タイトルの写真は「満願寺」参道入り口に在る「微妙橋」この橋を渡ると「三途の川」を渡る事に成るそうで橋の裏側に「経文」(陀羅尼)が書いてあるそうだ。
日本三霊橋のひとつで(満願寺微妙橋、高野山無妙橋、越中立山無明橋)安曇野市の有形文化財に指定されている。
写真はその参道入り口の全景で、写っていませんが写真右手奥に参道が有り、六地蔵が迎えてくれる、写真左手の「堂」は地蔵堂で此の脇を左手方向に登って行く。
つまり、参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り更に参道を行く!
「満願寺」が作られたのは弘治2年(1556年)らしい・・・・
安曇野平野の西の端に有り、北アルプス「常念岳」の麓に位置する此のお寺は由緒ある寺院で村はずれの山寺と言った趣です。
写真からも判る様に「信州二十六番札所」と成って居て真言宗豊山派の寺院です
つまり、上の写真。参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り「賽の河原」と言われる地蔵が乱立する前を通り過ぎ更に参道を行く!
「微妙橋」を渡って振り返ると見事な彫刻が施された橋が浮かび上がる。
これで「極楽浄土」への切符を手にした事になるのかナ~・・・・
この橋は明治39年(1906年)に木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって再建されました。
参道の坂道と階段を上って行くと鬱蒼とした杉林の中で苔むした参道が続く。
確か階段は178段と、思ったが・・・・・・
やがて「仁王門」が出てくる、此所まで来ると本堂も近い。
残念ながら仁王像の撮影はしていません。
「仁王門」をくぐり鍵の手に登ると鐘楼が見えて来た。
手前に「手水舎」が有り、私としては珍しく儀式に乗っ取り手を清め口をすすぎ。柄杓を洗い清め・・・・・・一連の動作を執ってみた!
ついでに鐘を突きたかったが、そこまでの勇気は無かった!
そして「本堂」此の本堂の左脇に「魔尼車」が在った。
「魔尼車」とは、般若心経が書いてあり経筒に軽く手をあてて左に回すと、般若心経を一回唱える事になる、誠に便利な理屈で、チベット仏教の寺院によく見られます。
その時「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソワカー」と経文を唱える・・・・・と説明文には書いて在りました。
本堂内には入りませんでしたが、中には「曼荼羅絵」が有り極楽、地獄などの絵が在ります。
今回、私には珍しく、お賽銭と線香を手向けました・・・・・・
「本堂」手前には「聖天堂」が有り。此の建物は「微妙橋」を再建した木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって明治39年(1906年)に建てられました。
唐破風等には繊細な彫刻で堂内聖天尊「大聖歓喜自在天」とも呼ばれ、財宝、和合の神インド仏教から伝わった様で、天井には「龍」が描かれていました。
本堂の左手の方には「弘法大師銅像」、真言宗の開祖(空海)が有りました。
満願寺は「ツツジの庭園」で有名らしく、季節には沢山の人が訪れるそうな・・・・・
残念ながら今は、見るべき花が何も無く「ツツジ庭園」の「東屋」がひっそりとたたずんでいました。
庫裏を回り込んで「ツツジ庭園」を降りて行くと「蓮池」に出ます。
寺院の裏手に成り参道を通らずに、下へ降りる道が付いていますが、私達はもう一度山門へ戻り来た表参道を戻りました。
この安曇野の一日は天候が悪く、時折雨がパラパラと落ちる様な天気で北アルプスの山々及び「常念岳」は全く姿を見せる事が無く残念でした。
日本三霊橋のひとつで(満願寺微妙橋、高野山無妙橋、越中立山無明橋)安曇野市の有形文化財に指定されている。
写真はその参道入り口の全景で、写っていませんが写真右手奥に参道が有り、六地蔵が迎えてくれる、写真左手の「堂」は地蔵堂で此の脇を左手方向に登って行く。
つまり、参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り更に参道を行く!
「満願寺」が作られたのは弘治2年(1556年)らしい・・・・
安曇野平野の西の端に有り、北アルプス「常念岳」の麓に位置する此のお寺は由緒ある寺院で村はずれの山寺と言った趣です。
写真からも判る様に「信州二十六番札所」と成って居て真言宗豊山派の寺院です
つまり、上の写真。参道から入り「六地蔵」をお参りして「微妙橋」を渡り「地蔵堂」の前を通り「賽の河原」と言われる地蔵が乱立する前を通り過ぎ更に参道を行く!
「微妙橋」を渡って振り返ると見事な彫刻が施された橋が浮かび上がる。
これで「極楽浄土」への切符を手にした事になるのかナ~・・・・
この橋は明治39年(1906年)に木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって再建されました。
参道の坂道と階段を上って行くと鬱蒼とした杉林の中で苔むした参道が続く。
確か階段は178段と、思ったが・・・・・・
やがて「仁王門」が出てくる、此所まで来ると本堂も近い。
残念ながら仁王像の撮影はしていません。
「仁王門」をくぐり鍵の手に登ると鐘楼が見えて来た。
手前に「手水舎」が有り、私としては珍しく儀式に乗っ取り手を清め口をすすぎ。柄杓を洗い清め・・・・・・一連の動作を執ってみた!
ついでに鐘を突きたかったが、そこまでの勇気は無かった!
そして「本堂」此の本堂の左脇に「魔尼車」が在った。
「魔尼車」とは、般若心経が書いてあり経筒に軽く手をあてて左に回すと、般若心経を一回唱える事になる、誠に便利な理屈で、チベット仏教の寺院によく見られます。
その時「ギャーテイギャーテイハーラーギャーテイハーラーソーギャーテイボージーソワカー」と経文を唱える・・・・・と説明文には書いて在りました。
本堂内には入りませんでしたが、中には「曼荼羅絵」が有り極楽、地獄などの絵が在ります。
今回、私には珍しく、お賽銭と線香を手向けました・・・・・・
「本堂」手前には「聖天堂」が有り。此の建物は「微妙橋」を再建した木曽福島の大工瀬川伊勢松氏によって明治39年(1906年)に建てられました。
唐破風等には繊細な彫刻で堂内聖天尊「大聖歓喜自在天」とも呼ばれ、財宝、和合の神インド仏教から伝わった様で、天井には「龍」が描かれていました。
本堂の左手の方には「弘法大師銅像」、真言宗の開祖(空海)が有りました。
満願寺は「ツツジの庭園」で有名らしく、季節には沢山の人が訪れるそうな・・・・・
残念ながら今は、見るべき花が何も無く「ツツジ庭園」の「東屋」がひっそりとたたずんでいました。
庫裏を回り込んで「ツツジ庭園」を降りて行くと「蓮池」に出ます。
寺院の裏手に成り参道を通らずに、下へ降りる道が付いていますが、私達はもう一度山門へ戻り来た表参道を戻りました。
この安曇野の一日は天候が悪く、時折雨がパラパラと落ちる様な天気で北アルプスの山々及び「常念岳」は全く姿を見せる事が無く残念でした。