
西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが約300mもあるので
とても長いという意味で、通称「百間廊下」と呼ばれているそうです。

百間廊下の入口です。

建物内の城内側は部屋になっていて、納戸などの小さな部屋が幾つもありますが
ここは、西の丸御殿(長局)で働く女中が住んでいた部屋のようです。

建物の城外側は、城外からの攻撃に対する防御機能もありました。
お城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防御上の弱点だったため
城外側(西)に向けて格子窓や狭間がいくつも備えられたそうです。

格子は木芯に鉄板を張り、その上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られており
戦時には、廊下に鉄砲隊を配備すれば強力な防御となり、雨天でも火縄銃で
射撃ができる利点はありましたが、もちろん普段は男子禁制だったそうです。

千姫が娘の勝姫と「貝合わせ」に興じている人形が展示されています。
(茨城県常総市の弘経寺に伝えられる「千姫姿絵」を参考に再現)

城内からみた長局(百間廊下)

西の丸化粧櫓
徳川家康の孫娘「千姫」が本多忠刻に嫁いだ際に、将軍家から贈られた
10万石の化粧料の一部を使って建設されたと言われる櫓です。
階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室、部屋には極才色の豪華な装飾が
施されていたそうです。千姫がお城の西北にある男山天満宮を遥拝する際に
休息所としてこの化粧櫓を使用したといわれています。