服部生まれの地域史研究家「古藤先生」が、清水地区の案内と説明をして下さいました。
この「清水戸手(用水)」の規模は東西9尺5寸、南北1丈8尺、面積4坪余りです。
地 図
「戸」とは「水流の出入り口」であり、戸出は地面よりも高く自噴する湧水で
溜め池ではなく、井戸に相当するが、通常用水芥川系とは別の次元で
地下水脈伏流水系は、涸れる事がなく水利機構が成立していたそうです。
服部村田地区は、自村に限らず他村の戸手用水の供給源であった事が
明細帳の「隣村郡家村からの毎年2升4合の越石米」で認められ
郡家村の用水に関わって、服部村田内に戸手が設けられていたことを示していました。
(高槻市史資料編より)
写真もわかりやすいです。
こちらで復習させて頂きますね
ほんと分かりやすいですね。kikoさんの記事。。。
あと、この戸出を含む水のお話を聞いてから、いろんな車で走っていても、いままでとちがう捉え方をしています。
で、みんなのブログが「高槻だらけ・・」になるのが嬉しい今日のこのごろでした。
また、続編も楽しみにしていまーす。
必要があるかないか分かりませんが、自然の恵みを人間の手で潰してしまうのはもったいないです。
富田の酒はどの程度の地下から水をくみ上げているのか気になります。
ごく最近まで、大阪市内や京都市内でも十分な湧水があったそうですが、地下鉄工事などで、水脈が切られた話も聞きました。
でも、今回は、大変勉強になりました。
まだまだ、高槻のええとこは、ええとこのまま保たれていくでしょう。
いつもながら楽しいツアーでしたね~ (^^♪
私は、Seraさんの記事を拝見して
先生の話を聞き逃した部分を知る事が多いです (^^ゞ
・・・と、yumiちゃんに、よろしくお伝え下さい。
そして、お疲れさまでした~
高槻には、まだまだ“ええとこ”がいっぱいですね!
お話を聞いて、何も考えないで通っていた所が
今までと違って親しみのある所になりました。
高槻のええとこを、このまま残したいですね (^^ゞ
水の確保が大変な時代を思うと
水脈を切るなんて、考えられない事ですね~
自分の首を絞めているようなものです(-_-;)
壽酒造さんに見学に行った時に聞いた話しですが
一番初めの井戸は浅くても残っているそうですが
幾つかの井戸は深くても涸れたそうです。