⑦ 信貴山雄岳頂上に立つ「空鉢護法堂への参道」の続きです。
朝、雨戸を開けると金木犀の良い香りがして
幸せな気分で1日を迎えています。
星祭り本尊8体の石像
信貴山城址
石像の後ろに碑が見えています。
今は整備された道ですが、昔の人は山道を一晩も二晩も歩いていたのです。そんな事を思いながら・・・上がってきましたが、コロナ騒動から運動不足になっていたのを実感しています。"(-""-)"
建物の中に、100年前の写真がありました。
そして空鉢護法堂が目の前にあります。(^^♪
朝護孫子寺の「手水舎」で
ポットに入れたお水はお供えして
お供え後のお水は、この中へ入れます。
空鉢護法堂(一願成就)
「朝護孫子寺」と同じ南方向の
標高437m「雄獄(おだけ)」からの眺望です。
正面に見えるのは、本殿からも見えた「葛城山」です。
3体の石造の蛇(巳)は、龍神の姿を蛇に見立てたもので
「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています。
空鉢護法堂
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻 「飛倉の巻」の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。 朝護孫子寺のHPより
空鉢護法堂の周囲には十数体の祠があります。
八王大龍王大神
天龍大神
白瀧大神
空鉢宝龍
ここは「空鉢護法堂」の裏側です。
空鉢宝龍
「空鉢護法堂」を後にして下山しますが
上がって来た時に見た「信貴山城址」へ行きました。
信貴山城址の碑は、信貴山城の本丸跡です。
東西550m、南北700mもあり、奈良県で最大規模の山城は
奈良県下最大規模を有する中世城郭でした。
永禄2年(1559)この城の新たな主として松永久秀が入城、信長が久秀の命と引換えに望んだ天下の名器「平蜘蛛の茶釜」に火薬を仕込み爆死したともいわれているます。
その日は、久秀が筒井・三好三人衆との戦いにおいて
東大寺大仏殿を焼いたとされる日と一致していることから、その因果(仏罰)だといわれています。
この後、信貴山山頂から下って「玉蔵院」へ
長くなりますので、次へと続きます。(^^ゞ
朝、雨戸を開けると金木犀の良い香りがして
幸せな気分で1日を迎えています。
星祭り本尊8体の石像
信貴山城址
石像の後ろに碑が見えています。
今は整備された道ですが、昔の人は山道を一晩も二晩も歩いていたのです。そんな事を思いながら・・・上がってきましたが、コロナ騒動から運動不足になっていたのを実感しています。"(-""-)"
建物の中に、100年前の写真がありました。
そして空鉢護法堂が目の前にあります。(^^♪
朝護孫子寺の「手水舎」で
ポットに入れたお水はお供えして
お供え後のお水は、この中へ入れます。
空鉢護法堂(一願成就)
「朝護孫子寺」と同じ南方向の
標高437m「雄獄(おだけ)」からの眺望です。
正面に見えるのは、本殿からも見えた「葛城山」です。
3体の石造の蛇(巳)は、龍神の姿を蛇に見立てたもので
「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています。
空鉢護法堂
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻 「飛倉の巻」の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。 朝護孫子寺のHPより
空鉢護法堂の周囲には十数体の祠があります。
八王大龍王大神
天龍大神
白瀧大神
空鉢宝龍
ここは「空鉢護法堂」の裏側です。
空鉢宝龍
「空鉢護法堂」を後にして下山しますが
上がって来た時に見た「信貴山城址」へ行きました。
信貴山城址の碑は、信貴山城の本丸跡です。
東西550m、南北700mもあり、奈良県で最大規模の山城は
奈良県下最大規模を有する中世城郭でした。
永禄2年(1559)この城の新たな主として松永久秀が入城、信長が久秀の命と引換えに望んだ天下の名器「平蜘蛛の茶釜」に火薬を仕込み爆死したともいわれているます。
その日は、久秀が筒井・三好三人衆との戦いにおいて
東大寺大仏殿を焼いたとされる日と一致していることから、その因果(仏罰)だといわれています。
この後、信貴山山頂から下って「玉蔵院」へ
長くなりますので、次へと続きます。(^^ゞ