J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

東北山形蔵王~鳴子温泉2(福島県松島迄)(続編)

2013年09月16日 | ドライブ・旅行

タイトルの写真は「湯野浜温泉」から「鳴子温泉」へ行く途中に立ち寄った、鳴子峡展望台から撮った物です。カメラの画角で切り取るとまるで山水画の世界。秋には素晴らしい紅葉が見られそうです。 「出羽三山」を廻った後は「湯野浜温泉」へ向かいます。一般道を鶴岡市内を通り過ぎ海岸沿いに在ります。

                             東北山形蔵王~鳴子温泉を行く1(前編)

月山八合目から羽黒山に戻り、今度は「随神門」から表参道を途中まで歩きます。「三の坂」まで歩くと2,466段もの階段を登る事になるのと、すでに午前中羽黒山山頂に行っていますので、国宝「五重塔」を見学するだけで引き返します(一の坂登り口まで)

 

写真が大鳥居越しに見えた「随神門」です。この門を通ると階段が続いて居て、下った所から様々な「神」(八百万の神)の社が林立するようになります。

 

写真がその様子で、樹齢が何百年もの杉の木立の中に「神の社」が立ち並びます。ここから「一の坂」「二の坂」「三の坂」と続き、前回Blog記事の羽黒山山頂へ行きます。

 

最初の階段を下りきった所に「神の社」がまとまっていますが、その外れの一つです。

 

今度は階段を登りに掛かります。緩やかな階段なので楽ですがゆっくり登ります。登った所に出て来たのが目的の国宝「五重塔」です。

 

 

「一の坂」の登り口にそびえるこの五重塔は、素木造り、柿葺、三間五層の均整のとれた優美な姿で、東北では最古の塔である。昭和41年国宝に指定された。創建は塀将門と伝えられ、その後幾度か修復され、現在の塔は室町前期の建造物である南谷(南谷跡・芭蕉句碑)は三の坂の登り口から右折し三百メートル程の所にある、かって芭蕉が奥の細道行脚の折に門人「曾良」と逗留した跡があり「有り難や雪をかおらす南谷」の句碑が建っている。(パンフレットより)

 

五重塔の前を右に折れると「一の坂」の登り口で、写真奥左手がその登り口の階段となる。

 

写真、左下がその一の坂の登りです。写真右は天然記念物の「羽黒山の爺スギ」で下は説明板。 今日の日程はここで終わり、これから鶴岡市内へ向けて車を走らせます。

 

写真は鶴岡市内を通り越し、今晩の宿泊旅館、湯野浜温泉「はまあかり潮音閣」に着いて直ぐに、海岸へ出て「夕日」の撮影に掛かりましたが、丁度雲が日の沈む位置にあり、粘ったのですがサンセットが全く見られませんでした。 部屋の窓からも海は見えますが、丁度夕日の位置に公営保養施設があり、旅館の女将が公営なのに後から建築して民間の旅館の営業を邪魔した・・・・の様な事を聞かされました。

 

写真はこの旅館は10室程の小さな旅館ですが「はまあかり潮音閣」の夕食で、カニが出ました。
しかし飲兵衛にとってカニは鬼門で、カニを剥きながら食べると酒を飲んだ気がしなくなり、全く何をやっているのか解らなくなる。だからカニ料理が出る旅館には行きたくなかった!!
写真の温泉も窓の外に見えるは船形の露天風呂ですが、なんだか子供だましで、マンションのベランダで水遊びをして居る感じで、直ぐに出て仕舞いました。

 

翌日は「鶴岡市内見学」をしてから、鳴子温泉に向かいます。
写真は「鳥海山」湯野浜温泉から「鶴岡市内」行く途中田園風景の中から見えます。へこちら側から見ると富士山のシルエットに似ていて可成り目立ちます。

 

写真は鶴岡市内に入り鶴岡市庁舎駐車場へ車を止め、無料のレンタサイクルを借りる為に「荘内神社」へ行きます。その参道。ここは「鶴岡城址公園」の一角で隣には「藤沢周平記念館」が有りました。
ここでレンタサイクルを借り、鶴岡市内を回ります。

 

写真は鶴岡市役所の前にある「致道館」昔の庄内藩の藩校で、国指定史跡と成っています。
【庄内藩の士風の刷新と、優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)酒井家九代目藩主・忠徳公が創設した藩校です。徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針で、各自の天性に応じ長所を伸ばすことに主眼がおかれ、質実剛健な教育文化の風土を育む土壌となりました。現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っており、国指定史跡として一般に公開され、たくさんの人が訪れています。この藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一のもので、歴史的、文化的にも価値が高いものとして知られています】ホームページより

 

写真は致道館内部の展示資料
【東北に唯一現存する藩校建造物として、下記の施設が一般公開されています。致道館に隣接する産業会館や文化会館、市駐車場(市立体育館跡地)なども昔は致道館の敷地でした。現在は当時の約半分の広さとなっています】

 

写真は「致道館」外側(市役所側から)、県道47号線沿いに有ります。(道路を挟んで左側が市役所です)

 

写真は「鶴岡カトリック教会天主堂」で致道館から割とすぐ近くにあります。
【赤い塔屋がひときわ目を引く白亜の聖堂は、明治36年に建てられたものでロマネスク様式教会建築の傑作として国の重要文化財に指定されています。ステンドグラスとは異なる独特の技法でつくられた窓絵や世界的にも珍しい黒い聖母マリアは、国内ではこの教会でしか見る事が出来無いものです】
パンフレットより

 

写真はその内部、敷地に幼稚園が併設されていますが、係の方が自由に内部を見て下さいと云うので入りました。祭壇の向かい側には小型のパイプオルガンガンが設置されていて、ミサの時に演奏される音を聞きたいものだと思った次第。

 

さて、鶴岡市内の主立った所をぐるっと廻り、レンタサイクルを返却して、これから鳴子温泉に向かいます。国道345号線に出て庄内平野をのんびりと走ります。写真はその時に、又鳥海山を撮った物です。次に国道47号線に入り「最上川」に沿って南下します。
地図で見ると国道47号線(北羽前街道)に沿って走っている「羽越本線」は新庄市までは「奥の細道最上川ライン」(陸羽東線)と成っていますが、その先「奥羽本線」と合流し更に「山形新幹線」に成り天童方面と分かれると「奥の細道湯煙ライン」(陸羽西線)と名前が変わる。これは実際に電車に乗り路線図などで調べて路線を走ってみないとややこしくて、解りそうも無い鉄チャンなら詳しいと思うけど・・・・

 

写真は「鳴子温泉」近くまで来て「鳴子峡」に立ち寄った時のもので、タイトルの写真もここで撮りました。鉄橋は国道47号線です。途中国道沿いのそば屋さんで昼食にしたのですが、その量が半端で無く普通の値段ですが、3人前ぐらい在るのでは無いかと思う程大盛りで食べ終わった後、未だ食べたければ沢山在りますよと店主に言われましたが、無料で追加でも食べきれませんです・・・・・・

 

現在の鳴子峡の状況は写真のように至る所で通行止め、現実には峡谷下迄は降りられず閉鎖に成って居ました。大雨で被害が激しいようです。

 

この日は「鳴子温泉」宿泊です。「幸運閣別館」で別館は20室程の建物でした。
写真は翌朝ホテルの窓の前から「陸羽東線」(奥の細道湯煙ライン)鳴子温泉駅方面から仙台方面に進行する2両連結の列車を撮った所です。前日温泉街の中を歩いてみましたが、昔からの有名な温泉どころです。

 

この日は旅行最終日で、この日福島県の「松島湾と瑞巌寺」を観て、東京まで帰ります。
鳴子温泉から国道47号線を更に南下して行き「古川IC」から東北自動車道へ入り「大和IC」で降りたのですが、結果的に大回りになり「塩釜」の市内で渋滞にはまり「松島湾」まで可成り時間のロスでした。写真は「古川IC」に入る手前の道の駅に立ち寄り野菜を沢山買い込みました。そこで撮った写真で、地方の道の駅へ行くと農産物が兎に角安い!東京は高すぎ!!

 

写真は「松島湾」に有る「五大堂」。先の地震と津波の被害も無く無事だったようです。
「松島を代表する建造物である「五大堂」は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折り、毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立されました。桃山建築としては、東北地方最古の建物です」観光案内より

 

写真は「五大堂」脇に在る説明板。
松島のこの場所には3回程来ていますが震災後は初めてで、瑞巌寺山門の入り口にあるお土産屋さんに津波の被害跡があり、古い建物故に修復が出来無いとの張り紙。シャッターが閉まっていました。津波は胸の高さ程に成りましたが、大きな被害は無かったようです。

 

松島湾の景観は変わっておらず、この湾内に浮かぶ大小様々な島のおかげで、津波のエネルギーが弱まり隣接地域沿岸と運命が分かれたようです。

 

写真は瑞巌寺「洞窟群」参道脇に200m程にわたって幾つも掘られています。壁面に「卒塔婆」が掘られていて一部は修業の場として利用されていたようです。津波は参道の途中まで来たようですが瑞巌寺そのものには到達しなかった模様。
ここまで来る時、国道45号線を塩釜港の前を通りましたが、震災以前の様子も解ら無い為、道路側から、又車中からでは津波の被害程度は解らず。時間があれば被害の大きかった仙台方面、名取方面に行きたかったのですが時間切れでした。
又、瑞巌寺は以前に見て回りましたので、今回は時間の余裕も無く「洞窟群」を観ただけで帰る事にしました。又平日にも関わらず観光客が沢山居たのには驚きました。

帰りは「三陸自動車道」松島海岸ICから入り一気に東京へ戻ります。

 完

 

 

 

 

 

 


東北山形蔵王~鳴子温泉を行く1(前編)

2013年09月05日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は「湯殿山」仙人沢大鳥居からバスで「湯殿山神社」まで登り、バス終点から「月山」方面を撮りました。写真のピークは「月山」山頂かどうか不明ですが「湯殿山」山頂の様で「神社」側から見ると可成りの急傾斜です。この日「月山山塊」をぐるっと回り込み「月山八合目」(弥陀ヶ原)にも行き「御田原」参籠所まで歩きましたが、登山目的では無い為ここで引き返しました。




世田谷の自宅を出発して蔵王温泉の「中央ロープウェー駅」に到着したのが12時過ぎ、渋滞無しでここまで来ました。でも車で来ると遠いですね・・・・・・
ここで昼食を摂ってから、この山頂駅「鳥兜駅」までロープウェー(101人乗り)で行きます。そこから「湖沼めぐりコース」のトレッキングをします。
しかし写真でも解るように積乱雲が発達してきて、雷の音が・・・・・ロープウェーの駅長さんの判断で天候の様子を見る為に暫く運休・・・・・30分程待って条件付きで運行再開でした。




不安定な天候で帰りのロープウェーが止まった場合、バスで迎えに行く、と駅長さんの計らいで乗車。写真は「鳥兜駅」からトレッキングの終点「三五郎小屋」方面の写真です。
この右手方向からトレッキングが始まります一廻りで2時間半位の案内ですが実際には1時間半で一周しました。




鳥兜駅で降りてすぐの所に展望台があり、そこから撮った蔵王温泉街の一部です。
この後、急に雨が降り出しましたがすぐにやみそうなので傘を差してトレッキングを更に続けます。




写真は「片貝沼」鳥兜駅から1キロ程歩いた所で雨が降っている為、並行する立派な車道を歩き、案内板に従って山道に入るとすぐにありました。




写真は、割と平坦な森の中の道を歩いて行くと直径十メートル程の小さな沼に出ました「目玉沼」です。すでに雨は止み時折日差しもあり暑くなってきました。




写真は先程鳥兜駅から下の方に見えた「三五郎小屋」、小屋と云っても立派なホテルで一応営業はして居るようでした。しかし冬がメインで夏場は寂しい物です。




三五郎小屋を過ぎてリフト乗り場やレストハウス過ぎると「ドッコ沼」に出ます。
この先に今度は「蔵王スカイケーブル」中央高原駅があります。
中央ロープウェーは大きなゴンドラでしたが、スカイケーブルは6人乗り程の小さなゴンドラで、駅に着いた時乗客は誰も居なく、駅員も見当たらなかったのですが、改札口に入ったら駅員が出て来ました。




写真はスカイケーブルで降りた「上の台駅」。これから車を止めた「中央ロープウェー」駐車場まで蔵王温泉の町中を見ながら歩いて戻ります。




町中には写真のように「共同浴場」が何カ所か有り200円程で入れるようです。
余り大きい建物では無いのですが近くにあった2軒とも真新しい建物でした。
この後「中央ロープウェー」の駅舎に立ち寄り駅長さんに無事下山しましたとお礼の報告。




この日はこれで日程を終え、「上山温泉」へ向かいます。
写真は今日宿泊する「上山温泉」材木栄屋旅館




今日は割と速く旅館に到着した為、未だお客も居無いようで写真は時間制の貸し切り風呂。
18室程の旅館で元々の商売が材木屋で、旅館の建物が立派で落ち着いた宿でした。




翌日「上山温泉」出発。東北中央自動車道上山ICから入り山形JCで山形自動車道に入る。月山ICで降りて国道112号線(月山花笠ライン)を「湯殿山」「羽黒山」「月山」を廻る。一番最初に行ったのが写真にある「湯殿山神社」写真は仙人沢大鳥居(参籠所)でこの写真の位置から参拝のバスが出て居て「湯殿山神社ご神体」の有る所までバスが運んでくれる(乗車賃200円)7分程で参道入り口です。タイトルの写真はそこで撮りました。




写真はバス停から参道を歩いた所で、これから先は全て撮影禁止で写真はありません。ここから15分程歩き、湯殿山神社参詣受付所に到着。受付所でご祈祷料を払いお祓いを受け、靴を脱ぎ裸足でご神体を参詣します。素足で露天風呂地帯のような場所を通り、ご神体の前に出ます。参拝の儀式を一通り済ませ、温泉が流れるご神体の裏側の岩を登ります。「湯殿山神社ご神体」とは大きな岩から温泉が湧いていて、それが「ご神体」とされています。




登り口から振り返り、先程の仙人沢大鳥居方向を撮った所です。左手の山が「湯殿山」。帰りは下りなのでバス道を歩いて仙人沢大鳥居迄行きます。15分程。




写真は仙人沢大鳥居。丁度真ん中辺りに「湯殿山神社」が有ります。





「湯殿山神社」を見た後、今度は「羽黒山神社」へ向かいます。国道112号線(六十里越街道)へ戻り鶴岡市内で県道47号線に入ります。写真は「羽黒山神社」大鳥居、右手は社務所です。




写真は大鳥居を入り右手の社務所を撮った所で。社務所の前に大きな「鐘撞き堂」(大鐘・重要文化財・鎌倉期・日本第三の大鐘とされています)があります。
本殿は左手奥で現在かやぶきの屋根を修理中でした。
「出羽三山-羽黒山(標高414M)月山(標高1984M)湯殿山(標高1504M)は「出羽国」を東西に分ける出羽丘陵の主要部を占める山岳で出羽三山とは、山形県(出羽国)にある月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称です。
月山神社は、天照大神の弟神の月読命(つきよみのみこと)を、出羽神社は出羽国の国魂である伊氏波神(いではのかみ)と稲倉魂命(うかのみたのみこと)の二神を、湯殿山神社は大山祗命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀っています。月山と湯殿山は冬季の参拝が不可能であることから、羽黒山頂に三山の神々を合祭しています。また広大な山内には百八末社といわれる社があって、八百万(やおろず)の神々が祀られています。
出羽三山は元来、日本古来の自然崇拝の山岳信仰に、仏教・道教・儒教などが習合に成立した「修験道」のお山でした。それ故、明治維新までは仏教の、真言宗、天台宗など多くの宗派によって奉仕され、鎌倉時代には「八宗兼学の山」とも称されました。悠久の歴史の中で幾多の変還を重ねながら、多様にして限りなく深い信仰を形成し、「東三十三ヶ国総鎮護」として、人々の広く篤い信仰に支えられて現在に至っています。」出羽三山神社 公式ホームページより




写真は本殿(重要文化財・日本最大の茅葺建物)写真右手の方はかやぶきの屋根の修理中で足場の櫓が少し邪魔です。
私たちは車で羽黒山有料道路を通り羽黒センター駐車場まで来てしまいましたが、本来県道47号から「随神門」を潜り表参道から一の坂、二の坂・三の坂の2,446段の階段を上るのでしょうが50分以上掛かるそうで時間的にも余裕が無く無精しました。




写真は本殿脇にあった看板で羽黒山全山の概念図です。




羽黒山山頂(本殿の有る所)から、三の坂を少し下り、ここで昼食を摂ります。かみさんが写真の「斎館」で是非精進料理を食べたいというので入ってみました。本来は予約制ですが飛び込みで当たって砕けろ! ここは「参籠所」と云われ、いわば休憩所(宿坊)の様な物で出羽三山各にあります。
休憩所のような雰囲気は全く無く修行僧の修行場の雰囲気です。少し引き気味・・・・・

「平成17年(2005)3月 鶴岡市文化財指定
羽黒山参道三の坂を登りきると間もなく左手にある。もとは華蔵院といい、元禄10年(1697)の再建である正穏院、智憲院と共に三先達寺院の一つで、羽黒山執行別当に次ぐ宿老の住した寺であったが、明治の神仏分離の際神社の「斎館」として残った。江戸時代には山内に30余坊あったが全て取り壊され、往時の山伏達の住した遺構として今に残る唯一の建物である。」ホームページより




写真が「斎館建物」の入り口で(玄関)、取りあえずかみさんが食事が出来るかどうか?聴きに行きました。
結果、種類は無いものの食事が出来るそうで、暫く待たされ用意が出来た所で部屋に案内されます。




写真は通された大広間(神前の間)。私たち三人、ご覧のような部屋に案内され簡単な精進料理をご馳走になりました。シーズンオフの良い所で、混雑する時は絶対こんな風には成りませんね!





さて昼食を終えゆっくりした後、玄関から入り口の「門」を見た所です。




写真は「斎館」全景で右手が大広間と厨房で、部屋数は沢山在るようでした。




前後しましたが、写真が「斎館」入り口で参道「三の坂」の途中から入ります。




さて腹が膨らんで満足した後、戻ります。
写真は庶務所左手にある、八百万の神の一部、ここには7つの神が社に祭ってありました。その他至る所に「神」が祭られています。




羽黒山を後にして「羽黒山有料道路」を戻り、次に県道211号線を「月山八合目」に向けて走ります。
「月山八合目」までは40分タップリ掛かります。県道211号線は細い舗装道の山岳道路です。
写真は「月山八合目」駐車場からですが時間的に午後3時を過ぎていますので雲が垂れ込め始めました。




写真は駐車場の端に在る記念碑!




駐車場から少し「月山」山頂に向けて歩いた所にある標識看板。




写真は看板から木道を更に緩やかに上り。私一人で行きましたが「御田原参籠所」ま~山小屋ですね。
写真右の鳥居をくぐると本格的な登山道になり「月山山頂」まで往復4時間程掛かるようです。
私は取りあえず写真だけ撮り駐車場に戻ります。ここら辺までは緩やかな丘のように成って居て湿地帯が広がっています。
写真中央に風車が沢山在りますが、ここには水子地蔵があります。やはり月山は信仰の山ですね!
地図を見ると「月山」はこちら側から登ると緩やかに登るようで時間は掛かりますが天気の良い日は快適なハイキングが出来そうです。

今日は「月山」を見た後、県道211号線を戻り県道47号から羽黒山まで再度戻ります。
表参道の「随神門」を潜り五重塔などを見て回りますがそれは次回に続きます!

2013/09/07 月山登山時間修正