京都最古の禅寺 「建仁寺 (けんにんじ)」 2011年5月
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建仁寺さんは、臨済宗建仁派の大本山です。
開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁二年(1202)です。
寺名の由来は
当時の年号「建仁」から名付けられています。
創建当時は天台・密教・禅の3宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となり、八百年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。
イケメン(不謹慎ですが)の話し上手なお坊さんが寺院の中を案内して下さると知り、友人と一緒に説明を聞かせて頂くことにしました。(^^ゞ
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建仁寺さんに入ったところ から、上部分を撮っています。
(画像の下部分に見えているのが入口の引き戸)
最初に頂いた説明は、私達がお寺に入る時の入口はほとんどが台所だった場所なのだそうです。その見分け方として教えて頂いたのは、入口の上を見るとこのような窓があるそうです。
(これからはお寺に入ったら、先ず入口の上を見るようにします。)
雲龍図襖
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海北友松 ( かいほうゆうしょう) 筆
次に案内して頂いたのは、普段は立ち入り禁止になっている 「礼の間」 でしたが、今日はお寺さんの案内があり、嬉しいことに部屋の中に入り近くで拝見させて頂けました。
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建仁寺方丈に描かれた障壁画は、全部で五十面あるそうです。
キャノンさんの素晴らしい技術で、複製図だとは思えない雲龍図でした。本物は全て軸装され京都国立博物館に重要文化財として保管されているそうです。 (この襖は、キャノンさんより制作された高精細複製品)
達磨の絵 「洞黙雷」
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臨済宗建仁寺派 第4代管長を務められた
竹田黙雷(たけだ もくらい)禅師の達磨画です。
この掛け軸に描かれている 「無功徳 (むくどく)」 とは
昔、中国・梁の武帝に達磨大師が面会した時に、武帝が 「私は沢山の寺院を建て多くの人を救い写経も仏像も沢山作りました。どのような功徳があろうか」と大師に尋ねられたところ、達磨さんは「無功徳 (むくどく)」と即答されたそうです。 -お坊さまのお話しよりー
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建仁寺さんの左上の「二引の桐文」と同じものが、床の間の側面に(白線内)幾つも見えていましたが、お分かりになるでしょうか?
お坊さまから「達磨さんの 七転び八起き」 についてお話がありました。
「七転び八起きと言いますが、一回転んで起きたら一回起きる。」
「ですよね~」
「七回転んだら起きるのは七回になりますが、あとの一回は・・・?」
「それは、人間は生れてきた時は寝ていますが」
「周囲の人びとに支えて頂いて起きることができたのです。」
「その支えて頂いた感謝を忘れないで・・・」
「その一回を足して七転び八起きと言われています。」
このお話を聞いた時に、初めて歩いた時の1回だと知りました。
ニュースで見る事件などは、ほとんどが身勝手から起きています。
周りの人から支えて貰っていることを忘れては駄目ですね。
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建仁寺さんは、臨済宗建仁派の大本山です。
開山は栄西禅師。開基は源頼家。鎌倉時代の建仁二年(1202)です。
寺名の由来は
当時の年号「建仁」から名付けられています。
創建当時は天台・密教・禅の3宗兼学でしたが、第十一世蘭渓道隆の時から純粋な臨済禅の道場となり、八百年の時を経て、今も禅の道場として広く人々の心のよりどころとなっています。
イケメン(不謹慎ですが)の話し上手なお坊さんが寺院の中を案内して下さると知り、友人と一緒に説明を聞かせて頂くことにしました。(^^ゞ
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建仁寺さんに入ったところ から、上部分を撮っています。
(画像の下部分に見えているのが入口の引き戸)
最初に頂いた説明は、私達がお寺に入る時の入口はほとんどが台所だった場所なのだそうです。その見分け方として教えて頂いたのは、入口の上を見るとこのような窓があるそうです。
(これからはお寺に入ったら、先ず入口の上を見るようにします。)
雲龍図襖
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海北友松 ( かいほうゆうしょう) 筆
次に案内して頂いたのは、普段は立ち入り禁止になっている 「礼の間」 でしたが、今日はお寺さんの案内があり、嬉しいことに部屋の中に入り近くで拝見させて頂けました。
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建仁寺方丈に描かれた障壁画は、全部で五十面あるそうです。
キャノンさんの素晴らしい技術で、複製図だとは思えない雲龍図でした。本物は全て軸装され京都国立博物館に重要文化財として保管されているそうです。 (この襖は、キャノンさんより制作された高精細複製品)
達磨の絵 「洞黙雷」
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臨済宗建仁寺派 第4代管長を務められた
竹田黙雷(たけだ もくらい)禅師の達磨画です。
この掛け軸に描かれている 「無功徳 (むくどく)」 とは
昔、中国・梁の武帝に達磨大師が面会した時に、武帝が 「私は沢山の寺院を建て多くの人を救い写経も仏像も沢山作りました。どのような功徳があろうか」と大師に尋ねられたところ、達磨さんは「無功徳 (むくどく)」と即答されたそうです。 -お坊さまのお話しよりー
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建仁寺さんの左上の「二引の桐文」と同じものが、床の間の側面に(白線内)幾つも見えていましたが、お分かりになるでしょうか?
お坊さまから「達磨さんの 七転び八起き」 についてお話がありました。
「七転び八起きと言いますが、一回転んで起きたら一回起きる。」
「ですよね~」
「七回転んだら起きるのは七回になりますが、あとの一回は・・・?」
「それは、人間は生れてきた時は寝ていますが」
「周囲の人びとに支えて頂いて起きることができたのです。」
「その支えて頂いた感謝を忘れないで・・・」
「その一回を足して七転び八起きと言われています。」
このお話を聞いた時に、初めて歩いた時の1回だと知りました。
ニュースで見る事件などは、ほとんどが身勝手から起きています。
周りの人から支えて貰っていることを忘れては駄目ですね。
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