特別公開の季節になると行きたい所はたくさんありますが、今年は・・・
「有栖川宮旧邸(ありすがわみやのきゅうてい)」に行ってきました。
( 四親王家は、伏見宮・閑院宮・有栖川宮・桂宮を言います。)
京都御所の一般公開に合わせて特別公開され
特別公開は、10/30(金)から11/3(火)まで(11月3日 )
有栖川宮家の屋敷は当初、京都御所の建礼門前に建てられていましたが、京都裁判所の仮庁舎として使用されたあと、屋敷の主要部分が烏丸通りに面した現在の場所に移築されたそうです。
その後は京都地方裁判所の所長宿舎として使われ宿舎の退去に伴って、2008年に平安女学院が買い取り、現在は「有栖館」として保存・利用されています。
書院造りで3つの棟から構成されている主屋は、国の登録有形文化財に指定。
手入れの行き届いた庭から、平安女学院の建物が見えてます。
こちらからは床の間ですが、宮さまのお座りするところで
宮さまにとっての床の間は、写真の右に見えるのが床の間だそうです。
左には付書院(つけしょいん)
床の間脇の縁側沿いにある開口部で、座敷飾りのための場所でもあり原型は出し文机(ふくづえ)と称された貴族・僧侶の私室につくられた出窓状の施設です。開口部に小障子を入れ、机を造付けにして読書の場所として使用されていたそうです。
「鞘(さや)の間」は、書院造りの畳敷きの縁側のような細長い部屋です。
襖の引き手です。
お庭には枝垂桜が2本あります。
この枝垂桜は、昭和27(1952)年に醍醐寺三宝院内の実生(みしょう:種子から発芽したばかりの植物のこと)の桜を移植したもので、秀吉が醍醐の花見を催した当時の桜の孫に当たるといわれています。
烏丸通りから枝垂桜が塀越しに見えるので、通られたときはご覧ください。
「青天門」国の登録有形文化財に指定されています。
扉は、けやきの立派な一枚板です。
青天門の説明です。
青天門は、この場所から少し南の方にあったそうです。
「有栖川宮旧邸(ありすがわみやのきゅうてい)」に行ってきました。
( 四親王家は、伏見宮・閑院宮・有栖川宮・桂宮を言います。)
京都御所の一般公開に合わせて特別公開され
特別公開は、10/30(金)から11/3(火)まで(11月3日 )
有栖川宮家の屋敷は当初、京都御所の建礼門前に建てられていましたが、京都裁判所の仮庁舎として使用されたあと、屋敷の主要部分が烏丸通りに面した現在の場所に移築されたそうです。
その後は京都地方裁判所の所長宿舎として使われ宿舎の退去に伴って、2008年に平安女学院が買い取り、現在は「有栖館」として保存・利用されています。
書院造りで3つの棟から構成されている主屋は、国の登録有形文化財に指定。
手入れの行き届いた庭から、平安女学院の建物が見えてます。
こちらからは床の間ですが、宮さまのお座りするところで
宮さまにとっての床の間は、写真の右に見えるのが床の間だそうです。
左には付書院(つけしょいん)
床の間脇の縁側沿いにある開口部で、座敷飾りのための場所でもあり原型は出し文机(ふくづえ)と称された貴族・僧侶の私室につくられた出窓状の施設です。開口部に小障子を入れ、机を造付けにして読書の場所として使用されていたそうです。
「鞘(さや)の間」は、書院造りの畳敷きの縁側のような細長い部屋です。
襖の引き手です。
お庭には枝垂桜が2本あります。
この枝垂桜は、昭和27(1952)年に醍醐寺三宝院内の実生(みしょう:種子から発芽したばかりの植物のこと)の桜を移植したもので、秀吉が醍醐の花見を催した当時の桜の孫に当たるといわれています。
烏丸通りから枝垂桜が塀越しに見えるので、通られたときはご覧ください。
「青天門」国の登録有形文化財に指定されています。
扉は、けやきの立派な一枚板です。
青天門の説明です。
青天門は、この場所から少し南の方にあったそうです。