影
古代、瓦葺きの建物は、寺院や宮殿、役所の中心建物などに限られており
東大寺用の瓦6,000枚は、梶原寺の裏山に築かれた瓦窯で焼かれ
淀川・木津川の水運を利用して奈良の東大寺へ納められたとみられています。
また梶原瓦窯跡では、飛鳥寺と同じ文様の瓦(奈良時代)を焼いていたことも
確認されています。
∽∽∽∽∽ ひとりごと ∽∽∽∽∽
畑山 (はたやまじんじゃ)神社の写真は、高槻しろあと歴史館の
「幕末の京都を歩く歴史ウォーク」 に参加したときに撮ったもので
裏山に築かれた梶原瓦窯跡が、印象に残っていた神社でした。
礎石 (そせき)とは、建造物の 「いしずえ (基礎となる大切なもの)」 であり
基礎に据え柱や土台が、直接地面に触れて腐食劣化するのを防ぎます。
~~~~~~ 今日の誕生花 日比谷花壇より ~~~~~~~
花名 : サルスベリ 花言葉 : 雄弁
中国南部原産の落葉小高木です。キョウチクトウと共に夏を代表するような
花です。木の幹は白くなめらかで、木登り上手なサルも足を滑らせるほどだと
いうのが名前の由来です。