kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

大惨事にならなくて良かったです!

2015年12月12日 | ひとりごと
昨日のことですが・・・JR三宮に10時頃着で出かけていると

お昼過ぎのニュースで
11日午後1時過ぎにJR神戸線の新駅「摩耶駅」の建設現場で工事用の足場が突然崩れ、線路をふさぐように落下したため、JR神戸線・六甲道~灘駅間で建設中の新駅で甲子園口~西明石駅間で運転を見合わせています・・・。

「神戸ルミナリエ」の会場で、11日午前5時半ごろイルミネーションの一部が倒れているのが見つかりましたが安全であることが確認できたので、噴水広場の作品を除き通常通り点灯されるそうです。


いつもより路上の落葉が多いと思ってましたが、昨夜は強風だったのですね。
でも夕方には帰れるだろうと軽く考えていると、どうも無理なことが分かり
JRは諦めて21時30分頃に、三宮から初めて阪急電車で帰ることにしました。
(発生から9時間後の午後22時過ぎに運転が再開されました。)

阪急電車は満員状態だと覚悟して、阪急電車で帰る事にしたのですが・・・
乗車券を買うときに、JRでは810円なのが阪急電車だと半額の400円でした。
間違っていないか何度も確認しても不安でしたが、その時は精算すれば良いと
思って改札口に向かうと、問題なくスッと出ることができました。(*^^*)

30分ほど帰るのは遅くなりましたが、こんなに乗車料金が違うことに驚き!
数年前まで車ばかりで電車に乗らなかったので知らなかっただけなんですね。
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高槻市は「ジャズとアートの街」です!

2015年12月10日 | 大阪


11月30日の未完成のアート は完成してました。

高槻市は5月の3日間がジャズで一色になることは知られていますが
平成27年11月15日(日)に「高槻アート博覧会2015」が開催されました。
高槻市は、ジャズとアートの街でした! (*^^*)
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国宝・姫路城5「ほの門→姥ヶ石(うばがいし)→ 水六門」

2015年12月08日 | 兵庫・神戸市ほか
油壁の横に、背の低い門がありました。


それは小さな「ほの門」で、頭が当たらないようにして通り抜けると・・・


右手に天守群を支える天守台 の石垣がありました。


姫路城の戦国時代の遺構「姥ヶ石(うばがいし)」

「ほの門」をくぐった所の天守の石垣にある「姥が石」は、秀吉の命により大規模な改修工事が行われることになりましたが、「はの門」のように六角形の石灯籠の基礎だった石を転用するほどに、石垣に使う石が不足していました。

そんな時に 城下で餅を売って生活していた貧しい老婆が、お城のためにと自分が使っていた石臼(いしうす)を石垣の材料にしてくれと差し出したのです。小さな石臼でしたが、秀吉は大変喜び早速石垣に使い、秀吉は老婆に感謝して「姥ヶ石」と名付けたそうです。


水一門(みずのいちもん)
「い・ろ・は・に・ほ」の門は天守を取り囲むように続いていましたが


水二門


水三門


水六門

天守に 向かう道には「水 一門から水六門」と別の名前が付けられた門でした。
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国宝・姫路城4「いの門→にの門・十字紋瓦・油壁」

2015年12月07日 | 兵庫・神戸市ほか


「いの門」
菱の門を入って真っ直ぐに進んだところにあります。
いの門の瓦紋が、池田輝政の家紋「揚羽蝶」です。


「ろの門」


「はの門」へ向かう坂道の土塀にも狭間が並んでいます。


「はの門」

姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏
古墳の石棺などの石遺品が石垣や建物の基礎に転用されています。


説明板の左にあるのが「石灯籠の基礎」

「はの門」は礎石に六角形に加工された石材が転用されています。
これは、もともと石灯籠の基礎としてしようされていた石です。


十字紋瓦

「にの門櫓」の唐破風屋根に乗っている鬼瓦に十字紋が彫られています。
この珍しい鬼瓦は、キリシタンだった官兵衛にゆかりがあるという説が・・・


天守閣まで遠いのが分かりますね。


「にの門」が見えてきました。


「にの門」の中です。
門を通ると、またすぐ右に曲がっています。


重要文化財の「油壁」は、「ほの門」へ向かう場所にあります。

 
砂と粘土をモチ米の研ぎ汁で練り固めた築地塀は、信長が倒れ豊臣家も破れると秀吉の姫路城はわずか20年で取り壊されてしまいましたが、豊臣秀吉時代のものと言われる城内で一ヵ所だけ残っている築地塀です。
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ご近所の「スマイルのイルミネーション 」(*^^*)

2015年12月06日 | ひとりごと

毎日、楽しませて頂いてるご近所のイルミネーションです。
LEDになったのかな・・・電球が増えているような気がします。


これは、同じ場所の写真ですが、2013年に撮ったものです。
わぁ~何かがいっぱい見えているのが見えるでしょうか?


少し大きくして見ると、それは 「スマイル」 でした。(^^♪
撮っている私もスマイルです。(*^^*)
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「第21回 神戸ルミナリエ」のニュースを見ていて・・・

2015年12月05日 | 兵庫・神戸市ほか
昨日、鎮魂の光「第21回 神戸ルミナリエ」が LED100%で点灯されました。

1995年に発生した阪神・淡路大震災の犠牲者への鎮魂と、都市の復興・再生への願いを込めた「神戸ルミナリエ」がもう21年です。今年は日本初公開となる屋根付きの回廊「ガレリアコペルタ」が展示されているそうです。

開催期間は13日までで点灯時間は
月~木曜は午後6時~9時半、金曜は夕方6時~10時
土曜日は夕方5時から10時、日曜は夕方5時~9時半


これは、私が2013年に行ったときの写真です。
第19回の作品テーマは「光の記憶 (Memoria della Luce)」。

ニュースを見ていて思い出してました・・・(^_^;)))
その時の「神戸ルミナリエ」は こちら でご覧ください。
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国宝・姫路城3「 □○△形の 狭間(さま)」

2015年12月04日 | 兵庫・神戸市ほか


狭間(さま)

姫路城の土塀や建物の壁に、□○△の形の穴が開いてます。
これを「狭間」といい、天守や櫓、土塀の壁面に開けられた穴から鉄砲や弓矢を射るための防御施設です。現存する狭間の数は997ヵ所で、開けられた位置によって「立狭間」「居狭間」「寝狭間」とも呼ばれています。


この土塀は西の丸の東側に位置し、南北に長く連なっています。
ほかの土塀と異なり。□○△が規則的に並んでいます。


穴の外側が狭く、射撃手がいる内側は穴が大きくなっています。
これは射撃の角度を広げ、敵弾を防ぐための工夫です。
狭間は天守と土塀を合わせて約500個ほど残っているそうです。

白鷺城と呼ばれる姫路城は、美しくて要塞のようなお城です。
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国宝・姫路城の2「百間廊下(ひゃっけんろうか)」

2015年12月02日 | 兵庫・神戸市ほか

西の丸を囲むように築かれた長屋は長さが約300mもあるので
とても長いという意味で、通称「百間廊下」と呼ばれているそうです。


百間廊下の入口です。


建物内の城内側は部屋になっていて、納戸などの小さな部屋が幾つもありますが
ここは、西の丸御殿(長局)で働く女中が住んでいた部屋のようです。


建物の城外側は、城外からの攻撃に対する防御機能もありました。
お城の西側は山がすぐ近くに迫っているため、防御上の弱点だったため
城外側(西)に向けて格子窓や狭間がいくつも備えられたそうです。


格子は木芯に鉄板を張り、その上から漆喰を塗り込んで頑丈に造られており
戦時には、廊下に鉄砲隊を配備すれば強力な防御となり、雨天でも火縄銃で
射撃ができる利点はありましたが、もちろん普段は男子禁制だったそうです。


千姫が娘の勝姫と「貝合わせ」に興じている人形が展示されています。
(茨城県常総市の弘経寺に伝えられる「千姫姿絵」を参考に再現)


城内からみた長局(百間廊下)


西の丸化粧櫓

徳川家康の孫娘「千姫」が本多忠刻に嫁いだ際に、将軍家から贈られた
10万石の化粧料の一部を使って建設されたと言われる櫓です。

階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室、部屋には極才色の豪華な装飾が
施されていたそうです。千姫がお城の西北にある男山天満宮を遥拝する際に
休息所としてこの化粧櫓を使用したといわれています。
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国宝・姫路城の1「菱門と西の丸南門跡」

2015年12月01日 | 兵庫・神戸市ほか
今年の7月に姫路城の天守閣を目指した時の事です。


桜の季節にも姫路城に行ったのですが、その時は待ち時間が長くて天守閣には
入ることが出来ませんでしたので、きれいになった姫路城に再挑戦です。


菱の門

表門にふさわしく格式高い櫓門は、片側だけ石垣に乗る珍しい
安土桃山様式の城門です。


正面の冠木に名前の由来となっている木製の「花菱」が飾られています。


菱門を入ったところから、アップして見る「姫路城」です。


菱門を左折(順路)して、ここは「西の丸」に向かう階段です。
階段の左に説明板があります


「西の丸南門跡」と書かれた説明板によると

ここにはかつて西の丸への南入口の門がありました。番所付きの高麗門で、坂道の真ん中には約40cm角の正方形の礎石が残っています。坂道の西端にもいくつか礎石が残っています。

門の東側には武者溜りがあり、門に接続して細長い建物がありました。菱の門から向かってくる敵に対して射撃をするための石打棚(いしうちだな)のような施設、あるいは番所があったのかもしれません。


階段の下の右側に、説明板に書かれている正方形の礎石があります。


階段を上がったところから見る「姫路城」です。
どこから見ても美しいです! (*^^*)
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