J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

長野県「木曽駒ヶ岳」を登る

2011年08月27日 | アルプス登山
タイトルの写真は「宝剣岳と空木岳」で木曽中岳に登山中に撮影したものです。此の後、雲に隠れる様に成って仕舞った。左手の岩山が「宝剣岳」で、此の後駒ヶ岳往復した後空身で宝剣岳山頂まで行く。。。。。。しかし此の宝剣岳の「岩」人面岩みたいです・・・
「木曽駒ヶ岳」へは「しらび平」から中央アルプスロープウェーで2,611m迄一気に登る約7分程だ。「菅の台バスセンター」~「しらび平」~「千畳敷山頂駅」まで往復運賃3,800円
を前払いする。通年営業で真冬でも千畳敷カールでスキーなどが出来る。




写真は下山時に撮影した千畳敷カールで建物がロープウェーの山頂駅だ。
下山時すでに午後に成って居たので下から雲がモクモクと沸き上がってきた。此の後下山中に下の方では「雷」が鳴り始めロープウェー乗り場に着く頃には雨が降り始めた。



写真は午前中登る時に千畳敷から撮した「南アルプスと富士山」で真ん中に少し雲に隠れた富士山が写っています。モウ1時間程早ければ、もっとスッキリした景色が撮影できた筈ですが残念でした。



写真はこれから登る木曽駒ヶ岳の稜線に出る「鞍部」(乗越浄土)急斜面をジグザグに登って行きます。
真冬に此所を登った事がありますが、その場合直登するので帰って楽かも。。。。。。。。



写真は稜線へ出て「中岳」から撮影した「伊那前岳」(2,883m)時間と体力があれば此方にも行きたかったのですが、今回は断念しました。写真の右手が「鞍部」(乗越浄土)に成ります。



写真は稜線へ出て鞍部から「木曽中岳」を撮影しました。この奥に「木曽駒ヶ岳」(2,956m)が有ります。写真左手後方が「宝剣岳」に成ります。



写真は宝剣山荘辺りから後ろを振り返り「空木岳」(2,863m)を撮影した所で、此の後雲に隠れる一方で西側(右手)からガスが沸き上がってきた。此所から見る「空木岳」は実に美しい、一度行って見たいが、此所からでも丸一日コース!ムリかな?~



写真は駒ヶ岳山頂付近から「中岳」方向を撮影した物で、遠くに見える山は「八ヶ岳」だろうか?
雲が無ければ南アルプス、北アルプス、八ヶ岳、木曽御岳山、乗鞍岳・・・・・見えるんだろうけど・・・・



駒ヶ岳に登る途中「コマクサ」が未だ咲いてる物が在った。此所はコマクサが群生している、こうした場所が幾つかあり、自然回復作業の結果かも知れない。



写真は「宝剣山荘」へ戻り、空身で「宝剣岳」へ登った時、コース途中の断崖上から千畳敷カールを見下ろした所。
登山道がハッキリ見える。この道を上ってきたのだ、ロープウェー駅から右手の登山道は宝剣岳へ直接登る道で、険しい岩場が待ち構えている。



写真は宝剣岳山頂近くに成ると、こうした「クサリ場」が連続して出てくる、傾斜は45度ぐらい在るだろうか、此所をよじ登って行く。
先には横歩きの場所も在り数百メーターの絶壁の横歩きで、馴れない人は足がすくむ場所だ。



写真は「宝剣岳山頂」(2,931m)狭い岩場で写っている人は先客で中々移動しない為、やむを得ずパチリ!此の岩のてっぺんに登りたかったのですが時間の都合で諦めました。

此の後下りが危険!登山で一番事故が多いのが「下山時」で、私の様に還暦を過ぎた人間は特にバランスが悪いので要注意!



宝剣岳を無事下山し「宝剣山荘」に待たせていた息子とかみさんと合流して下山です。
もと来た道から千畳敷カールへと下ります。
千畳敷の下部は「お花畑」と成って居るので、沢山の高山植物が見られます。
しかし8月も下旬ですので、殆どの植物は花の季節が終わりです。写真は「コバイケイソウ」
で、すでに枯れ始めています。



千畳敷の一番下に「剣ヶ池」在り、そこから千畳カールと宝剣岳を撮影した所です。
此の左手にロープウェー駅と「ホテル千畳敷」が在ります。

此の場所に来たのはすでに5回程になるでしょうか? しかし本格的に駒ヶ岳、宝剣岳方面に登ったのは初めてです。
丁度この日は天候に恵まれましたが、前日迄とその後の天候は大荒れで非常にラッキーでした。朝「菅の台バスセンター」駐車場では曇り空で山頂方面がこんなにも好天だったのが信じられない程でした。
帰りには、にわか雨で雷も鳴る様な天候で、ホンの数時間の晴れ間に登山できました。





九州熊本県熊本市 水前寺公園と熊本城

2011年08月15日 | ドライブ・旅行
熊本県 天草市」「熊本市 阿蘇山を観る!」は、クリックして下さい。

タイトルの写真は熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した物です。
まるで要塞の如くそびえる様は見事な物です。
此の右手奥の方に「本丸御殿」「天守閣」と続くのですが「竹の丸」(広場)は「櫨方門」(はぜかたもん)から近く此所から敵が攻め込んできても、そう簡単に天守閣へは行けません。



今日はマズ「水前寺公園」から見て回る事にしました。
朝ホテル日航熊本を出て前の通りを走る路面電車で水前寺公園迄行きます。
未だ朝早いせいか団体客が少なく静かな朝の水前寺公園を見て回る事が出来ました。



水前寺公園は正式には「水前寺成趣園」と言い園内に有る「出水神社」の管理のようです。
桃山様式を代表する回遊式庭園で、1636年(寛永13年)細川家第三代忠利公が「国府の茶屋」を設けた事から始まります。その後三代80年に渡って完成し「成趣園」と命名され今に至っているようです。



正門入り口から入ると庭園を挟んで奥の方に流鏑馬の馬場が有ります。
写真下が馬場で右上は馬場と平行に左右月山の様になった所で馬場と区画を分けています。
「水前寺」と言えば私等の世代は歌手「水前寺清子」さんを思い出します。実際芸名は此所の公園から名前を拝借したようです。



熊本や広島と言った都市は路面電車が通勤の足代わりの様で車両の種類が様々有り見ていて楽しい。その一部を写真に納めました。レトロな物から新型まで彩色もカラフルです。



さて、一端ホテルに戻りチェックアウトをしてから今度は「熊本城」の見学に行きます。
写真は路面電車を降り「加藤清正公像」の有る「行幸橋」を渡り坂を登ります。その途中からの「飯田丸五階櫓」をお堀側から見た所です。丁度タイトルの写真と反対方向から撮した感じです。



次に「行幸坂」を登った場合「頬当御門」から入るのが順当です。写真はその御門から入ると真っ先に出てくるのが此のシーンです。天守閣が見えていますがたどり着くまでは幾つかの角を曲がらなければ行けません。



写真は「宇土櫓」熊本城で唯一現存するのがこの「宇土櫓」他は修復修理や再建で創建当時
のまんまと言うのは無いようです。
多層櫓で地上5階地下1階、他の城郭では優に天守閣に匹敵する規模です。
往時の熊本城はこの様な5階や3階建ての櫓が林立し、難攻不落の巨大要塞だった様です。



「宇土櫓」の内部の写真です。
柱や床には当時、の建築時の「ちょうな」(道具)の跡がハッキリ付いています。



写真は「宇土櫓」から見た「大小天守閣」です。
天守閣、本丸御殿一帯は西南戦争の時焼失し1960年(昭和35年)に外観復元。
大天守は地上6階地下1階、石垣の上から高さ30m、小天守は地上4階地下1階、高さ19mで内部は資料館と成って居る。



写真は「本丸御殿」への入り口が有る「くらがり通路」。此所を通って再建された「本丸御殿」へ行く。



「本丸御殿」の「大広間」まだ建てられたばかりで檜の香りがする・・・・・・
正面奥に見えるのが「昭君の間」で金箔に色鮮やかな色彩が再現されている。



当時の実際の絵柄は焼失して不明のようですが、こんな図柄だろうと再現想像図のようです。
他に何枚か当時の絵柄は残されているようですが・・・・・・・
上部の白い漆喰などは未だ再現が難しいようです。



「本丸御殿」を出て、更に城内を巡ります。
写真は「櫓」群、手前から源之進櫓、四間櫓、十四間櫓、七軒櫓、田子櫓、こうした櫓が他にも幾つかあります。



写真は「二様の石垣」と言われる場所でビュースポットでもあります。此の石垣は「武者返し」と言われる物で、此の城独特の物です。
順路は此の後タイトルの写真「飯田丸五階櫓」の見える場所に行きます。



熊本城内「竹の丸」付近から「飯田丸五階櫓」とその周りを撮影した後、「須戸口門」から城外へ出ます。
写真は内堀である「坪井川」に沿って「櫨方御門」~「須戸口門」迄続く「長塀」の内側と外側からの写真。

此の後お城の向かい側のオフィス街へ出て昼食後、熊本バスターミナルへ戻り帰りの飛行機の時間まで時間があるので熊本バスターミナル近辺をぶらつきました。
飛行機の離陸時間が19時なので離陸後外の景色は見えず・・・・・こうなると飛行機も退屈です。。。。。。。。。




東京築地「勝鬨橋」探訪

2011年08月06日 | 見学様々(屋内・屋外)
勝鬨橋は昭和15年隅田川河口部に架かる国内最大級の可動橋で千トン級の大型船舶を通す事が出来ました。以前上流側に「石川島播磨重工株式会社」が在りそこに資材などを運ぶ為に架けられたと聞きました。
私が小学生の頃はこの橋に「路面電車」が走っていたものでした。
昭和30年代に入り運搬手段が船や鉄道から自動車に転換して行き、隅田川を航行する船舶が減少し、逆にかちどき橋の交通混雑が激しくなり、昭和45年11月で開閉が中止に成りました。
タイトルの写真は「月島」側から撮影した物で、築地側に「かちどき橋の資料館」が在りそこから見学が始まります。



写真は築地側「かちどき橋の資料館」の脇に在る「かちどきのわたし」の碑です。
此の右手方向に築地市場が在り、帰りがけの昼食に立ち寄り海鮮丼を食べましたが北海道で食べた物より美味しい感じでした。



「かちどき橋の資料館」にて見学コースの注意事項やビデオなどで予備知識を学んだ後下の写真の様にハーネスを付け、橋の中央に在る運転室内部に上がり各機器の説明を受けます。
写真上開閉用の運転操作盤、写真下右左、低圧配電盤でスイッチと配線がむき出しに成って居ます。現在ではとても設置許可されない配電盤ですが電圧は250Vも在るそうで触ったら一発で死にそうです。。。。。。。。



さて次に今度は橋中央の橋脚から内部へ入ります。
初っぱなから3.5mの狭い降下階段を下ります。
写真右上橋脚の運転操作室、左橋脚内下降階段、ハーネスを付けている所。



狭い階段を回り込むように「橋」の心臓部へ降ります。
そこに在った説明用の「橋の構造図」現在位置の表示を入れました。位置的には海面下と思います。



写真はその全景写真です。
可成り広く上の部分に橋の本体が在ります。中央に人が写っていますが橋が開いた時、此の部分に「やじろべい」型の一方の錘が降りてきます。



「やじろべい」と同じ原理で一方に橋本体、ヒンジの反対側に錘が在るのですが、写真はその錘です。橋が開くと今撮影している位置に此の錘が降りてきます。



此の橋の開閉部分を支え回転の中心となる「軸受」片側の橋全体の重さは2千トンで一つの軸受けで千トンの重さを支えます。



その橋を開く為のモーターで150馬力程だそうです。直流モーターで交流電圧からわざわざ直流発電機で250DCVに変換して此のモーターを回します。




その直流発電機です。
此の発電機は橋の袂の「かちどき橋の資料館」に在り、此所に高圧受電盤が在り3千ボルトから変換するようです。



橋の開閉時に使う減速機で左右がブレーキで、なんだかエレベーターの構造に似ている。



橋脚の途中から橋の下側を見た所。橋の重さを計算するのに部品一つ一つを積算して重さを出した、と言う事です。ボランティアガイドさんの話ではコンピューターも無い時代手計算でリベットの重さから全て積算したという、神業ですね・・・・・・2千トン!




此の写真も「かちどき橋の資料館」に設置されていますが、高圧受電盤で相変わらず開閉器など一部がむき出しです。3千ボルトの交流電圧には直接触る事が無いように成って居ると思いますが、触れば確実に死亡します。これで良く事故が起こらなかった物だ!



こちらは低圧受電盤の写真、低圧、高圧受電盤共「かちどき橋の資料館」に2階休憩場所にありましたが、勿論今は電気は来ていません。来ていたら緊張で近寄れませんね~!
此の場所で生暖かい麦茶をサービスして頂きましたが、見学が終わって汗を欠いている所なのでありがたみも今一でした。



これも「かちどき橋の資料館」に説明用に在ったかちどき橋の開閉を再現する模型。
此の模型2千万円・・・・・・・・ギョギョ!(付帯設備込み)
なんだかな~。 税金返せ~~~~!

架橋位置  中央区築地6丁目~勝ちどき1丁目
橋  各  1等橋
橋長幅員  橋長 246m
      有効幅員 22m
支間長   可動部 25.8m×2
      固定部 86m×2
構造形式  可動部 シカゴ型固定軸双葉跳開橋
      固定部 ソリッドリブタイドアーチ橋
      橋台部 半重力式RC造り
      橋脚部 半重力式SRC造り
工事期間  昭和8年6月10日~15年6月14日
工事費   418万円
平成19年6月18日 国重要文化財指定

と、言う訳で無事見学終了。ヘルメットを被りハーネスを付け重装備での見学でしたが貴重な経験でした。