「をの門跡」
「いの門」から「ぬの門」を経て大天守へ向かう道を下道といいます。
「をの門」は、その下道の最初の門になります。
「をの門」と「りの櫓」は、明治15年に(1882)2月の失火で消滅しました。
ここにも狭間があります。
この井戸は、 深さ8.8メートル、水深約2.7メートル です。
お城を築く時には、お水を確保するかが最も重要であり城外に水源を求めると、籠城戦となったときに、攻めて手に水路を断たれたり汚物や毒物を投入される危険があるので、安全な水源は城内の井戸になります。
姫路城では、内曲輪(うちくるわ)だけで33ヵ所の井戸がありました。
現在は11ヵ所が残っています。井戸の中には深さが約20から30メートルの
ものもあり、姫山の岩盤に届く深さになるそうです。
この四角の堀は「三国濠」と呼ばれ、広さは約2500平方メートルあります。
名前の由来は、池田輝政が「播磨、淡路、備前」の3カ国から
人夫を集めて築いたことから言われているそうです。
城内からみた菱門です。
写真の右側に「百間廊下や化粧櫓」のあった「西の丸」へ行く道があります。