kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・粟生光明寺 ④「御影堂→釈迦堂(方丈)→信楽庭(弥陀三尊の姿)」

2022年12月07日 | 京都
③「御影堂→法然上人の「石棺」→モミ→阿弥陀堂」のつづき
 阿弥陀堂(写真禁止)を出て「御影堂」へ向かいます。


阿弥陀堂と御影堂とは渡り廊下で繋がっています。

御影堂(みえどう)

御影堂からは入れないので「阿弥陀堂」から入ってきました。


御影堂(写真禁止)を出たところです。
順路に沿って渡り廊下のある方向に向かいます。


この渡り廊下は「釈迦堂(方丈)」へと繋がっています。


右側は御影堂の裏側で、先には阿弥陀堂が見えています。


渡り廊下を行くと、その先は何段もある下り階段です。


階段の途中からお庭が見えています。

釈迦堂前に広がる石庭 信楽庭(しんぎょうてい)

階段を下りたところは、信楽庭でした。

白砂に大小十八個の石を配して、弥陀三尊を仰ぎつつ、一人の行者が生死の大海を渡っていく姿を現しています。

昭和36年、第75世霊空賢龍上人代に造園される。信楽は信とは信じる、楽とは願う、つまり信じ願えば必ず救われるという意味です。

阿弥陀仏の事を説明している無量寿経の一節「至心信楽欲生我国(心から我が国に生まれたいと信じ願って)」より引用。

釈迦堂

寺宝展が開催されていたので入ってみます。

普段見ることのできない光明寺の寺宝の展示会です。
浄土曼荼羅などが公開されていました。(写真禁止)

釈迦堂 方丈

釈迦堂の創立は延宝以前ですが、享保の火災で焼け
その後、元文元年(1736)に再建されました。

お堂に祀る「頬やけの釈迦如来」は
左手に鉄鉢、右手に錫杖を持つ姿で、頬にやけどの跡があるところから「頬やけの釈迦如来」と呼ばれています。

淀の水津村の漁師で悪次郎とあだ名されたほどの乱暴者が、托鉢の僧(お釈迦様)と出会って心を入れ替えるという物語に登場する仏像で、頬には悪次郎に鉄火箸で焼かれた跡が残っていました。

勅使門

庭から見える門は
朝廷からの勅使参向のとき、勅使の通行に使われる門です。

万延元年(1860)第59世誠空仙意上人代建造され、平成30年に修復。四脚門で檜皮葺、切妻造の屋根の前後に軒唐破風を備え唐戸をたてていることから、唐門とも呼ばれています。


信楽庭を後にします。

「法然上人御火葬跡」へ続きます。

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