喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

宇和島 伊藤旗杯

2015-05-03 | ブログ
 本日5月3日、宇和島市津島にて、恒例の伊藤旗杯が行われる。
3月まで指導していた伊方町立三崎中学校も参加するので、応援に行く。
 中3の娘たちも参加。

 総体1か月前の最後の公式な大会。
これまで磨いてきた自分のプレーを、迷うことなく発揮してほしい。

 

中学生バレーボール南予予選大会

2015-05-02 | ブログ
 今日は、1つの目標であった南予予選。
4月に、伊方中学校のバレーボール部を担当。

 子どもたちは、公式戦での初勝利を目標としてがんばっている。

 昨日は、会場での公式コート練習やコート外練習の確認など、
とまどわないように、やれることは全て行い、十分な準備ができた。

 今朝も五十崎体育館に着いて、ウォーミングアップや練習コートの確保など、
予定通りのしあがりができた。

 10時過ぎ、いよいよ伊方中学校対新谷中学校の試合開始。
同じようなタイプのチームで、どちらが勢いをつかむかにかかっていた。
そのためには、サーブとサーブレシーブが鍵をにぎっていた。

 中盤までシーソーゲームで、点差を少しずつ広げていった。
22対18。
1セット目の女神は、こちらに微笑んでいるかのように思えた。
ところが大きな落とし穴が待っていた。

 1本のミスが流れを変えた。
不安が不安を生み、あせりが自信を失わせる。

 22対20になったところで、早めのタイムアウトをとり、流れを断ち切ろうとした。
しかし、その流れをくいとめることはできなかった。
結局、23対25で、1セット目をとられた。

 子どもたちの持っている力はこんなものではなかったので、
2セット目に向けてあせりは全くなかった。
「いつもの自分たちのバレーをすればいいだけ。」
ということを強調し、気持ちを1つにして2セット目にのぞんだ。

 一進一退の攻防。
流れをつかみかけたところで、簡単なミスが起こる。
そしてサーブレシーブで乱れる。
 相手は、徐々に調子を上げ、中盤から点差を広げられる。
それでも、最後までまだまだやれるという気持ちがあった。

 2回目のタイムアウトのときも、
「声を出し、いい表情でバレーをしよう。」
と気持ちを1つにした。
 子どもたちは、苦しい状況ながらもそのことを思い、精一杯プレーした。

 最後は、ストレートに打たれたスパイクが決まり、ゲームセット。


子どもたちの目から自然と涙があふれた。
 ミーティングでは、結果は結果として受け止め、その過程をしっかりとふり返り、
次につなげようと決意を新たにした。

 佐田岬の伊方中バレー部の物語は、5月下旬の最終章へ向けて新たに始まる。



    「息子のバレーボール南予予選 センターからスパイクをはなつ」


               岬人(はなんちゅう)


 

昭和の日 ~戦中生まれの両親~

2015-05-02 | ブログ
 先日4月29日は、昭和の日。
平成になってから早27年が経つ。
 昭和という響きが、なつかしく、ノスタルジック。

 私も両親も昭和の生まれだが、戦中生まれの両親とは環境があまりにもちがう。
日本の苦しさ、家族の苦しさ、そして大切さを経験で分かっている。

 それは、とても貴重なもの。
時に生きる羅針盤となることもある。

 だから、我が子たちには、
「じいちゃんとばあちゃんを大切にせないけんで。」
「分からんことがあったら、相談してみー。何でも知っちょるけん。」
と言い、じいちゃんとばあちゃんからいろんなことを感じてほしいと思っている。

 先日、藤の木の下で。
記念写真を撮った。



 将来、なつかしい、大切な1枚になることだろう。


             岬人(はなんちゅう)

じいちゃん、ばあちゃんと孫たち

2015-05-01 | ブログ
 父がお気に入りの藤の花。
こんなことを言ってきた。

「ひーとさーを藤の花をバックに写真をとってあげたらいいのー。」
と孫娘たちをすすめる。

 そのまま娘たちに伝えると、
「じいちゃんとばあちゃんもいっしょに撮ったらいいやん。」

と早速、伝えに行く。

 そのようないきさつがあり、
じいちゃん、ばあちゃんと孫娘たちの写真を撮ることになった。



 いいものだ。
こんなつながり。

 昔の日本ではあたりまえにあった様子だったのに。

 田舎には、まだそんな故き良き日本が残っている。

 ついでに、両親二人の写真も撮った。
いい顔だ。



                岬人(はなんちゅう)