J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島

2010年07月29日 | ドライブ・旅行
能登半島一周シリーズ・URLリンク
「石川県金沢市「兼六園」にて」
「能登半島一周、輪島~片山津温泉」

「氷見」から海岸線に沿って行くルートも在りますが、時間の節約の為にあえて内陸部を通る事にした。時間が有れば、海岸沿いの道「能登立山シーサイドライン」(国道160号線)をゆっくり見ながらドライブするのも良いかなと思います。



和倉温泉から七尾湾を隔てて、正面「能登島」が見える、右手に「能登島大橋」が有り、この日ホテルをたち、能登島大橋を渡り能登島に行く。「能登島臨海公園水族館」に寄りたかったが、時間的にきつくなるので、ここは能登島から最短距離で「ツイン・ブリッジ」へと向かった。
梅雨明け前でもあるので、あいにく天候で、雨の中でのツイン・ブリッジ見学となった。





ツイン・ブリッジを渡り能登半島に戻り国道249号線を行く。この道は割と海岸に沿っていて、見る所も沢山ありそうですが、一気に能登半島先端に近い「恋路海岸」まで行く事にしました。

写真の恋路海岸手前の珠洲市「松波」に酒造蔵本が有り、そこへ立ち寄って日本酒を一本買い、さらに北上します。
シーズン前のウイークデーでもあり、この海岸に立ち寄ったのは私達の位で、他に女性が一人車で来て携帯カメラで写真を撮った後すぐ行ってしまいました。






「恋路海岸」にほど近くここは「見附島」別名(軍艦島)。なぜか「鐘」が有り(えんむすびーち)と命名されていて「鐘」の下の足下がハート形台座になってました。
写真左手の島が軍艦島。浜辺から大きな石が並べられて「軍艦島」の傍まで行けそうです。



岩づたいに歩いて行きます。スニーカーでしたので滑る事もなく何とか傍まで行けましたが、都中で岩の並びが途切れていて見附島までは行けず残念ながら引っ返しました。
馴れない方は、止めた方が良さそうです。




見附島から更に、海岸沿いの道を半島に沿って行きます。
「禄剛崎」は能登半島最北端に位置し、外海(外浦)内海(内浦)との分岐点になります。ここから遠く立山連峰が見えるそうですが、あいにくの天候でそれは、叶いませんでした。
この灯台は、明治16年(1883年)7月外国人技術者の指導の元で作られ、昭和38年(1963年)迄灯台守が常駐管理していたようです。光の届く範囲は18海里(33㎞)地上からの高さ12m、水面からは48m在るそうな。



禄剛崎を後にして、次の目的地は白米(しらよね)千枚田に向かいます。
海岸沿いの道は県道28号線。美しい海岸線を見ながら快適なドライブです。
途中で昼食を取ります。「つばき茶屋」と言うお店に入りましたが、ここは地元漁師さんが経営する所で、その日採れた地物をだすとか・・・・所がこの日は漁に出なかったらしく刺身定食が無く、「でまかせ定食」にする事になりました。それでも生きの良いホウボウの刺身が出ました。(本当にでまかせと言う名の定食でした)

更に県道28号線を走り、国道249号線に出る少し前辺りの海岸に「ゴジラ岩」と言うのがあり、見る角度で本当に「ゴジラ」の様に見えるんです。
写真は載せませんでしたが、一見の価値有り!

途中「曽々木海岸」で「すず塩田村」に立ち寄り、午後に白米棚田に着きましたが、この辺りは棚田がとても多く、この写真の場所が一番規模が大きいようです。すでに稲は育って居て緑の段々畑が広がります。
海辺からすぐに田んぼが立ち上がっていて、塩害は心配ないのだろうかと素人考えで心配になりました。寛永15年(1636年頃開墾され)水田の数は1004枚在るそうで一番小さい水田が0.2㎡だそうな。平成13年国の名勝指定を受けいています。



この日は「輪島」に宿を取ります。
未だ時間が早かったので、ホテル近くの「きりこ会館」の見学です。
「きりこ」とは「切子灯籠」の事で、初期は笹に御神灯をつけ持ち、運用に便利な笹きりこから発展して、江戸時代中期以降、高さ10m以上にも成るものとなりました。
元は七夕祭で、神輿の夜道の灯りだそうな。
きりこ開館には、日本全国何処の地域でも在るように各町内会が競って作った、山車や神輿と同じように「きりこ」が展示してあり、その姿は立派なものでした。




この日は輪島で宿泊です。写真は海岸沿いに建つホテルから「日の出」を撮影したものです。
漸く天候も回復傾向になり、雲も少なめで良い天気になりそうです。




輪島と言えば「朝市」。ホテルを出発して、早速レンタカーを駐車場に入れ、輪島の街の見学です。
写真上は「朝市の様子」左下は再開発された輪島の中心街、右は2001年廃線になった「鉄道七尾線」の「輪島駅」かろうじて線路が残っている。又この場所が「道の駅輪島」となっている。

此から、この日国道249号線を南下し黒島町で海岸線に出た後、「琴ヶ浜」(鳴き砂の浜)ほんの少し見て「関野鼻海岸ヤセの断崖」を見ます。その後金沢を通り過ぎ「片山津温泉」に宿泊します。
その様子は次回へ・・・・・・





石川県金沢市「兼六園」にて

2010年07月20日 | ドライブ・旅行
シリーズ続き
「能登半島七尾(和倉温泉)~碌剛崎~輪島」
「能登半島一周、輪島~片山津温泉」

東京から新幹線で「湯沢」へ行き、そこから「北北線」に乗り換え「金沢」迄。
新幹線の乗車時間は1時間足らず、そこから「北北線」の行程の方がずっと長い時間が掛かる「直江津」を経由して海岸線に沿っての電車の旅は飽きることが無く景色を楽しませてくれる。



金沢駅でレンタカーを借り真っ先に兼六園を目指した。兼六園近くの市営駐車場に車を入れ近くの「紺屋坂」を登る、結構急な坂でした。
兼六園に入る入り口は7カ所ほど有るが、上の写真は案内所のある「桂坂」から入り園内で真っ先に見えてくる「霞ヶ池」周辺を撮影した物です。
タイトルになっている写真も「虹橋」をメインに撮し込みました。



虹橋から左を回り込み「霞ヶ池」を挟んで「蓬莱島」その右の建物は「内橋亭」です。

さすがに見応えのある庭園で、手入れも行き届き、この日も少なからぬ方達が手入れに専念していました。此の維持に膨大な予算が当てられているのかなと感じる次第です。
それでこそ此の場所が、これぞ日本の庭園、と言った趣を保つことが出来るのでしょう・・・・
加賀百万石のお膝元の貫禄充分ですね!
園内を一周するように更に奥へ向かいます。

兼六園は江戸時代の代表的林泉回遊式庭園で「金沢城外郭」として城に属していました。
加賀藩5代藩主(前田綱紀)1676年作庭、その後1759年金沢大火の後、11代藩主前田治脩(はるなが)復興、1822年前田斉広(なりなが)の時代で完成。
「兼六園」という名は中国宋の時代の詩人「李格非」の書いた「落陽名園記の文中から」宏大、幽邃、人力、
蒼古、水泉、眺望の「六勝」を兼ねる所から名付けられた(兼六園パンフレットより)



写真のように林の中は苔で覆われ沢山の種類の「広葉樹」が植えられています。
この辺り奥は「千歳台」と言われていて上流から流れ出る疎水と共に花菖蒲などが植えられていて幾つもの「橋」が掛けられています。




更に一段と高い場所で「山山」と言われる場所です。
一番高い場所に東屋が有りすぐ側に「御室塔」があります。
楓などの樹種が多く秋になれば「紅葉」も一段と美しいと思います。




兼六園を見学した後「蓮池門出口」から「江戸町通り」と言われる通り(おみやげ屋さんが軒を連ねる通り)此所から、隣にある「金沢城」へ回ります。

写真は「江戸町通り」から見る城門「石川門」本丸付近にある「三十間長屋」(国指定重要文化財)が残る程度ですが、その他「五十間長屋」が復元され整備されて公園としての機能が有り一部は無料開放されているようです。
天守閣、本丸は無く、今ではこんもりとした森となっていてますが城郭としては立派な物と思います。おもしろいのは内堀跡が今では四車線の道路となっていました・・・・・・・




写真がその「堀跡」の道路です。
この道路は「お堀通り」と名が付いているようで、写真右上側が「お城本丸跡」です。
本丸跡はこんもりとした林に成って居て城として残るのは各「櫓跡」と「城壁」など、見るべき物は少ない。




「お堀通り」をまたぐ橋を渡ると「石川門」だ。写真は石川門の櫓(重要文化財)この門をくぐると三の丸広場に出る、下の写真がそうですが、ここにはボランティアガイドさんの受付場所などが有ります。今回は時間もなく城内見学は諦めましたが下の写真は再建された「五十間長屋」右手の建物は「菱櫓」城壁の下は「堀」となっています。




その後「金沢市」を後にして、北陸自動車道を通り小矢部ジャンクションから能越自動車道を通り「氷見」まで行きます。そこから一般道に降り国道160号線の海岸線に沿って「七尾」まで行き和倉温泉でこの日の宿泊に成ります。
その後、七尾から「碌剛崎」を廻り「輪島」へ行き「輪島」から南下し金沢を通り過ぎて「方山津」「東尋坊」と廻り金沢へ戻り、東京へ。
能登半島一週の旅です。時間が出来次第Blogにアップしてゆきます。