kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

奈良県北葛城郡広陵町のマンホールは「かぐや姫」でした。

2018年05月15日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

奈良県北葛城郡広陵町を歩いてきました。
すると、マンホールに「かぐや姫」の文字が書かれています。
ここに来るまで知らなかったのですが・・・

広陵町のホームページによると
伝承のかぐや姫『竹取物語』に書かれた竹取翁(讃岐造)とかぐや姫の住んでいたところは、讃岐氏に関係のある「讃岐神社」のことですが、讃岐と名付けられた神社のあるところは、大和国(現在の奈良県)内では奈良県北葛城郡広陵町だけです。

讃岐神社は今も巣山古墳の近くの竹やぶに囲まれて、ひっそりと鎮座しています。江戸時代までこの広陵町は、大和国広瀬郡散吉郷と『和名抄』(九三〇)に記載されています。讃岐と散吉は同音・同意であり、同じと考えられます。

最初竹取翁の住まいを大和国広瀬郡散吉郷(現在の広陵町)と発表したのは
大阪市立大学講師塚原鉄雄氏で昭和二十九年でした。
それ以来、岩波・新潮・講談社の『竹取物語注釈書』ではこの説を使っています。


「源氏物語」の中では、『竹取物語』は、かぐや姫に求婚する五人の貴公子の官職と名前がはっきり書かれているそうです。かぐや姫は架空の人物かも知れませんが、姫に求婚する五人と同じ官職と名前が『日本書紀』に記載されているそうなので、伝承のかぐや姫だと思ってましたが、いまの広陵町に「かぐや姫」のような美しい女人がいたのかもわかりませんね・・・。
コメント
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