喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

雪の佐田岬、瀬戸内岬海道をドライブ2  小島・田部・神崎・高茂

2017-02-12 | 佐田岬の風景
 2月11日、岬には雪が積もった。
仕事が終わり、久しぶりに瀬戸内側の県道(鳥井・喜木津線)を通って帰った。
 名付けて、瀬戸内岬(はな)海道。

 いつもはまっすぐなメローディーラインを快適にドライブしながらだが、
この道はそうはいかない。

 ぐねぐねした道、連なる鼻と湾。
でもそれぞれに少しづつ違った文化と暮らしが営まれている。
実におもしろい。

 小島の宮の森。
この森は鎮守の森で、希少な動植物の宝庫。


 小島の港


 森の中の小屋


 緑のトンネル


 きれいに切りそろえられた暴風垣


 田部を望む.
昔はこの集落にも小学校があった。


 田部のミニお四国参り



 田部のアーチ型の橋
水源は高茂だろうか。


 山王神社(高茂神社)


 春を待つ養蜂箱


 メロディーラインを走っていては絶対に感じられないものばかり。
便利さ、速さだけを追い求めては、豊かなものを見失うことも多い。
 
 もっと足元をみよう。
そこには、先人たちが暮らした跡やそのつながりが感じられる。

                   岬人(はなんちゅう)

ふなやで懇親会

2017-02-12 | 田舎暮らし
 1週間前の2月5日、職場の日帰り旅行に行った。
旅の最後は、松山道後温泉の伝統あるふなやで懇親会。

 ふなやと言えば、皇室御用達の格式高い宿。
初めての利用だった。
 
「ふなやは、現存する宿としては道後温泉でもっとも古い歴史を誇る。
その存在は、多くの著名人や文化人にも一度は泊まってみたい宿として羨望の的だった。
 明治27年(1894)松山に教師として赴任した年の秋、夏目漱石は念願を果たし
「はじめての 鮒屋泊りを しぐれけり」
と句にしたため、正岡子規や高浜虚子ら松山ゆかりの文人も多く訪れ、
また皇室御用達の宿ともなった。
その輝かしい歴史はいまなお、ふなやの伝統として受け継がれている。


 1600坪の敷地を占める宿の多くの部分が日本庭園に割かれ、
宿の建物はこの庭園をとりかこむ形で本館と別館が建てられている。
 
 日本庭園は夜にライトアップされ、明治時代に建てられたという茅葺きの庭門が幻想的な雰囲気を醸しだしているのもまた、
この宿の格式と伝統を物語っているかのようだ。
 緑の多い日本庭園は多くの客室や浴場、ロビーに続くガーデンテラスなどからも美しく望め、訪れる人に安らぎを与えている。

 日本庭園の敷地内を流れる川は、人工の川ではなく、自然のままの御手洗川だ。
旅館の庭園内とも思えないほど、流れはけっこう急だ。
 正岡子規が「亭ところどころ渓に橋ある紅葉哉」
と詠んだのは、本館と別館をつなぐ「もみじ橋」あたり。

 浴場は別館の2階と3階に設けられており、本館に泊まった人は風呂に入りに行くたびに、
子規が詠んだ情趣を味わうことができる。

 夏にはホタルが舞う清流脇には、風流に食事が楽しめる川席がある。」

 ゆっくりと温泉に入り、いよいよ懇親会の始まり。





 全て地元の食材。 地産地消。




 量は多くないが、飲むとあまり食べない私にはちょうどいい。




 お互いに酒を酌み交わし、盛り上がる。
あっという間の時間だった。
もうご飯が出てきた。


 そして最後は、柑橘のデザート。


 佐田岬の田舎者が、皇室が利用される道後ふなやで食事をする。
何とぜいたくなことか。

 そのおもてなしのすばらしさには感激。
ぜひ取り入れたいことだ。

               岬人(はなんちゅう)