大雪の様子を写真に撮っていた。
深く積もった雪の中、杖を付きながら歩くあばちゃん(77歳)がいた。
後ろ姿からヨシエおばちゃんと分かり、声をかけると、こちらを振り返った。
私: すごい雪やなー
おばちゃん: がいな雪やなー。 平礒へ嫁に来て、こんな雪、見たことないなー。みかんが心配やなー。
私: 本当そうやな。 滑らんように気を付けてな。
おばちゃん: はーい! ありがとう。
ヨシエおばちゃんが言っていたみかんへの雪害。
母屋の両親から話を聞いてみた。
私: こんな大雪は今まであったかな。
父: こんな大雪は2度あった。
昭和42年と10年後の昭和52年やった。全国的には昭和38年の「サンパチ豪雪」がすごかったけど、
このへんは、それよりも昭和42年がすごかった。何日も雪が降り続いた。
私: みかんはどうなったん?
父: 全滅よ。あの頃は橙やったが、糖分が低いけん寒さに弱い。
雪にやられて、苦くなり、商品にはならんなった。
雪が溶けて、収穫し、全部、ヤマンダキに捨てた。その年は収入ゼロやった。
昭和42年。これは、私が生まれるちょうど1年前の大惨事。
2回目の昭和53年のときはのことは、強烈な出来事として鮮明に覚えている。
同じようにトラックいっぱいに積んだ甘夏を、父母はヤマンダキから次々に捨てていた。
その1つを剥いて食べて、とても苦かったことをはっきりと覚えている。
その時には、はっきり分からなかったことがある。
1年かけ汗を流し育てた甘夏を、涙ながらに捨てる両親の心境。
自然を相手にする農家にとって、自然はどうすることもできない。
それでも、生きるため、引き継ぐために、あきらめず工夫や努力をしながら立ち上がっていく。
そんな話を聞きながら父母の顔を見ると、熱いものがこみ上げてくる。
尊敬と感謝。
語り継いでいきたい話だ。
岬人(はなんちゅう)
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