喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

喜久家ボランティアの旅立ち ~ロシア出身のアンナ~

2015-10-31 | 喜久家ボランティア
 10月28日のふり返りブログ。

 ロシア、ペルミ出身のアンナの旅立ち。



 アンナの言葉にぐっときた。

「さようならは、言わないよ。」



「じゃあ、またね。」
の返事をする。

            岬人(はなんちゅう)


喜久家ボランティアの旅立ち ~ベトナム出身のミン~

2015-10-31 | 喜久家ボランティア
 10月23日のふり返りブログ。

 今年の夏はいつもの夏以上ににぎやかだった。
ロシアのアザト、フランスのソフィアン、そしてベトナムのミン。

 8月末にアザト、ソフィアンが旅立つ。
すぐにフィンランドのヤッコ、ロシアのアンナが入ってきたのでまた3人でにぎやかな生活。

 そしてついにほぼ3か月の活動を終え、ミンの旅立ちの日がやってきた。
2日前の10月21日。
いつものように慰労会を弟の部屋で行った。

 ミンは、アルコールを全く飲まない。
それでもニコニコとまるで飲んでいるかのように場を和ませてくれる。
そんなミンをみんな大好きだった。



 ベトナムに帰国してからすぐに卒業式を迎え、その後日本かアメリカで働きたいと考えている。
「ベトナムのために働かないの?」
とたずねると、
「今のベトナムの国づくりは好きじゃない」
との返事。

 様々な事情や考え方があるようだ。

 23日の朝。
ついに旅立ちの日がやってきた。
私も出勤を遅らせ、ミンを見送りたいと思った。
待っていると、大きな荷物をさげ、ミンが我が家の前の道路にやってきた。

 髪型を整え、サンダルではなく靴をはいている。
そんな旅立ちのかっこうを見ると、やはりさびしさがこみあげる。

 この暑い夏、ミンたちの作業によって、どれほど助かったことか。
「ミン、これまで本当にありがとう。おかげで助かったよ。」
とお礼を言うと
「あっ、はい」
と短い返事。
目をしっかりと合わそうとしないミンの目に涙がうるんでいた。
それを見て、涙をこらえるので必至だった。

 世界の人口約72億9000万人。
まさに奇跡としかいいようのない出会い。
おかげで人生が豊かになった。

 私は出勤のため車に乗りこみ、いつものように呼びかける。
「じゃあ、またね。」
「はい。」というミンからの返事。

 きっとまた会える気がする。

 喜久家には、また一つ物語ができた。


             岬人(はなんちゅう)