喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

アラスカのフェアバンクスで暮らす教え子

2013-10-02 | ブログ
 今年の7月からアラスカのフェアバンクスという街で暮らす教え子がいる。
今から17年前、伊方中学校に勤めていた頃の教え子。
彼女はもう30歳をこえ、すてきな大人の女性になっている。

 今年結婚し、ご主人の仕事の関係でアラスカに渡った。
 おもしろいもので、彼女が京都で看護師をしているときよりも
日本から5000キロ以上も離れたアラスカに住んでいる今の方がよく連絡を取りあっている。

 先日、こんなうれしい連絡があった。

『昨日の夜、お友だちの家に行き、自転車で旅をされている素敵な方に出逢いました。
その時のことを少しお話させて下さい。
 その方は、Skypeを使って福島の被災地の子どものたちと旅先から青空授業をされています。
また、旅先で資金に困った際にネパールでジーパンを作る会社を立ち上げ、
そのお金の一部を現地の貧しい学校へノートや消しゴムなどを寄付されていたそうです。
 その村の子どもたちは、援助のおかげで教育は無料で受けることができるけれどノートなどを購入するお金はなく、
子供たちは一度使ったノートを消して再度使ったり、消しゴムがないので指で消していたそうです。

 私は以前、バリ島で孤児院を建設するボランティアに行ったことがありますが、
その時の子供たちのことを思い出しました。

 その方は
「自分のために生きる 誰かのために生きる」、
「一生懸命生きる」
当たり前のことだけどとても大切なことをキラキラした瞳で話しておられました。
 
 福島の子供たちもきっと色々なことを感じながらSkypeしているんだろうな〜と思います。
私も同じような思いで今まで看護師の仕事をしてきました。
今日という日にありがとう、今日出会った人にありがとうと感謝しながら、
今の私に何ができるかわかりませんが一生懸命生きたいです。』


 かつての教え子は、今の私などよりもはるかに大きく成長し、
すてきな人生を歩んでいこうとしている。
本当、すばらしい。

 アラスカを旅する日本人。
この方も本当、すごい。

 誰かのために役に立つことができる人でありたい。
秋の夜長、そんなことを感じていた。
 
 日本一細長い佐田岬の田舎と遥かかなたのアラスカがつながっている。

                
                            岬人(はなんちゅう)