J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

北海道・知床・羅臼ー網走・流氷を見る旅

2015年02月28日 | ツアー旅行
タイトルの写真は2日目夕方「岩尾別温泉」手前の「プユニ岬」からの夕陽です。
今回の旅は久々のツアー旅行で「知床羅臼 網走2つの流氷クルーズと幻想的冬景色白い感動の大自然北海道3日間」と長いタイトルのツアー旅行でした。
東京羽田発8:00のJAL1145便釧路行きで羽田を離陸する時は雨模様でしたが、釧路空港は曇りで天候はまあまでした。
釧路着9:35分ですぐに迎えのバスに乗り「阿寒国際ツルセンター」に立ち寄り、次に「屈斜路湖」へ行き白鳥を見に行きます。


写真は釧路空港を出てバス駐車場方面へ歩いた所にあるアイヌの守護神「コタン・コロ・カムイ」(シマフクロウ)のモニュメント。他にも丹頂などのモニュメントもありました。


写真は「国際ツルセンター」にて撮った物で、可成りの数のツルが居ました、写真右端の方に幼鳥も写っています。


同じく飛来した「オオハクチョウ」の群れで、カメラをを構えたら丁度降りてきました。



次に「国際ツルセンター」からバス移動で1時間程「川湯温泉」で昼食、昼食後バス移動で「屈斜路湖」へ白鳥に逢いに行きます。北海道ツアー旅行ではバス移動が基本でバス乗車時間がやたらと長い今回は「網走観光交通」と言う会社でした。


天候は羽田を飛び立つ時と打って変わり太陽が出るように成ってきました。



「屈斜路湖」で白鳥を見た後次に「摩周湖」へ向かいます。
霧の摩周湖・・・・・全く何にも見えません。前回来た時も霧で何も見えず。
この辺りから大型バスが何台も駐車場で一緒に成ります。それも中国語が飛び交っています。。。。そう言えば2月24日まで中国は「春節」で一週間程休暇に入るようだ。
今回至る所で遭遇しそのパワーに圧倒されどうしでした。


写真は摩周湖の水面が全く見えない中でも「霧氷」だけでも撮っておこうとモノクロの光の中で撮りました。この日はこれから「阿寒湖温泉」で泊まり予定。


写真は「阿寒湖畔」の街「アイヌコタン」アイヌ民俗資料館や土産屋などが集まった所で残念ながらアイヌ民俗資料館は休館中でした。


写真は宿泊したホテル前のメインストリートに並ぶお土産屋。夕闇が迫り明かりが灯った所。



お土産屋や湖を見学した後にこのお店で「アマンカムイ」(アマンカムイとは食べ物の神様)の彫り物を買い求めた。大きい物が良いのだが可成り高価なので小さい物を買った。
お店のご主人の話では38年間「アマンカムイ」を彫り続けていると言う話でした、その場で私らが買った「アマンカムイ」の木彫りに名前と日付を彫って頂きました。


写真は翌日の朝食!朝夕バイキング形式の食事でこの写真は私のです。純和食でウインナーは息子に食べて貰いました、今回はご飯をセーブして控え目にしましたが、どうも塩分過剰のメニューに成りがちです。又、夕食のバイキング形式は酒飲みのに取っては面倒くさい。写真も撮りませんでした。


写真はホテルの前に広がる「阿寒湖」。昨夜はこの写真右手の方で観光客相手の「阿寒湖氷上フェスティバル」をやっていて打ち上げ花火などの催しが在りましたが、息子とカミさんが見に行きましたが私は面倒なので引きこもっていました。


写真はホテルのロビーに有ったスタンプでアイヌの紋様をイメージした物と思いますが面白いので押してみました。二十数種類程有りそのうちの一部を押してみました。一枚は私二枚目は息子が押しましたが多少ダブっています。


その「阿寒湖氷上フェスティバル」会場の写真でホテルから撮りました。この日はこれから知床半島「羅臼町」へ行き「流氷バードウオッチングクルーズ船」に乗ります。


羅臼港から48人乗りの小型船で流氷帯に入り「オジロワシ・オオワシ」が飛来している場所に行きます。小さい船なので砕氷能力は無いので緩んだ流氷の隙間をゆっくり行きます。
そこで撮った写真で船長の説明を聞きながら1時間程のクルーズです。
船の後部に有名なカメラマン(名前は失念)が乗っていて巨大な望遠レンズと三脚、カメラを備え付けて居ました。
そこで私が撮った「オオワシ」の写真です。200mmのズームレンズですが何とか見られる写真が取れました。


群がる「オオワシ」と「オジロワシ」。見ているとクルーズ船が魚を撒くので餌取りに寄ってくるようで、その他にカモメ数種、カラス、ウミウ等が集まる。餌を撒くとカラスとカモメがすぐ来るがオオワシとオジロワシは悠然とした物で暫くして餌の所へ行く、そうすると大きさで負ける鳥たちは逃げて行くがカラスだけは逃げない。


写真はカモメ。カモメも割と大きいがオオワシやオジロワシには負ける。



この写真は少しトリミングしましたが仲良くオオワシとオジロワシが留まっている所です。


こちらの写真は「オジロワシ」



写真は流氷の水面下を撮った所で、海上に出ている大きさより海面下は3倍の大きさが沈んでいる。船が流氷に当たると可成りのショックが来る。


写真は羅臼から見える「国後島」で羅臼から26km程の距離、「国後島」は知床半島よりもずっと大きいのが良く解る。これだけよく見えるのはこの時期には少ないそうだ。


写真で見えている雪を被った白い左側の高い山は「国後島羅臼岳」(チャチャヌプリ(爺爺岳))知床半島も「羅臼岳」で同じ名前らしい。


こちらの写真が「知床連山の羅臼岳」(左の高い山、標高1,661m)標高の割に3.000mクラスの山容で流石北海道の山


悠然と飛ぶオオワシ。



羅臼港の流氷と羅臼岳。常に霞が漂い中々スッキリした写真を撮るタイミングが難しい。



写真は羅臼港に停泊中の海上保安庁の巡視船で国内に2艇しか無い砕氷能力を持った警備艇でその内の1艇がここに配備されている。(クルーズ船船長談)


この日は知床半島羅臼側から反対側のウトロ温泉の宿泊ですが国道334号線知床峠が通行禁止の為一端標津町(しべつちょう)まで戻り国道244号線経由で北側オホーツク海側に出ます。
その後国道334号線を北上してウトロ温泉へ行きます。
その途中で撮った「斜里岳」です。斜里岳は知床半島の付け根に位置し標高1,547mでアイヌ語でオンネプリ(年老いた山)と呼ばれていた。美しい山です。


写真は途中昼食に「ウニ割り体験」で自分で割ったウニを昼食に食べます。そのウニ割りの方法を指導している所です。


写真は昼食の海鮮丼と自分で採りだしたウニと私と息子の写真!



斜里町へ出てオホーツク海を眺めながら国道334号線を北上。オシンコシンの滝をバスの車窓から眺め「プユニ岬」へ行きます。
そこからの夕陽で網走方面を撮った所です。


国道334号線は「プユニ岬」から少し行った所で通行止めで半島先端の知床岬に行く道はありません、突き当たりを右方向へ国道334号線で知床峠へ行けますが今は通行止め。半島を横断する事は出来ません。又知床半島は先端まで道路は無く簡単には行けないのです。
そこで引き返します。
写真は丁度オホーツク海に太陽が沈む直前に「プユニ岬」を通りかかり太陽が見えるようになりました。絶好のシャッターチャンスです。ラッキー!!
この日はこれで本日の日程は終わり。すぐ近くの「ウトロ温泉」で宿泊です。


写真は翌朝ホテルの窓から見たオホーツク海で小さな港がホテルの前に広がります。
流氷は沖の方へ流れていて遠くに帯状に見えます。手前に残った流氷の流れも可成り速い。


本日の日程は「釧網本線北浜駅」から「ノロッコ号」列車に乗り「網走駅」まで行きます。
北浜駅はオホーツク海に最も近い駅という事です。写真はその「釧網本線北浜駅」から「網走駅」方面を撮った所です。


目の前に広がるオホーツク海の流氷は沖合を右手方向に流れています。



写真は「ノロッコ号」のディーゼル機関車、6両編成(内一両がストーブ列車)が1日数本「釧路駅」「網走駅」間を往復しているようです。


北本駅から15分程で網走駅に着きます。ここで待機していたバスに乗車、網走市内から「オホーツク流氷館」の見学に行きます。そこの展望台から撮った「網走刑務所」の全景です。
川と高い塀に囲まれた刑務所を脱走するのは難しそう。健さんもここから「網走刑務所」を眺めたカモですネ。


写真は上の写真と同じ場所からカメラを左にパンすると「網走湖」です。全面結氷して居て真っ白です。


「オホーツク流氷館」を見学した後、少し国道を戻り「オホーツク海鮮市場」で昼食です。
ツアー添乗員が手配した昼食は止めにして別行動とし、私と息子は昼食にラーメンを食べましたが、カミさんは海鮮丼を食べていました・・・・よく食べるな!!
食事の後ぶらぶらしていたら「ノロッコ号」が通りかかりその勇姿を撮影する事が出来ました。丁度私達が乗った列車が釧路から折り返して来たようです。

海鮮市場のここでも中国語が飛び交い活きタラバガニの大きい物を大名買い、そのカニを食堂で生食するのですが大きな活きたタラバガニを持ち写真を撮るのに大騒ぎです。カニの値段が一パイ数万円以上・・・!何ハイも売れているようで外国人様々な感じです。私達日本人ツアー客は隅の方でため息交じりで眺めていました。。。。。。。。!


次に網走港から「砕氷船オーロラ号」に乗り流氷を追いかけてオホーツク海に出港します。
1時間程のクルーズですが知床半島北側のオホーツク海には流氷が余り在りません。沖合数キロの所に帯状に流氷がありそこに突っ込んで行きます。


写真がその様子です。ご覧のように流氷が帯状に漂っている中を進んで行きます。何だか冴えませんが「砕氷船オーロラ号」に乗るのは今回で2度目で、前に乗った時はモット流氷が多かったのですが10kmも沖合まで行きました。


次にバス移動で又戻り「ウトロ岬」(能取岬)に行きます。ここは無機質に灯台があるだけで何も無くただ、ただ冷たく強いが吹いているだけですが北海道らしいと云えば云えます。


岬の突端から見た網走方面です。手前断崖下に流氷の残りがあります。足下は鹿の糞が至る所に有りよそ見して歩く事が出来ません。しかし景色はとても良い所です。


「ウトロ岬」(能取岬)の看板。広い平原にこの看板がぽつんと立っているのが印象的です。



今回の旅はこれで終了。写真は途中バスガイドさんの話によりますと写真の景色は何かのTVコマーッシャルで使われた景色だそうで、わざわざバス運転手さんがバスを止めて撮影時間を作ってくれました。
雪原に確か7本の木が立っているだけですが北海道の風景・・・・と言った感じです。
道路脇から撮影した物で雪原に立ち入る事も出来無いので思うように撮れませんでしたが・・・・この後「女満別空港」から羽田へ直行します。

時間的に余裕が有り飛行機は20:20分発羽田行きです。羽田着は22:15分着で遅いのですが羽田まで車で来ているので帰りの交通機関の時間を気にする事も無く気楽です。

先週この辺り女満別は吹雪で大荒れだったそうですがこの日は時折雪がちらつく程度でした。
「女満別空港」は小さなローカル空港ですが夕食もここで摂ります。空港外に食べる所が2軒程、空港内も2軒しかなく外へ行くのも面倒で。お土産屋を見て回った後、店が空いてきた所を見計らって入りました。
帰りの飛行機も乗車率が満席に近いようで混雑を避け、早めの保安検査を受けて中に入ります。羽田の保安検査は厳しいのですが、ここ女満別空港はそれ程厳格でも無いようです。ナゼッテ!
何時も羽田では引っ掛かり右往左往するのですがここは2回目ですがストレートで通過できました。

自宅に戻ったのは24:00時近くでしたが、何事も無く無事帰着でホッとしました。























北海道「札幌ー小樽近辺」をめぐる。

2014年11月03日 | ツアー旅行
タイトルの写真は初日(2014年10月24日)新千歳空港から「支笏湖」へ行き、対岸の「恵庭岳」と夕陽です。
時間的には16:00頃で北海道の日没も早い。
「新千歳空港」12:35分着で、到着後空港内にて昼食を済ませレンタカーを借り「支笏湖」へ向う。この後「定山渓」に宿泊2日間連泊する予定。(花もみじ)
この旅行は息子夫婦と2歳半の孫、それと私達夫婦と息子の5人と孫で今回はツアー旅行では無く自ら計画した。(2歳半の子供ずれではツアー旅行は無理)


写真は「支笏湖畔」駐車場から見えた山で「紋別岳」(865m)と思われます。



「支笏湖畔」からの夕陽。この後、国道453号から230号へ出て「定山渓」へ向かいます。



旅館に着いた時は既に夜になり温泉も入らず早速夕食になって仕舞いました。
この日のメニュー。
食前酒 ハスカップ酒
前菜   季節の山海珍味盛り合わせ
吸い物  舞茸と鴨ロースの土瓶蒸し
お造り  海老、鯛、トラウトサーモン、帆立
火の物  道産朴葉焼き
煮物   蛸やわらか煮
洋物   北の恵みサラダ
蒸し物  海の幸の茶碗蒸し
お食事  季節の炊き込みご飯
止め椀  鉄砲汁
香の物  三種盛り
デザート ブランマージュ
その他飲み物は注文で生ビールと生酒


写真は翌朝撮った物で「定山渓ビューホテル」この温泉街で一番大きく立派なホテルでした。丁度我々が宿泊した「花もみじ」(鹿の湯の別館)の向い側


写真は翌朝定山渓レークラインを走り「朝理峠」を通り国道5号線に入る「高島岬」に在る「鰊御殿」(にしんごてん)に行った、その時の展望台から撮った物です。
下の写真は「高島岬」から「小樽」方面を撮った所、丁度霞んでいる写真中央奥右手が「小樽」の街。


その後「小樽」へ戻り「小樽運河」周辺を散歩する。2歳半の子供ずれなので、動き回るにも自由が効かず行動範囲は限られている。


この「小樽運河」周辺の観光客相手の店で昼食を取ったが土曜日と云う事も有って人出は可成り多い、従ってどこの観光地でもある様に好感の持てるサービスは期待できない。


昼食後息子夫婦達はショッピングをするというので、私だけ別行動を取る事にした。
一人で「小樽」の街を歩き回る。写真は函館本線「小樽駅構内」線路をまたぐ「県道697号線」高架橋から撮った物。


この写真が「小樽駅」正面。観光客も「小樽運河」周辺に集中していて、小樽駅周辺はひとけも少なかった。


写真は「都通り商店街」のアーケードで土曜日のせいか人出は結構有る、しかし東京の繁華街と比較すると偉い違いだ。此処まで来ると観光客も極端に少なく昼食などは此方の方が落ち着いて摂る事が出来そうだ。


写真は「小樽駅」から海側に少し歩いた所に在る旧国鉄「手宮線」跡。
旧国鉄「手宮線」は1880年(明治13年)開通、手宮(小樽市内)~札幌間を走り翌年幌内まで延伸。北海道開拓に重要な役割を果たした。
1985年(昭和60年)小樽~手宮間が廃線となる。市外中心部910mの内510mが跡地として整備されオープンスペースとしてイベントなどにも利用されている。


写真は「小樽運河」煉瓦倉庫群から海側に近い方で此方は観光客の人出は少ない。
「小樽駅」から広い道路を緩やかに下りこの運河を渡り第三埠頭まで行き、地元の方が釣をやっているのを暫く見ていたが「チカ」と言うカタクチイワシに似た魚が入れ食い状態だった。
う~ん時間が在れば釣も遣ってみたい!
この後みんなと合流して、地ビール工場見学などをした後定山渓の宿に戻る。


写真は翌日の朝食でバイキング方式なので自分の思い通りの食事が出来る。
温かいご飯に「塩から」で食べると、此が何とも美味しい!写真のメニューだとどうしても塩分を取りすぎの感じですが純和食で今日の朝も殆ど同じメニューだった!


宿をチェックアウトして今日は「札幌」市内の見学。
写真は「札幌大通り公園」テレビ電波塔から「大倉山」方面を撮った所。


写真はその「大倉山」をアップで撮った物で、冬季オリンピックでジャンプ競技に使用されたジャンプ台を撮ってみた。


写真は「札幌大通り公園」電波塔のすぐ下で紅葉には未だ少し早いと言った感じでしょうか。



写真が大通り公園の真ん中にそびえ立つ「電波塔」




写真は大通り公園からすぐ近くの「札幌時計台」此処でも息子夫婦は買い物をすると言うので私達は別行動とした。


写真は色づき始める「札幌大通り公園」とテレビ塔。
札幌中心部はビル群で東京都心と全く変わらないので、あまり歩く気も無く、近くのデパートで札幌土産を買い求め、息子夫婦と合流した後「新千歳空港」から帰路に着きます。

やはり「新千歳空港」で遅めの昼食とし、空港の売店でショッピング。かみさんや息子夫婦は実に買い物が好きだな・・・・・買い物なんて何処でも出来るのに・・・・・と思うが!
16:30分発のANAとスターフライヤーの共同運航便ボーイング777-200型、来る時と同じ型の飛行機で(スターフライヤー機)座席も真ん中4列シートを縦に座る席で家族と話も出来無い。
外の景色も殆ど見えず、夕方なので外の景色は期待できないと思いましたが、それでも夕陽が小さい窓から綺麗に見えました。






立山・黒部アルペンルートを行く

2013年05月12日 | ツアー旅行
タイトルの写真は「針ノ木岳」立山・黒部アルペンルート・メインとなる「大観峰」から黒部湖を挟みひときわ高くそびえる山だ。200mmのズームレンズで撮影
この日は好天に恵まれ終日山並みが見えていた。左方向八方尾根に続く「唐松岳」から右端「野口五郎岳」まで三千メータークラスの山が連なり残雪が残る山並みが見事だった。



東京8:24発「Maxとき」で長岡まで、そこから現地のバスで「宇奈月」まで。
写真上は東京駅の電光案内板左下は長岡で下車時の「Maxとき」右は長岡駅です。



写真は宇奈月ダムで「宇奈月駅」からトロッコ列車に乗りまもなくの所にある。
当然この黒部川流域のダムは発電目的なので、ここから上流部にも幾つかダムがあるが全て発電所がある、最もダムの有る場所に発電所が有るとは限らないが・・・・・



上の写真の宇奈月湖の中に在る発電所で取水口は上流に在る「出し平ダム」等幾つかあるようです。




写真は「仏岩」と言われる赤い帽子を被った岩。
対岸に赤い点線で判りやすく線を入れましたが川の流れに水平に岸壁に道が付いています。今は使われて居無いようですが、この先トロッコ電車終点の「欅平」迄繋がっている感じです。

更に「欅平」から先、有名な「旧日電歩道」が在ります。この道は「欅平」からは登りに成りますが「水平歩道」と言われる道から黒部の秘境中の秘境、十字峡やS字境などを通り「下ノ廊下」から黒部ダムまで27km程、V字渓谷の断崖側壁に作られた道で一日では行けず、途中「阿曽原温泉小屋」で宿泊しなければ無理です。毎年滑落事故が起きていて開通期間が2ヶ月足らず。関西電力の管理により守られています。一度は行ってみたい場所ですが、私の様な年齢ではもう無理か?断崖絶壁の恐怖感とか全く無いので平気ですが身体能力が落ちていますので無理かも・・・・



写真は「黒薙」駅を過ぎた辺りで撮った写真ですがトロッコ列車は二重連の電気機関車で牽引されていてゆっくり走って行きます。トンネルが半分近くあり単線です。



写真は「猫又」駅で、この時はここが終点でここから折り返しに成ります。後一週間後位に全線開通する様ですが「欅平」まで行けず残念!「猫又」は丁度中間点ほどでしょうか。



写真はこの日の宿泊ホテルから撮った写真で富山市中心部方向です。「呉羽山」と云う小高い丘に建てられたホテルで富山市中心部の向こうに立山連峰が見えるはずですが、この日はあいにくの天気で雲が多く遠くの山並みを見る事は無理でした。



写真が昨日宿泊したホテル「富山観光ホテル」玄関。
今日は良い天気そうで、これから立山・黒部アルペンルートの中心地へ出発します。まずは「立山」までツアーバスで行きます。今回のツアー参加者は15名、中型のバスで3日間同じバスですので楽でした。「立山」駅からケーブルカー、高原バスと乗り継いで「室堂」へ!



写真は上が「立山駅」左下が「高原バス」の発着地「美女平」駅、その他の液晶ディスプレーは「室堂」などの気温、現在マイナス5.5度、「阿弥陀が原」は0.1度標高が上がるにつれて次第に気温が低下して行きます。



写真は「雪の大谷」、「室堂」少し手前にあります。丁度雪の吹きだまりに当たる場所で、更に除雪の為に雪を上に飛ばす為、写真にもある様に18mの高さに成って居ます。
「室堂」まで行き、バスを降りて500mほど徒歩で戻ります。



写真上は「室堂」のバス駐車場から見た「雄山」(3,015m)で、左下の写真は室堂の標高と現在の気温です。立山・黒部アルペンルート全行程を通して「室堂」が一番標高が高く気温も低い。右下の写真は「みくりヶ池」へ向かう道で、天気が回復すれば「剱岳」が見えるはずなのですがこの日はあいにくガスが多く、待ってもついに「剱岳」を見る事が出来ませんでした。
若い頃、ここからスキーを担いで「雷鳥沢」から「剣御前小屋」へ行き「剣沢」を滑った記憶は今でも鮮明に覚えています。丁度5月の連休中でした。
この「室堂」ターミナルで持ち込んだ弁当で「昼食」を取り、これから「立山」の下をくり貫いたトンネルをトロリーバスで「大観峰」へ行きます。



写真は「大観峰」展望台から見た「後立山」で、トロリーバスでトンネルの中を山越えをしたら素晴らしい天気に成って居ました。写真は展望台一番左手方向から「唐松岳」「五竜岳」「鹿島槍ヶ岳」「爺ヶ岳」と続きます。



写真は「爺ヶ岳」に続き「岩小屋沢岳」「鳴沢岳」「赤沢岳」「スバリ岳」その左に少しだけ「蓮華岳」山頂が見えます「スバリ岳」の右が「針ノ木岳」



写真はパノラマ一番右方向で、写真一番右が「野口五郎岳」(歌手の野口五郎由来の山)一番左の山は「針ノ木岳」でその中間の山名は省略。(真ん中より少し右に「大天井岳」が見えます)



今度は立山ロープウェーで「大観峰」から下りのコースとなり「黒部平」へ向かいます。
写真はロープウェー後方の窓から「大観峰」を撮った所で、ワイヤーを支える柱が駅と駅の間に全く無く、可成り珍しいそうだ。
右方向に「剱岳」が見えると思ったけど見えません!!(泣)



写真は2010年夏に登った「松唐岳」と右の大きな山は「五龍岳」今年は「五龍岳」に挑戦してみたい物だ。(黒部平展望台から撮影)



写真は同じく黒部平展望台から撮影した「黒部第四ダム」施設。
写真中央にジクザグに黒部川に降りる道が見えます。これが前の方にも書いた「旧日電歩道」入り口へ通じる登山道で、ここから「下ノ廊下」へと冒険の旅が始まります。この道はダムの堰堤まで行と見えなくなり、代わりにダムの堰堤から真下を見ると川底を渡る道が見えます。
画面左上の方に見えるのは「白馬岳」と思います。



「黒部平」駅から今度は地下トンネルを通るケーブルカーで「黒部湖」駅へ行きます。
写真は「黒部湖」駅で撮った物で暗い中でブレブレの写真に成ると思いましたが意外と見られるので記載しました。



写真は黒部ダムの堰堤から黒部川下流方向を撮った物で、まだ「白馬岳」が見えました。
写真下の方に右からの登山道が黒部川を渡り道は左岸を下り始めます。川底の写真で見える範囲は未だなだらかですが写真中央(内蔵助谷出合)右方向に曲がっている辺りから本格的な絶壁の道と成るようです。



上と同じ様な写真ですが、数百メートルのダム堰堤を歩く間にも、雲の動きが激しく「白馬岳」がよく見える様に成ってきました。下流からは冷たい強風が絶えず吹いていて寒く「黒部湖」駅対岸からトンネルに入り今度は「関電トンネル・トロリーバス」に乗ります。
黒部ダム堰堤右岸には展望台もありますが、今回は時間も無く展望台まで長い階段を上らなくては成らないので今回は諦めました。



写真は「扇沢」バス停、上の方奥に見える山はたぶん「針ノ木岳」の様な気がします。
大町市中から見ると「針ノ木岳」は殆ど隠れて見えず、代わりに「蓮華岳」が見えます。



写真がそれで大町市内を流れる「高瀬川」河畔にある大町のホテル街から撮った写真で「蓮華岳」の大きな山容と山桜を入れて撮ってみました。
今日はここ大町で宿泊です。十数年前ここにある「酒の博物館」を見学した事がありますが、静かで良い街と言う印象が強く、この日も落ち着いた町並みにどことなくホットした感じがしました。



写真は翌日大町からツアーバスで上高地に向かいます。
そこ「大正池」から「焼岳」を撮った所です。
この日は好天に恵まれスッキリした北アルプス連山を見る事が出来ました。



写真は「大正池」から穂高連峰を撮った所です。
左から「西穂高岳」「奥穂高岳」「前穂高岳」ほぼ真ん中の沢は「岳沢」



写真は「田代池」から北西方向へカメラを向けた所です。
此の付近で大きな猿の集団が居て、この辺りの猿も人を恐れなくなっているようです。
湿地帯から生えてくる新芽を次々と食べていました。
これだけの群れが次々と集団で来て新芽を食べると、可成り自然破壊と成るのではないかな?



大正池から「河童橋」へ向けて一時間ほど歩きます。
その途中昼食を取ります。これまでバス車中や各ケーブルカー駅などでオプションの弁当で昼食を済ましてきましたが、今回は最終日でもあるし、ここは豪勢にホテルでお食事としゃれ込みました。
写真がその「清水屋ホテル」生ビールなどを飲みながらゆっくりと昼食を摂りましたが結構な金額で貧乏性の自分はこのお金で山用品でも買えそうだ等と思うのでした・・・・・・



さて昼食も終えほろ酔い加減でボチボチ歩きます。「清水屋ホテル」の隣りに写真の様なウエストン碑があります。
その前を通り「河童橋」に向かいます。



「河童橋」まで来ると結構人が居て賑やかです。
そこで撮った写真をまとめてみました。
写真左上は「西穂高岳」と「奥穂高岳」の中間にある「畳岩」その右の写真は「明神岳」有名な「涸沢」へ行くには、この「明神岳」の右手を回り込む様に向こう側に出なければ成りません、何時間も歩きます。写真左下は「西穂高岳」右下の写真で白く雪を被った山頂が「前穂高岳」200mm望遠レンズで撮りましたが手持ち撮影の為いまいち解像感に欠けます。



そして有名な「河童橋」からの写真。ここから真正面に見える「岳沢」を30分程持参した「双眼鏡」で見ていましたが 、登山者が結構居るのに驚きました。



写真はその様子です。200mmズームレンズではこの程度しか写りませんが、双眼鏡で見るとよく判ります。小さな赤い点線丸が人で上と下に二組居ます。おおきな赤い点線丸が雪崩の跡で、見ている此方もはらはらしながら見ていました。が上の人は30分程で無事渡りきり「岳沢ヒュッテ」向かっていました。右端が「岳沢ヒュッテ」で、このほかにも画面左から何人か下山してきました。



最後が「河童橋」を入れた穂高の山々。

3時間余の上高地滞在でゆっくりした後ツアーバスに揺られ「松本駅」から「あずさ34号」で東京方面向かい解散と成りました。我が家に帰着したのは10時過ぎでした。






北海道その2「利尻島」から「稚内」

2011年07月30日 | ツアー旅行

この日礼文島は相変わらず低い雲に覆われ悪天候が続いていたのですが14時40分のフェリーで沓形港に着く頃には利尻島西側は割と好天でした。
稚内からの距離は礼文島より利尻島の方が近く、利尻島と礼文島の天候の違いは地形による所が大きいようです。
この日の海面の状態は前日より多少穏やかなモノのほんの少しうねりが有りました。
しかし相変わらず東の風が一定方向から吹き付け気温が低いまんまです。




沓形港に入港する時、丁度「豪華客船パシフィック・ビーナス号」が停泊していました。
この様な客船で旅をしたいと思っても一般庶民には高嶺の花ですが・・・・・・
可成り大型の船舶で、私達の乗るフェリーの倍程の大きさです。
入港時好天に恵まれ、利尻山と白い船体のパシフィック・ビーナス号の美しい形が良くマッチして居る姿が撮影出来ました。。
此の後数時間後にパシフィック・ビーナス号は出港して行きました。



沓形港到着の後、直ぐバス移動(相変わらず10人で大型バス)で利尻島を一周します。
写真は丁度沓形港反対側にあるオタトマリ沼の散策をした時のモノです。
此所でも地元ネイチャーガイドさんの案内で沼の周囲を一周します。
しかし高山性の植物は少なく、見るべき植物は少ない。肝心の沼から見える利尻山が全く見えなくなってしまった。オタトマリ沼は「島」南側に成り気流の関係で低い雲に隠れて仕舞った。本来なら写真真正面に利尻山(1,721m)が見えるはずなのですが・・・・・・



次にバスは「仙法志御崎公園」に廻ります。写真の「仙法志御崎公園」は利尻島南側なのですが、相変わらず利尻山上部は雲に隠れています。
海岸にゴマフアザラシが飼われている生け簀があり、二頭のゴマフアザラシが居ました。
その他には何も無く、土産物屋も閉まっていてチョイと寂しい感じです。



利尻島は海岸線に沿って道路が一周して居ますので、更に先に進みます。
写真は「仙法志御崎公園」からそれ程離れていない場所で「麗峰湧水」と言う、利尻山の伏流水が湧き出ている所です。
地元の方も此の湧水を汲みに来ていました。日本百名水にも選ばれているようです。
湧水量も多く中々美味しい水でした。

本日の日程はこれで終了。一行はこれから沓形港と鴛泊(おしどまり)に分宿します。
私達だけが明朝5時30分から「姫沼散策」に出かけるために「鴛泊港」のホテルに行きます。



翌朝「鴛泊港」の船溜まりから地元漁師さんが「ウニ漁」へ出かける様子です。
小さな船外機付きの船に一人乗り、箱眼鏡で海底のウニを網で捕ります。
見ていると10艘程が次々と出港して行きます。これが何時もと変わらぬ漁師さん達の日常なのかな~と!飽きずに見ていました。




早朝5時30分から添乗員さんの案内で姫沼散策です。天候が霧雨状態で余り良く有りません。バスが迎えに来て添乗員さんと私達家族3人で、またもや大型バスに乗り込みます。
姫沼は小さい沼で一周私達の足でも15分程です。
写真はバス駐車場すぐに鋼鉄製の吊り橋「想い出橋」で、この先に姫沼が有ります。



姫沼のほとりで記念写真。沼の反対側にはすでに十人以上の団体さんが散策していました。



写真は沼のほとり(木道が敷いてあります)にひっそりと咲いていた「イチャクソウ」と思えます。



写真はネイチャーガイド兼添乗員さんの話では、とど松に絡まった「ツルあじさい」らしいと言う事でした。

さて次第に天候も悪くなり、雨が降ってきました、さっさと切り上げて宿に戻る事にしました。



散策からホテルへ戻り直ぐに朝食です。
さっぱりした朝食で、美味しかった!

ちなみに昨晩の夕食の献立は。
食前酒  ハスカップワイン
小付け  昆布サラダ
珍味   たちかま(鱈の白子の蒲鉾)
和鉢   生うに
お造り  活き帆立、平目、サーモン、甘海老
酢の物  めかぶ、甘酢生姜
焼き物  たらば蟹と帆立の炙り焼き
皿物   毛蟹
煮物   ほっけ煮付け
蒸し物  茶碗蒸し
小吸い物 うに玉汁
デザート オレンジ
香の物  二点盛り
汁物   帆立稚貝
プラス、生ビール(中)に冷酒2本、ご飯

あ~喰った喰った!



さて、いよいよ最終日。朝食の後、到着の時と違って「鴛泊港」から稚内へ向けて帰りの船旅です。

民宿の方々がフェリー出港の見送りに「大漁旗」を振ってくれました。
稚内までの所要時間は100分程。本日は海も凪の状態で波が殆どありません、全く穏やかな感じです。気温も若干高めで20度を超えたくらいでしょうか?
稚内に到着後宗谷岬に向かいます。



写真は宗谷岬に在る記念碑!観光客が多く、此の写真のように人が入らないように撮影するのに一苦労!次々と此の碑の上に立ち記念撮影20分程待って、人が少なくなった所で一瞬待って貰って急いでシャッターを切りました。
又、これ程沢山の記念碑が乱立する場所も珍しい・・・・・・・

此の記念碑へ来る前に「宗谷丘陵」を一回りして昼食を採りました。
「宗谷丘陵」地帯は「風力発電」が盛んで57基の風車があります。本日は風向きが悪く風も弱いので風車は殆どが止まっていました。
此の場所は地形的に「周氷河地形」と言って約2万年前氷河時代末期、氷河周辺部が凍結と融解を繰り返す内に出来た、丸みの有る丘陵と谷を形成しています。一帯は牧場として、黒牛が飼育されていて牧場の中「ゲストハウスアルメリア」での昼食が黒牛のハンバーグでした。



写真は「日本最北端」の碑が有る隣に歌「宗谷岬」の歌碑が有り流れていました。。。。。
此の写真を撮るにも一苦労!私が人が居なくなるのを待っているのも関わらず。おじさん、おばさんがこの前にデンと陣取って歌ったりしているのです・・・・・・・
昼食の時も此の曲が何回も繰り返し流されていて居ましたが、、、、、、、、、

流氷体験館などにも入りましたが寒い上に更に寒い部屋に入りすっかり冷えてしまいました。此の場所から陸側を見ると丘の上に、ロシア帝国のバルチック艦隊を見張ったと言う旧日本海軍の望楼が見えます。稚内の文化財と成って居るようです。

さて宗谷岬が今回の旅の最後です。これから稚内空港から羽田までの直行便で帰ります。



写真は羽田へ向かう途中「宮城県」辺りの上空でしょうか?
ボーイング767型機で、座席が横7席で2-3-2と成って居て私達家族3人が丁度真ん中の席に成って仕舞った為、窓から下界を上手く見る事が出来ませんでした。
その為現在位置も判らず、遠く入道雲位しか見えません。仕方なしにCAの席近くの窓から撮影しました。

今回のツアー旅行、天候は今一でしたが少人数でゆったりした観光が出来ました。
礼文島が終始雲に隠れていましたが、利尻島と利尻山の全景が撮れたのは収穫でした。


北海道「稚内」「礼文島」の旅

2011年07月19日 | ツアー旅行
タイトルの写真は稚内港にある「北防波堤」珍しいドーム形の防波堤です。
此の防波堤は写真左手に桟橋があるため其処に停泊する船舶を波から守るために作られたと言う事です。この時期通常は西からの強風が吹くそうですが、今回此の地方に到着した時ヤマセという東からの冷たい風で最高気温が18℃前後の外気温が続いていました。
東京地方は36℃前後の猛烈な暑さなのですが・・・・・・・



14時に稚内空港に到着。今回もツアー参加の旅行となりましたが参加人数が9人と少数で東京から添乗員も同行10人で45人乗りの大型観光バスを借り切ります。

まず稚内公園の見学です。
最北の街ですが、結構大きな都市で人口も多い。公園内は歴史的記念碑が沢山建てられていて居ます、その内の駐車場近く「氷雪の門」の歴史等をバスガイドさんの案内で見て回ります。「氷雪の門」は正式名「樺太島民慰霊碑」と言い帰らぬ樺太への望郷の念と、樺太で亡くなった人々のために昭和38年に建てられました(パンフレットより)




稚内公園を見学した後、副港市場に向かいます。宗谷岬へは礼文島、利尻島を回った後最終日に行くので今は市場を見学した後、稚内で宿泊します。
副港市場の隣には野球の「松坂大輔記念館」が有りましたが、何も此所まで来て料金を払ってまで見学する事も無かろうと私は遠慮しました。




翌朝ノシャップ岬に行きます。
納沙布岬(ノサップ)は根室半島ですが、此所はノシャップ岬、少し紛らわしい!
岬の手前に現自衛隊の通信傍受施設があり、アンテナ群やレーダードム群を見ていると、此所は北方の地、軍事の最前線である事を感じさせます。

ノシャップ灯台は海抜0メートルから建ち上がる灯台で高さ42mほど有ります。灯台の周りに見学施設が幾つかありその内の一つ「南極観測資料館」が有り無料で見学出来たので早速入りました。稚内市営ですがなんだか掘っ立て小屋の雰囲気ですが他の施設は有料でした。




ノシャップ岬で真っ先にシャッターを切ったのが此のハマナスの写真!
独特の花の色合いが、強風とどんより曇った空に何とも美しい!
現地の気温は17℃前後東の風で5~6mの風で体感温度は10℃位でしょうか、長袖シャツにセーター、その上に風よけのカッパを着込んでの見学です。以降此のスタイルが帰るまで続きました。



ノシャップ岬を見た後、礼文島行きのフェリーに乗ります。
1時間40分の船旅です。
写真は「香深港」です。ここから島内をバスで巡ります。港に到着して直ぐに宿泊先(香深)で昼食でした。此の後メインの「礼文林道散策」です。



写真はその風景の数々、左上の大きめの写真は元地海岸「地蔵岩」で大きな岩を真っ二つに割った様な岩で5~6m離れて立つ岩は左右質の違う岩で、とても不思議だそうです。此の海岸はメノウが拾えるそうで一緒に行った人が一つ拾いました。しかしそう簡単には見つからず、気の良い地元のお土産屋さんが拾い集めた幾つかのメノウをくれました。
後は礼文岳の写真と「桃岩」「猫岩」と名前が付いた場所です。



現地のネイチャーガイドさんの案内で「礼文林道散策」。沢山の高山植物群が見られます。
写真左上から「チシマフウロ」右「キクバクワガタ」左下「レブンシオガマ」右下「イブキトラノオ」真ん中「ヤマブキショウマ」現地は風が強く三脚無しでこうした植物のクローズアップ写真を撮るのは難しく難儀しました。



今の季節「レブンウスユキソウ」が目玉となるでしょう「レブンアツモリソウ」はシーズンが過ぎてしまい、見る事は出来ませんでした。
「レブンウスユキソウ」は本土ではウスユキソウ、別名エーデルワイスの近種で背丈も15~20㎝程の小さな花です。



先程の写真にも遠くから見た写真がありますが、「猫岩」を狙って撮したモノです。
写真中央右手の岩、猫がかがんでいるように見えませんか?

この日は香深に戻り宿泊します。翌早朝5時30分から礼文岳「礼文林道」の反対側の林道を歩く予定です。



写真は早朝の礼文岳です。昨日とは別のネイチャーガイドさんの案内で尾根道を歩きます。
相変わらずの天候で最低気温と最高気温の差が余りなく、この日も強い風で体感温度は昨日より低い!
ガスも低く垂れ込め写真撮影には最悪であまり良い写真は撮れませんでした。



それでも少し海抜が下がるとガスも消え斜面の向きによっては風も弱まります。
そこで撮影したのが上のハマナスの写真です、重く垂れ込めた雲と鈍い光にハマナスの花の色は格別です。




早朝の尾根道から一端宿に戻り朝食後、今度は「澄海岬」(すかいみさき)に行きます。
低く垂れ込めた雲も幾らか上がり写真の「澄海岬」はすっきりした景色です。海水の透明度が高く海の底まで見渡せます。そこから(すかいみさき)と名前が付いたようです。
此の場所反対側下の、海岸砂浜では「穴開き貝」が有り、拾い集めました。
「穴開き貝」とは、巻き貝が二枚貝を食べるために、酸性の粘液を出し二枚貝に穴を開けるのです。その死んだ貝殻が海岸に大小沢山打ち上げられています。
貝殻の頂点付近にまん丸の綺麗な穴が空いていて、工夫次第で立派なアクセサリーとなります。



次に又バスに乗り(相変わらず大型バスに10人乗車です)スコトン岬に向かいます。
写真がそれで、中央向こうに見えるのが「トド島」でトドが寝転んでいる感じから名前が付いたようですが・・・・・・
此の看板右手前の崖っぷちに「民宿」が有るのにはビックリしました!
此の岬の向こうには遠くサハリンが見えるようですが、此の天候では見るべくも無く・・・

此所から来た道を戻り「船泊港」見ながら「金田の岬」で昼食です。



「金田の岬」で「三色丼」(ホタテ、イクラ、ウニ)と毛ガニが出ましたが、ここら辺りはどこへ行ってもホタテ、イクラ、ウニ、カニが出ます。ハッキリ言ってもうタクサン!!
毎食毎これでは飽きますよね~!

写真は「ウニ剥き体験」でムラサキウニを向いている所で、自分で剥いたモノは、自分で食べなくては成らないので、昼食後直ぐではさすがに何のありがたみも無く、ムリにボタンエビとウニを食べましたが、その後バスに乗りしばらくして気持ち悪くなり閉口しました。

さー今日はこれからフェリーで「利尻島」へ渡ります。
「香深港」からの出港で40分程。
今日は「利尻山」が山頂まで見えたり見えなかったり、割と利尻島は天候が良いようです。

相変わらず冷たい東風が吹いておりフェリーのマストに取り付けられた「風向計」の向きは常に一定方向の向きで動がず風車は可成りの速度で回っています。海面は前日と違って割と穏やかで揺れは殆どありません。

利尻島編は来週辺りにアップします。こうご期待を!!




熊本県 天草市

2011年03月08日 | ツアー旅行
熊本から鹿児島本線で天草方面「三角駅」へ行きバスに乗り換える方法もあるのですが、時間的ロスが多く、結局前日にバスで行く事に決定、熊本バスターミナルから快速バスで「さんぱーる」迄行きます。
①前編「熊本市阿蘇を観る!」
③続編1九州熊本県熊本市 水前寺公園と熊本城


写真は、この日ホテルを出た所で小雨の街中と市電です。
市電にに乗って三駅ほど先の天草方面行きのバスに乗るために「交通センター」迄行きます。


「さんぱーる」は道の駅(天草物産館)ですぐ前に「天草四郎メモリアルホール」が有ります。
熊本から40分程乗り、まずはバスを降りて物産館に入りました。写真の様に「柑橘類」の種類の多さに驚きました、写真は同じように見えますが結構種類が有りそれぞれ個人生産者が出展して居て試食しながら選びます。旅行中と言う事もあり美味しそうな一袋だけ買いました。



写真は「天草四郎メモリアルホール」「さんぱーる」の反対側の小高くなった所に有ります。
世界の大航海時代、地政学的な観点から早くから南蛮貿易が発達したと共にキリスト教文化と思想が必然的にもたらされました。1614年徳川秀忠の時代、唐津領主「寺沢広高」の重い年貢に苦しんで居た農民達そんな中、江戸幕府のキリスト教信仰の禁止と弾圧が始まります。



「天草四郎」を先頭に島原で一揆が始まり次々と伝播して行きますが、最後にキリスト教弾圧の前に「原城の攻防」で天草四郎達3万7千人余り全員討ち死にと言う壮絶な敗北で終わりました。
資料館にはそんな歴史と資料が展示されています。
資料館の裏手は展望台となっており、写真はそこに有った「天草四郎」の銅像です。



「天草四郎メモリアルホール」を見学した後「さんぱーる」から再びバスに乗り「天草五橋」を渡り「上島」の松島温泉に行きます。
この道は国道266号線。地元では「パールライン」と言うそうで。此所で昼食となった。
写真はそのお店、バスを降りて周りを見ましても付近には誰もい無く閑散としています。
写真のお店で”お勧めは何ですか?”と聴いたらイカウニ丼との事、新鮮なイカとウニ、それにこの辺り独特のたまり醤油にわさびを溶かし掛けて食べると、これはモ~絶品でした!



昼食の前に遊覧船乗り場に行きましたが、お客さんが居無いようで定時運行と成って居ましたが、此の様子では運行しないだろうと思い取り合えず昼食にしたのですが、日程の都合で遊覧出来れば良いなと思い、ダメ元で遊覧船乗り場に時間が少し過ぎていましたが13:00発の遊覧船に乗れるかどうか電話で問い合わせた所「臨時便?」を出して頂けるとの事!(案の定だ!)
急げ!とばかりに小走りで乗り場まで駆けつけました。

海上から見る天草の島々と「天草五橋」写真遊覧船の右は遊覧船の船溜りから出たばかりで「天草第5橋」です。遊覧時間は40分、天草第1橋迄は時間的に見る事が出来無いため四つの橋を巡る事になります。乗客は90人乗りの船に私達だけ3人!!
小雨に煙る天草の島々は東北の「松島」にも引けを取らない絶景でした。



遊覧船観光を終えた後、日程的にムリと思って居た「展望台見学」が出来ました。
船着き場から徒歩で10分ほど歩いて・・・・・しかし意外と急な坂で、それも雨の中!
ま~小雨に煙る天草の島々の絶景を見られたから良いでしょう!

今日の観光は此所までで、これから帰路になります。
展望所からバス停まで元来た道を戻るのも芸がないので次のバス停まで天草第4橋を渡ります。
バスの到着時間が迫っていましたが「遅れる事」を期待して道々バスを確認しながら歩きましたがこんな時に限ってバスの時間は正確のようでした・・・・・次のバスまで30分ほど待機!!

前のバスに乗って旨くすれば「宇土半島」三角港から鹿児島本線で熊本駅まで電車の旅が出来ると思いましたが、そこまでは甘くは有りませんでした。



結局快速バスで熊本まで同じ道を戻り本日の旅程は終了です。

今日の夕食はホテルでは無く外食で、街中を散歩しながら食事処を決めました。
写真左上は「呼子のイカ刺し」を中心に呑みながらの食事でしたが、それだけでは、なんだか足りず右上写真の熊本ラーメンを仕上げの食事にしました。右下の写真はそのお店で開店間もない感じの店でなかなかの味でした。



アーケード街をぶらついている途中、何処にでも有る景色ですが一人路上ライブをやっていました接近して撮影するのも気が引けたので遠くから望遠で撮影しました。その為歌声は殆ど聞こえませんでした。



この日は、夜になっても雨が続き、ホテル前の夜景です。
東京の都心で夜景写真を撮ろうなんて気は起こりませんが、熊本市内は落ち着いた雰囲気で路面電車も走り、街としては観光客の目からはとても落ち着いた街に見えました。




熊本市 阿蘇山を観る!

2011年02月21日 | ツアー旅行
タイトルの写真は東京湾上空を右旋回中に撮った物で新しく出来た滑走路を写真下の方から右上に向かって離陸し直ぐ右旋回した。遠くに富士山を眺めながら飛行機は高度をドンドン上げて行く。
快晴の為見通しはすこぶる良い。
②続編「熊本県 天草市」

③続編1 九州熊本県熊本市 水前寺公園と熊本城  ←後から追加編集した物です


飛行機が水平飛行に写る頃は富士山付近の上空に達していた様だ。
写真は南アルプスと思われる。上の方には北アルプスも映っている写真下は南アルプス南部の聖岳や赤石岳の様です。
飛行機の機種はA-300、定員は240名程と思いますが、この日の乗客は80名との事で機内は非常に空いていて両側の窓際を行ったり来たり!
高度36,000フィート巡航速度730㎞、機長関澤さん・・・・・乗客が少ないためCAの方が簡単な飛行計画と写真付きのメモを下さいました。機内で私達の記念写真まで撮って下さり感激です。
何回か日航機に乗っていますが初めての経験でした。今、日航は会社再建中と言いますが職員皆さんの努力は大変な物と思います。頑張って下さい! CAさんご親切有り難うございました。



写真は阿蘇外輪山に向かう途中で撮った「熊本空港」方面。
羽田から1時間半、阿蘇山の上空からそのまんま着陸する事はなく、一端熊本市内を旋回する様に写真の上の方から着陸します。阿蘇山の上空を通過する時外輪山等の地形がよく見え、すり鉢状の外輪山内側に街が広がっているのがよく見えました。
外輪山を越えていきなり熊本空港に着陸すると急降下しなければならず、乗客に負担が掛かる事からわざわざ大きく回り込んで着陸するのだそうです。



阿蘇外輪山外側など豊富な湧水地が有ります。
その一つ「池の川水源」で、写真の通路左手に湧水が有り地元の方が洗い場として使っていたりしました。



更に外輪山を越えるために進みます、阿蘇一帯は沢山の遊水池があり、今度は「白川水源」に着きました。此所は外輪山に入る峠道に有る様で昔から旅人の喉を潤してきたようです。
「白川水源」は一級河川「白川」の水源で熊本市内に流れ下ります。日本名水百選に選ばれていて透明度が高く毎分60トンの勢いで湧き出ています。国道325号線から外輪山に入る道の途中にあり、写真左の鳥居に着く間におみやげ屋があり路地沿いに何でも百円の無人販売が有ったので「梅干し」を買いました。



写真は昼食を摂った「田楽保存会」高森地区にありました、最初は他の店をタクシーの運転手さんお勧めのお店に行きましたが生憎定休日で、此所まで来たら「田楽」を食べるッキャ無い!とこれも運転手さんのお薦めで決めました。

今回の交通手段は地元熊本の個人タクシー「堀江タクシー」さんにお願いしました。
レンタカーも考えましたが雪道や地理不案内などの理由でNet検索で探したのですが、とても親切で観光案内係もして下さり大変助かりました。堀江さん有り難うです。



さて、いよいよ阿蘇山です。外輪山の内側に入りすり鉢の底を廻る様に車が走ります。
写真は阿蘇中岳の火口から水蒸気が上がっている様です。
ロープウェーも有りますが、車道が中岳まで有るので今回は乗りません。
中岳山頂付近は至る所に「避難施設」が有り、火山ガス注意の放送がされていました、火山ガスは硫黄分のガスで喘息の方は危険という事でした。



中岳の火口は第一火口の他に4個程休止火口があり、雪で底の方は見えませんでした。




中岳を後にして「草千里」を通過した後「大観峰」に向かいます。
写真は「大観峰」から阿蘇外輪山の縁を観たところです。
この左手に阿蘇山があり、其の昔何十万年前はこのすり鉢状の中は湖となっていて写真上部の様にその痕跡が残っています。
上空から見ると、この地形が独特に見えます。




大観峰の展望台に有った記念碑、大観峰は正式には「遠見ヶ鼻」と言われている様で、この記念碑の文字は先の総理大臣になった熊本細川家当主「細川護煕」氏で県知事時代に書いたそうです。



さてこの日の阿蘇観光はこれで終了!
帰り道、大観峰から熊本市内への帰路は幾つかありますが往路と別な道を選んだ所、途中まで行った所で、積雪で通行不可!・・・・・引き返さざるを得ませんでしたが街中で渋滞に入り予定時間を大幅に過ぎて帰着。堀江さんお疲れ様でした。
写真はホテルからライトアップされた松本城と、レストランから市内の様子を撮った所。



東京に居て普段、夜は余りで歩かないのですが、落ち着きのある熊本市内の中心部。夜の散歩も悪くない。
近くのアーケード街をぶらつきました。

この日は熊本市内日航ホテルで宿泊、このホテルに連泊して、明日は「天草」方面に向かう予定です。その様子を次回のBlogに載せますので宜しく。(期日は未定)

②続編「熊本県 天草市」




津軽鉄道「ストーブ列車」

2010年02月25日 | ツアー旅行
東京から新幹線で「八戸駅」へ。そこから旅館の送迎バスで古牧温泉「青森屋」
へ直行する、この日はホテルから外の見学は無しで、すべて旅館内の催し物やお
みやげ屋を覗いたりした。中でも夕食時ホテル従業員が催すショーとその前の
スコップ三味線は見物です。


元々この「青森屋」は「古牧グランド・ホテル」が経営していたが数年前
経営が傾きゴールドマン・サックスのテコ入れで「青森屋」となったようです。
ホテルの敷地は22万坪とか、しかし宿泊施設などが沢山あるが営業しているの
は数棟程だった。
敷地が広く特に「渋沢公園」周辺は一日居ても飽きる事はなさそう。
写真は園内に有る「カッパ池」岸辺に有る「南部曲屋」で移築された物です。


このホテルに2拍します、この日なか日は「津軽中里」から「津軽五所川原」
まで津軽鉄道「ストーブ列車」に乗ります。写真は朝、雪が降っていて雪国ら
しい写真が撮れました。

ホテル側の目玉観光で3種類ほどのオプショナルツアーがありますが其の内の一つ
「ストーブ列車」を選択しました。ホテルが用意したバスで三沢から「みちのく有
料道路」を走り「青森市」内に入りさらに「津軽中里」へ行きます。


途中天候はめまぐるしく変わり写真の様に「りんご畑」も雪まみれです。

ストーブ列車に乗る前に「金木観光物産館」に立ち寄り私達は「津軽三味線会館」
を見学、又ここで昼食を近所のスーパーで仕入れました。
ここは昨年秋三陸観光の時に立ち寄りましたが、今回は時間が有ったので三味線会
館の近くにある「雲祥寺」を見学ここの「地獄絵」は圧巻で見学自由の看板が有り
ましたので、ご住職に挨拶もせず見学しました。


「津軽中里」駅では地元の方の歓迎で一杯百円の「けの汁」食べましたが中々
おいしく暖まりました。列車が発車する時、地元の方が写真の様な「わら靴」?
の様な物を実際にはいて実演して頂きました。


「ストーブ列車」は 45分間の乗車になり、私たちは車内で早速昼食を取りその
際車内販売と共に車掌さん兼ガイド役の若いお姉さん2人の案内とスルメや餅を
車内で焼いていただきました。「津軽五所川原駅」に到着するまで飽きる事は無く
車窓から眺める景色は雪国を感じさせてくれます。


「津軽五所川原駅」を後にして、帰りがけに青森「立ね武多の館」(たちねぷ
た)「ね」は(漢字が見つからず)に立ち寄り、その豪華さと巨大さに圧倒さ
れました。写真の「ねぷた」は実際に使用された物でこの「館」自体の建物
が特殊な構造で建てられここで「ねぷた」も制作されています。


写真は2階にあるねぷたの制作現場で割と自由に見学出来て、実際に希望者に
は色を付け作業に係わらせてくれます。




翌日の朝ホテル周辺を散策した後ホテルから「十和田観光電鉄」この電車は三
沢駅から十和田市駅まで14.7㎞の超ローカル線です。線路に沿ってJR三沢駅
まで歩いて行ったが中々のローカル色が有る駅で旅館ホテルも数軒有る様で市
内を歩くのもおもしろそうです。

この日はツアー旅行最終日、今回は可成りゆったりした旅でした。
連泊と東京出発も遅く、帰り八戸駅からの新幹線も早めの時刻で、これから
ホテルの用意したバスで八戸駅に行きます。
八戸駅でおみやげの買い物をして居た時、ちょうど「八戸えんぶり」の踊り
のイベントが行われていました。今のシーズン丁度「えんぶり」が町を挙げて
催されて居るようです。私たちはここで昼食を取り帰路に着きました。







岩手県釜石港~浄土ヶ浜、鵜の巣断崖、龍泉洞

2009年11月20日 | ツアー旅行
前日、釜石港を見下ろすホテルの窓から「日の出」を撮影した。
この日は好天に恵まれ早朝から雲が多少在る物の天気に恵まれた。




前日には内陸部「厳美渓」を見たが奥州「平泉」等は見学せず、今回は海岸に沿って「陸中海岸」を行く。
最初は「浄土ヶ浜」。
この辺りの岩石は石英を含む岩で、浜全体が明るい。
海底も白っぽい為海水の透明度がより引き立つ。


        

丁度この日「アワビ漁」が解禁になり、地元の漁師さんがアワビ漁をして居る姿が沢山見られた。
浄土ヶ浜の小さな港に漁師さん達が漁を終えて、漁船を浜に引き上げる姿を見ていました。
話を聞くと、朝6時半に漁に出て上がってきた所で、沢山の「アワビ」を上げていました。



ツアーはこれから遊覧船にて、海上から浄土ヶ浜を観光しました。
写真は「夫婦岩」と呼ばれる岩でしょうか、此所はウミネコの繁殖地にも成って居るようでこの上に営巣でもするのでしょうか。




遊覧船が出港すると、カモメ達が寄って来ます。ガイドさんの話ではカモメも慣れていて「餌づけ」同様の感じで船内でカモメの餌やりの為の「餌」を販売して居ました。
船上では大騒ぎで手持ちで餌を持っていると、上空からカモメが餌を狙って上手取って行きます。海面に落ちた餌なども素早く取ります。
カモメも生きる為に必死なんでしょうね~
でも、これで良いのかな?・・・・・・と感じる場面でもあります。

港に帰港する時には海面に「エチゼンクラゲ」などが浮遊して居るのが見られ始めてみましたが、可成り大型のクラゲでこれが漁の網に入ると大変だと云うのが判ります。

昼食の後。ツアーのバスは国道45号線に戻り「鵜の巣断崖」へと向かいます。




写真は鵜の巣断崖の入り口付近の松林ですが、三陸海岸特有の景色らしく、断崖の上はこの様な松林が続き見事な景観を作っています。

国道45号線は今も道路としては難所で勾配が10%と云う急勾配が有ります。
この辺りは陸の孤島とも云われこの国道の開通によって、地元の方が随分と助かったのでは無いかと思います。
もう少し先の「田野畑村」では江戸末期、日本最大規模の百姓一揆が起こっています。
リアス式海岸地帯の為深く切れ込んだV字谷は人を寄せ付けない厳しさが在り今のように道路や交通の発達する以前は、道路を造る事もまま成らず。
気候の厳しさや地形の厳しさから、大変な「地」で在ったと想像されます。
又、山間部からいきなり海となりこの地方は今でも酪農と漁業が盛んで、そうした産物を運ぶ為の旧国道や廃道になった道などが、時折見られます。

タイトルの写真にあるこの断崖は海岸沿いに遊歩道も在るようで「真木沢海岸」と云い、人力で海岸の岩にトンネルを掘った場所などがあります。
高さ200mにも及ぶ断崖の下を歩くのも良いかも知れません。



展望台外れの方へ行くと、深く切れ込んだV字谷を見下ろすことが出来。
紅葉が見事でした。この日は午後に成って仕舞った為、日がかげり太陽に輝く紅葉は見られませんでしたが、こうしたV字谷は至る所にあり道路を造る事が容易でない事が伺えます。

ツアーはこの後国道45号線を戻り、今夜の宿泊場所岩泉の「龍泉洞」へと向かいます。
「龍泉洞」は日本三大鍾乳洞の一つと云われているようですが、此所の地底湖は神秘的です。
「龍泉洞」内部の写真はツアー旅行の為、ゆっくりと三脚を構えて撮影する事が出来ずよい写真は撮れません、かろうじて何枚か撮りましたが三脚なしではブレた写真ばかりでどうも満足の行く絵は無しです。







宮城県仙台~厳美渓、気仙沼・・・

2009年11月08日 | ツアー旅行
まずツアー一行は仙台で新幹線を降り、東北自動車道を北上して一関インターから、一気に厳美渓まで直行します。





厳美渓に到着し僅かな時間ながら紅葉の残る厳美渓見学となりました。
厳美渓を見渡せる橋(天工橋)からの撮影ですが、上流側に岩畳が有り、そちらに観光客が集中し下流側で人が立てる場所があまり無く下流側の方が静かな感じです。
上の写真、左側は岩畳から上流部、右上は橋から下流方向右下は橋から上流方向です。





ツアーのバスは厳美渓から国道284号線通称気仙沼街道を通り気仙沼で昼食です。
この日は祭日で気仙沼漁港は閑散としていました。
ここで遅めの昼食後僅かな時間、漁港を見て回りましたが人気の無い漁港は寂しい物でカモメの姿も在りませんでした。




気仙沼から国道45号線に入りいよいよ、ここから三陸海岸観光の始まりです。
唐桑半島にある、巨釜と半蔵は隣り合わせで一体の物ですが、ここは三陸海岸の「陸前」と言われる地帯でリアス式海岸の景勝地。
この日は天気も良く海岸線もクッキリと見え多少雲が在る物の写真撮影には好条件です。
海も穏やかで、数年前に此所を訪れた時は小雨が降るような天気でしたが矢張り好天の時の方が良い。
数年前に訪れた時の「Blog記事」です。この時は未だ複数の写真の掲載が出来ませんでした。




写真の説明は省略しますが、これからこの三陸沿岸はこの様な景色が続きます。
三陸海岸と云っても「陸前」「陸中」「陸奥」と有り。それぞれ異なる顔を見せてくれます。




上の写真は唐桑半島から更に北上して岩手県に入り大船渡市にある「碁石海岸」此所の岩場は天然記念物に指定されていて岩石など採取する事は禁じられています。
黒色粘板岩で砕かれた石が「碁石」の様な形で有る事からの命名と思います。




唐桑半島と似たような景色ですが海岸線に出る手前の松林なども海岸以上に素晴らしい景色で中々ロマンチックです。
写真右一番下は「乱暴谷」(らんぼうや)と言われる場所で波の浸食であけられた穴に海水が入り込む際に雷のような音がする事から付けられた名のようです。

この後、バスは国道45号線沿いに釜石市へと向かい釜石港泊となります。






奥道後温泉から徳島へ

2009年04月09日 | ツアー旅行
この「高速松山自動車道」は日本の地質学上の「中央構造線」に沿って走り
高速道を走っていると、独特の景観が見られる、東のフォッサマグナとして
糸魚川静岡構造線(糸静線)が有るが此とは又別で、日本列島を縦断する形
となっている。

奥道後温泉を出発したバスは松山市内から「松山城」を車窓から眺めるだけで
又、有名な道後温も車窓から建物を眺めるだけだった。
その後、伊予の「かすり会館」に立ち寄った後、金比羅宮に行く。
金比羅宮門前町の駐車場から「階段」を登らず、ガイドに従って裏手の方から
「大門」の脇に出る、下の写真は金比羅本宮へ行く途中の写真で左側の写真は
途中の急な階段、右上は絵馬堂、どういう訳かロシアから日本初の宇宙飛行士
となった秋山さんの写真、写真右下は途中に有る、現存する日本一古い歌舞伎
座と云われる「金丸座」。



「金比羅本宮」まで下から階段で上がると御本宮迄の階段785段。
途中の「大門」から登れば365段の階段で済んで仕舞う。
下の写真は「金比羅本宮」に在った提灯、このマークが「金比羅宮」の登録商標
と成っているようで、中の字は「人が長く平和でありますように」との願いから
と、云う事らしい・・・・・・



下の写真は「金比羅宮本宮南垣越板壁の蒔絵」明治に成り寄贈されたとか!
皇室ゆかりの物なので非常に立派で昭和の戦時、貴金属供出令も免れたとか。
                


そして金比羅宮を後にして国道32号線沿いに「大歩危、小歩危」峡を通り
祖谷(いや)峡に掛かる、祖谷かずら橋の見学に向かう。
下の写真は小歩危峡。
          


この「かずら橋」は数ヶ月前に新しく架け替えられたので未だ木肌が綺麗で
腐食もなく綺麗だった。数年に一度の割で架け替えられるとの事ですが今で
は観光の為で、入場券450円を徴収する。
写真左上「殆ど人も居なくなった橋」右、「真ん中辺りから真下を撮影」下、
「橋脚のカズラの写真」。



バスツアーの一行50人程がいっぺんに渡るので、特にバスガイドさんの注告
が有るにも関わらず「ご婦人方」がよせば良いのに渡ろうとするので大渋滞!
怖くて、殆ど進めない!・・・・・
幸い、皆さん両端の手すりに捉まって動けないので、真ん中がスッポリ空き
私は楽に通ることが出来ましたが・・・・・
                    


かくて「祖谷かずら橋」を最後に国道32号線を戻り、大歩危峡を眺めながら
徳島空港へと帰路に着いたのでした。

足摺岬から松山へ

2009年03月24日 | ツアー旅行
「金剛福寺」は足摺岬の先端に近いところに有る、近くには「ジョン万次郎」の大きな
銅像がそびえ、矢張り太平洋を望むように建てられている。
足摺灯台を見学したが、この日は天気が大荒れで写真を撮る所では無く、撮影する
気分が一辺に萎えてしまった。

それでも、1時間程すると、雨もやみ「竜串」の海岸に着いた頃は安定して来た。
写真はその海岸沿いにある、奇岩群の一枚で近くには「海中展望塔」が有り、海底の
珊瑚礁などを見る事が出来る。


此処から国道321号線を戻り「四万十川」に向かう。
写真は「土佐くろしお鉄道宿毛線、中村駅」近くを通り過ぎ「安並水車の里」の水車群
です。
観光用に在るだけのようで、実際に動力として使用されては居ないようだ。
忽然と田園地帯に出現するので、何処か違和感が在る。


更に国道441号線を四万十川に沿って遡り、「佐田の沈下橋」に向かい、観光遊覧船
で四万十川のごく一部の船旅だ。流れは緩く沈下橋から上流へと25分ほど遡り第二
の沈下橋を見てから、今度は船の向きを変え元に戻る。
生憎天候が悪く、光の加減から四万十川の清流も今一つ感じられない・・・・・・・


此処から、今度は国道441号線を戻り、同56線に入り、内子町へ向かう。
此処は昔の家並みが売りの観光地、途中「宇和島城」をバスの車窓からチラッと見る
だけで真珠会館なる所に案内されたが、誰が真珠など買うものか・・・・・・・
内子町は「和蝋燭」の原料の木蝋(もくろう)の生産地でその収益で街が潤ったとか。
今では殆ど和蝋燭を使う事もないが、和蝋燭はすすも余り出ず、風にも強く昔の照明
としては可成りの優れものの様だ。


かくて四国ツアーも後半となり、この日の宿泊は「奥道後温泉」となる・・・・・・・








土佐・高知城と桂浜

2009年03月06日 | ツアー旅行
徳島空港から徳島自動車道を通り、川之江東Jctから今度は高知自動車道へ入る
高知インターを降り、高知市内でバスの車窓から、「高知城」と「はりまや橋」をほん
の一瞬見ましたが、バスの窓越しから撮影した、にしては上手く撮れました。


      (上)高知城と(下)はりまや橋(昭和になってから作られた)

      
更に高知市内から一般道を走り、桂浜へ。
冬の桂浜は人気が無く、静かでした。

      
           桂浜と「坂本龍馬」像


駐車場から、桂浜に降りる途中に「坂本龍馬」の大きな銅像があり、土佐湾を見下ろ
す位置にあります。この銅像は遙か遠く外国を眺めるように、建てられています。
この銅像の高さは、台座の下から頭のてっぺんまで16m程の高さがあり、銅像として
は珍しく、大きな物です。
「坂本龍馬」は幕末の政治をリードし、元々土佐藩士であったが脱藩し、海援隊を結成
したり、薩長連合の重要な立役者となり、大政奉還成立に重要な役割を果たした。
しかし若くして、「中岡慎太郎」と共に暗殺で倒されたが、この銅像にも彼の先進的な一
面として、ブーツを履いている姿となっている。

この浜辺には荒波にもまれ、削られた色とりどりの小石が、彼方此方にあり、近辺の
「土産物屋」で、幸せを呼ぶ「五色石」として売っていましたが、私は自分で拾いました。

この後、高知自動車道を須崎東まで走り、今度は一般道を足摺岬までひたすら走る
事になります。途中「四万十川」を越えて、足摺半島の先端まで行く事になります。
「四万十川」は翌日に来た道を再び戻り、上流へ向かい川下りを楽しみます。




「長崎・グラバー邸」

2008年04月03日 | ツアー旅行
グラバー園には約8棟程の木造洋風建築住宅が移築されたりしている、いずれも
「外国人居留地」に建てられていた住宅を移築した物です。
その内グラバー邸は江戸時代末期に建てられ、日本最古の「木造洋風建築」とし
て国の重要文化財に指定されています。
話は多少脱線するが。
このグラバー邸の庭園から海を隔てて向かい側に、三菱重工長崎造船所があり
この時丁度イージス艦が停泊していた、船体の番号から「あしがら」と思われ丁度
同じ兄弟艦の「あたご」が、マグロはえ縄漁船「清徳丸」の衝突事故を起こした直後
で在った為、なにかしら不思議な思いに駆られたものだ。

話を戻すと、此のトーマス・ブレーク・グラバー氏の妻「ツル」はオペラ「マダム・バタフ
ライ」、「蝶々婦人」のモデルに成ったと言われています。
そして「邸」内にはヒロイン蝶々婦人を演じたオペラ歌手(三浦環)の像と共に、彼女
の遺品などが展示されています。

グラバー邸へは、長崎市内を走る市電に乗り「石橋」(終点)と言う市電の停留所で降
りて、スカイロードと云う無料の斜行式エレベータに乗ると楽だ。
長崎は坂だらけ・・・・・・町全体が丘の斜面に発展して行った為、平坦地が少なく東京
の様に自転車で気楽に走り回る、と云う事が難しい。その為か、余り自転車を見か
けなかった。
一度高い所まで、上がってしまえば帰りは旨く観光ルートを選べば、上り坂を歩かなく
ても済みそうだ。

九州「伊万里の里・長崎・雲仙」編アーカイブ・シリーズ(No9)

「伊万里の登り窯」

2008年03月08日 | ツアー旅行
此の「窯」は連房式登窯の一種と思われ、幾つかの焼成室に分かれて居て大量の
陶磁器を焼成する事が出来る。
この写真を撮影した時は、此処に人の気配は無く窯の温度も冷えていた。
窯出しをしてから、随分と時間が経っていたのだろう。伊万里の集落の外れに有り
各窯元の裏手に有った。
此処は窯元が密集して立ち並び、山間合いの僅かな場所に沢山の窯元が有った。

旧鍋島藩の財政を賄う目的から伊万里焼は門外不出の秘密だった様で、その為に
険しい山岳地帯に囲まれて、出入りが厳しく制限されていたようだ。
家屋や道路は現代風に成っているが、それでも昔の面影がかいま見られる様だ。

伊万里焼と有田焼は同義語として扱われ伊万里焼の名称は「伊万里港」から船積み
された事から「伊万里焼」と云う名称になった様だ。
集落内を歩いたが、ウイークディーの為か観光客も少なくひっそりとしており、各窯元
の「お店」は開いていたが、伊万里焼は日常生活で使用する陶磁器としては高級過
ぎ、私の様な庶民には高嶺の花の部類です。
確かに何件かのお店で品物を見ましたが、素晴らしいと思う物は値段が一桁違いま
した・・・・・・・

集落内には、昔の史跡などがあり、登り窯の跡など史跡公園と成っていたりして結
構楽しめます。
ただ急坂を上り下りするので、少々疲れる!

九州「伊万里の里・長崎・雲仙」編アーカイブ・シリーズ(No9)