kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

わがまち再発見ツアー② 「寒天小屋」

2009年03月02日 | 大阪・滋賀・奈良 他
2009年3月1日(日)晴れ
服部の寒天小屋跡です・・・この地域には、寒天小屋がたくさんあったそうです。
高槻に寒天作りを広められた「宮田半平さん」の顕彰碑がある 門力寺 から近くです。


寒天作りの5軒に1軒は成功して立派な家を建てられたそうですが、他の4軒は
駄目だったそうです・・・この寒天作りにも、勝ち組と負け組みがあったのですね~。

*清水地区は、以前「服部村」と呼ばれていましたが、明治22(1889)年町村制の
施行に伴い、服部村と近隣の真上、原、萩谷の4ケ村が合併して出来た新しい呼称です。
地 図
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わがまち再発見ツアー① 「清... | トップ | わがまち再発見ツアー③ 「川... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (銭無のとっつあん)
2009-03-03 15:01:44
今回の目的の一つに天場(寒天小屋)がありました。
というか、服部地区で、本当に寒天が作られていたのか疑問だったのです。
今の田能あたりでは納得なのですが…。

あったどころか盛況だったので驚いています。

出稼ぎの人が、たくさん来ていた話も…、現状を考えるともったいない気がしますが…。

リスクも苦労も多く、経営が大変だったとは…、
これが、ヨシ原の利用にも影響し、「夏籠」にも影響しているとは…、
なんと考えればいいのか、難しいです。
返信する
とっつあんさんへ (kiko)
2009-03-05 11:56:21
昨年、聞力寺さんに行った時に・・・
ここが寒天発祥の地だと知りました。

寒天は「原」のものだと思ってましたが
古藤先生の説明で、服部が寒天の地だと納得できました (^^ゞ

昔の人が頑張って守って来られたものが
どんなに大切なものだったのか
何れ分かる時が来るのでしょうね (-_-;)
返信する
出稼ぎの方たち (兄貴mom)
2009-03-05 14:48:09
寒天作りの人夫さんたちが、日本海の福井や富山から
来て、そのまま服部に住まわれたりしたとか。
亀岡、小浜からも。
再発見ツアー、⑤シリーズまで
参加されない方たちにも、よくわかりますよ。
すごーい解説に感服
返信する
兄貴momさんへ (kiko)
2009-03-05 23:27:12
昔から人の話をきちんと聞かないのは・・・
どうも、まだ直ってないようですね (^_-)-☆

出稼ぎの人達の事を、補足して頂き
ありがとうございます (^^ゞ
とっつあんさんにも、補足して頂きました。

再発見ツアー楽しかったですね~
また行きましょうね!
返信する

コメントを投稿

大阪・滋賀・奈良 他」カテゴリの最新記事