J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

木曽御嶽山(長野県木曽福島)

2009年08月26日 | アルプス登山
登山道入り口に大きな石作りの鳥居があり其所から平坦な道を行くと右手方向に
「田の原天然公園」の湿地帯が広がり木道が続きます。
この日は、何の気なしに登りましたので本格的な登山の用意はして無く昼食も鳥居
脇の地元のおばちゃんが販売している「にぎりめし」を買って湿地帯の休憩所で早
くも昼食を済ませて仕舞いました。

標高3,067mも有ります。スニーカーで食料もほとんど持たず装備も無く登るのは天
候などの状況を慎重に見ながらでないと事故の元です。
そこで目標を八合目までと決めて出発しました。

              
「田の原天然公園」から、緩やかな登りの木道をしばらく行くと「遙拝所」(ようは
いしょ)に着きます。
ここから大滝頂上を背景にして写真を撮りました。
写真上は左から「少彦名命」(スクハヒコノミコト)
真ん中「国常立尊」(クニノトコタチノミコト)
右「大巳貴命」(オオナムチノミコト)



「国常立尊」の「光背」の輪の中に大滝山頂を入れて撮影しました。
この日は、ここから八合目「金剛童子」の祠まで登ります。
ちょうどトップの写真の真ん中辺り(赤いまるで囲んだ所)が八合目になります。
標高が2,470m位「遙拝所」から1時間弱ぐらいでしょうか?

木曽御嶽山は古くからの山岳信仰の対照で、一般に開放されたのは江戸時代以降で
覚明行者によって開かれたと云われますが「富士山」「白山」「立山」と並ぶ霊山
で、以前は女人禁制で有ったそうな。又登山道も幾つかあります。

この日は八合目迄登り「金剛童子」の祠から少し欲を出し上へ行きましたが見上げ
ると険しい岩場の登りで、結局ここから下山しました。
下山は楽で半分の時間で降りました。この日麓の民宿に泊まり、翌日麓の御嶽湖迄
戻り、再度ドライブで県道20号線から三岳村(黒沢口)まで行きロープウェーで
中腹の「飯森高原駅」に行きます。


「飯森高原駅」は標高2,150程で、前日の
「田の原天然公園」駐車場の標高2,160m
より低いのですが、ここから急な登山道が続きます。
こちらの登りの方がきつく、その変わり高さを稼げます。


    
写真は「飯森高原駅」のお花畑や途中の登山道にあった植物などをまとめてみました。



          
矢張り八合目と、目標を定め登り始めます。
写真は八合目から見る「継子岳」「摩利子天」方面



標高3,000mもある場所に可成りの水量の滝が流れています。
下から見ると何処の水源から流れてくるのだろうと思うと不思議です。
上の方に幾つかの火口湖が有りますが、其所が水源なのでしょうか?
どうも「四の池」が水源となっているようです。「四の池」は3千m近い場所に
ある広い湿地で「幻の滝」と云われている様です。


                
写真は八号目付近から南方向を撮った所です。
この時は午後に成って居ましたのですでに、遠景は水蒸気の多い空気に覆われ見通
しが効かなく成って居ました。
この日も八合目付近で引き返す事にしました。

下りの道は、急な下りですが早い!
「膝」に来ますが、それ程長時間でないので楽でした。。。。。

ロープウェー「鹿ノ瀬駅」を降り、帰りのコースは「開田高原」を経由して中央高
速道へ出て帰路に付きました。




猿橋(山梨県)

2009年08月15日 | 見学様々(屋内・屋外)
この猿橋と平行するように、県道505号線、国道20号線の2本の「新猿橋」が架けられ
特に20号線は自動車の交通量も多く立派な橋になっています。
国道20号登り線「新猿橋西」信号の交差点を左折して県道505号線に入り50mも行き
右斜めの脇道に入れば、橋のたもとに出る。


             
             猿橋から下流側の眺め。中央に見えるのは、東京電力八ツ沢発電所の第一号水路橋
            (明治45年完成、鉄筋コンクリート)。上部に写っているのは国道20号線新猿橋、水路橋
             の流れは右から左。


徳島県「祖谷のかずら橋」山口県「錦帯橋」と並ぶ日本三大奇矯の一つ。
昭和7年には国の名勝指定を受けています。
この猿橋の歴史は古い、しかし文献上に出てくるのは1676年(延宝4年)で
この時、掛け替えが行われたようです。




今の橋は、昭和59年架け替え工事で、新しくなった。
現在の橋は肘木部をH型鋼を埋めその周りを木で覆い昔の面影を残している。
全長30.9m、幅3.3m、高さ約30m

この橋は、刎橋(はねばし)と言われ、川の幅が狭く橋脚をたてることが難しいため
両岸の岩盤に穴を開けそこへ刎ね木を斜めに差込み、それを幾段か積み上げて延ばし
その上に上部構造を組み上げた物で、現存する物ではこの猿橋だけのようです。

下を流れる川は「桂川」この川沿いは「桂川渓谷」となり秋の紅葉シーズンはすばらしい
景色が展開される。この川はやがて相模湖に下り相模川となります。


                
      八ツ沢発電所水路橋は第一から第四まで有り、現在も水路橋は現役で活躍していて、上流の
      「駒橋発電所」で使用した水流をこの「一号水路橋」に流し更に第2、第3、第4水路を通り
       「八ツ沢発電所」に流し更に下流に流し発電して居ます。現在第一号水路、第三号水路が
       国登録有形文化財と成って居るようです。
       この「駒橋発電所」「八ツ沢発電所」は日本で初めての水力発電所で、明治39年~45年頃
       日本の土木建築などの最先端の技術で作られた物のようです。




橋から上流側へ300m程歩くと「猿橋公園」に出る、河川敷内の公園で、道すがらアジサイ
が植えられていて季節にはアジサイ見物も出来る。
このアジサイの咲き乱れる上部の崖地を見ると。
富士山の宝永噴火宝永4年(1707年)の痕跡として、溶岩流の痕が見られる。
ここら辺りが宝永噴火による溶岩流の末端で、それが崖の上部に露出しています。
この時の溶岩流による被害は大した事ではない様ですが、降灰による被害が関東一円で
酷かった事が記録に残っているようです。