kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大阪・高槻市「史蹟 番田大樋から玉川まで」2022/01/28

2022年03月13日 | ハイキング・登山
今年の1月に友人から誘って頂いたのは
 友人:玉川まで歩きませんか?
 kiko:えっ! 玉川まで遠いけど歩いて・・・
 友人:何度も歩いているけど大丈夫。


番田大樋(ばんだ おおひ)

ここは、スタート地点の番田にある水門です。

友人から「高槻の下水は、何処に流れているか知ってる?」
と言われて、今まで考えたことは無いけど川ですよね。
そして、その下水がここに流れていることを初めて知りました。

慶安3年(1650)高槻は大洪水に見舞われ、淀川沿いの村々では収穫が半減するなど被害を受けました。
これを契機に、翌4年から高槻藩主 永井直清により、番田の排水路(井路)掘削工事が行われる事になりました。


ここは、色んな水路(下水)から集まっているそうです。

これは、天井川である芥川の川底の下を横断する木管で
番田井路と天正年間に完成した三箇牧井路を結ぶものでした。

工事は承応2年(1653)に完成し、番田の悪水は柱本で淀川に流されるようになりました。
でも、淀川川床の上昇のために改修が必要になり、元禄13年(1700)から、京都の高瀬川開削で知られる川村瑞賢の監督で再工事が行われ西に井路を、番田から芝生・玉川・安威川を経て神崎川へ至る経路を開削しました。


その後も改修が行われました・・・が

大正6年(1917)の大塚切れと呼ばれる大洪水を機会に大正12年(1923)改修工事が着工され、大正15年(1926)に2艘の樋を統合改築する工事が完成しました。大樋は、鉄筋コンクリート製で樋門の正面は赤煉瓦の構造物だったそうです。


番田側から流れてきた水は
玉川から安威川を経て神崎川へと流れます。


それでは、玉川へ向かって歩いて行きます。


写真左の道を歩いて行きます。


ここは、人も少なく豊富な水に囲まれて
水鳥の天国です。


そして、あの怖かった北大阪地震の傷跡が残っています。


歩いて行くと橋があり、いま歩いてきた道が
車の通る道路に遮られていますが


信号のない車道を渡ると、今までのような道が続いています。


ここは、水鳥のオアシスですね。


かわいいですね。(^^♪


何処を見ても、水鳥が見えます。


団地の方に架かる橋があります。


そして、何度も見た合流地点です。

もうすぐ目的地の玉川です・・・うの花で知られる玉川へ続きます。
コメント
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