健康ハイキング「青龍三年の丘 安満宮山古墳」のつづきです。
安満山を下りて「磐手杜神社」へ
この地点から、①~③は磐手杜神社までの順路です。
地図①
名神高速道路が目の前に見えています。
名神高速道路の下です。
左側の檜尾川(ひおがわ)に沿っていきます。
左側に「右 総持寺」とありますが方向的には
右側の正面から見て、右側が「総持寺」なのかな・・・?
左側は、名神高速道路と檜尾川です。
地図②
上写真の左に見える、檜尾川に架かる橋を渡ります。
正面は、名神高速道路です。
地図③
橋を渡ってから、右の檜尾川に沿って進みます。
磐手杜神社(いわてもり じんじゃ)
安満山の南西麓にあり
桧尾川に面してもとは安満神社といいました。
高槻市安満磐手町にある神社です。
とんど焼の跡が・・・
何年も前の5月5日に来たことがありますが
その時は「神輿渡御神事(通称 馬祭)」でした。
夜啼石
高槻城主永井近江守の老臣長田文八郎氏が、この奇岩に目を付けて持ち帰り、自分の庭に置いたところ毎夜「あま(安満)へいのう~」と繰り返し啼いたので再び社頭に返されたと言われています。
拝殿 絵馬
社頭の森は磐手の杜と呼ばれ、歌枕として名高く、毎年1月15日には、氏子がそろって参詣し粥占いの神事を行い、その年の穀物の豊凶を占います。
中央に「春日大明神の扁額」があります。
12世紀頃に春日神社に改めて、タケミカヅチノミコト・フツヌシノミコトなどを祭神とし、明治44年(1911)に現在の社名になりました。 だから「春日大明神の扁額」があったのですね。
春日橋
春日を冠したのは、当時安満一帯が奈良春日神社の荘園となって、村の鎮守に春日大名神を勧請(かんじょう)したためとみられています。
毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼として、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
追記
「安満宮山古墳」から行きましたが、JR高槻駅南口・阪急高槻市駅から市営バス<梶原東>行き「安満」下車、徒歩約10分です。
安満山を下りて「磐手杜神社」へ
この地点から、①~③は磐手杜神社までの順路です。
地図①
名神高速道路が目の前に見えています。
名神高速道路の下です。
左側の檜尾川(ひおがわ)に沿っていきます。
左側に「右 総持寺」とありますが方向的には
右側の正面から見て、右側が「総持寺」なのかな・・・?
左側は、名神高速道路と檜尾川です。
地図②
上写真の左に見える、檜尾川に架かる橋を渡ります。
正面は、名神高速道路です。
地図③
橋を渡ってから、右の檜尾川に沿って進みます。
磐手杜神社(いわてもり じんじゃ)
安満山の南西麓にあり
桧尾川に面してもとは安満神社といいました。
高槻市安満磐手町にある神社です。
とんど焼の跡が・・・
何年も前の5月5日に来たことがありますが
その時は「神輿渡御神事(通称 馬祭)」でした。
夜啼石
高槻城主永井近江守の老臣長田文八郎氏が、この奇岩に目を付けて持ち帰り、自分の庭に置いたところ毎夜「あま(安満)へいのう~」と繰り返し啼いたので再び社頭に返されたと言われています。
拝殿 絵馬
社頭の森は磐手の杜と呼ばれ、歌枕として名高く、毎年1月15日には、氏子がそろって参詣し粥占いの神事を行い、その年の穀物の豊凶を占います。
中央に「春日大明神の扁額」があります。
12世紀頃に春日神社に改めて、タケミカヅチノミコト・フツヌシノミコトなどを祭神とし、明治44年(1911)に現在の社名になりました。 だから「春日大明神の扁額」があったのですね。
春日橋
春日を冠したのは、当時安満一帯が奈良春日神社の荘園となって、村の鎮守に春日大名神を勧請(かんじょう)したためとみられています。
毎年5月5日には、稚児が乗った三頭の馬が神輿とともに神社を巡る「神輿渡御神事(通称:馬祭)」が行われます。
五穀豊穣と村の安寧を願う農耕儀礼として、村の神事祭礼を担ってきた宮座が中心となり、伝統の祭りを守り伝えています。
追記
「安満宮山古墳」から行きましたが、JR高槻駅南口・阪急高槻市駅から市営バス<梶原東>行き「安満」下車、徒歩約10分です。
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