J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

「安曇野岩崎ちひろ美術館」

2006年08月24日 | ドライブ・旅行
岩崎ちひろさんは絵本画家で、戦後「人民新聞」の記者を経て
日本共産党の衆議院議員の「松本善明」さんと結婚、「安曇野
岩崎ちひろ美術館」はその長男の「松本猛」さんが館長を務め
ている。
この写真の「安曇野岩崎ちひろ美術館」は美術館を中心に周
りが35,000㎡の松川村営公園と成って居て同村を流れる
「乳川」沿いに作られている。
駐車場から美術館まで、100m程歩く事になるが、公園の中
を散策する形になる、木、等はあまりなく広く明るい遊歩道など
を歩きながら、建物近くに来ると、オブジェが待ち受けてくれる
ので、其れで遊んでみるのも、一考かと思います。

振り返って眺めると安曇野らしい景観の中に有り、周りの北ア
ルプス山塊を眺める時、空間の広さを感じさせてくれる。
同館には「ちひろの絵本」と同時に世界27ヶ国の絵本作家の
作品が展示されている。

東京練馬区にも「ちひろ美術館」が有り、こちらは開館以来25
年目に自宅を美術館に立て替えた物(2002年)
「ちひろ」さんは1974年に55歳の若さで他界している、夫の
「松本善明」さんは弁護士で、日本共産党の衆議院議員として
活躍していたが、今は引退している。

「世界の子供みんなに、平和としあわせ」という、願いを込めて
戦後活動していたが、ベトナム戦争の終結を知らずに亡くなっ
た。
そのベトナム戦争に対する思いは絵本「戦火のなかの子供たち」
に絵と文に書かれている。
「ちひろ」さんには珍しく、鬼気迫る表情の「母親の」描写がとて
も印象的で、素晴らしい。

「松本城その2」

2006年08月20日 | ドライブ・旅行
一番右が「乾小天守」次に「渡櫓」真ん中が「天守閣」左の手前
が「月見櫓」その奥が「辰己附櫓」
本丸御殿は亨保12年(1727年)に焼失、写真位置本丸の右
隣に「二の丸」跡があり、此方は平面復元されて、建物の位置
に各部屋の名前のプレートが在り全体の位置関係が平面的に
解る様になっている。
その他「太鼓門」「黒門」等が近年復元されている。
天守閣が当時のまんまで現存し国宝に成っているのは、松本
城の他「犬山城」(愛知県)「彦根城」(滋賀県)「姫路城」(兵庫
県)のみで、その内「姫路城」は随分と昔に見学した。
この城が一番大規模で立派だ、何れ此の各城を見学しようと
考えている。


「松本城」

2006年08月17日 | ドライブ・旅行
松本城は歴代藩主が「六家」23代にわたる、1590年石川氏か
ら1869年戸田氏まで。戦国時代に「深志城」として築城され後に
松本城と改められ、豊臣秀吉の時代「天正十八年」当たりに天守
閣や御殿、門、塀、本丸、二の丸、三の丸等が作られ、近世城郭
の基礎が出来上がった様です。
現在は「国宝」と成って居て、戦後解体復元が行われています。
我が国で「国宝」と成って居るのは松本城を含め4城に過ぎず、
他の沢山の城は復元された物で、鉄筋コンクリートで出来てい
たり当時の記録を元に新築された物が殆ど。

天守閣内を見ると、当時の建築技術をかいま見る事が出来るの
で、興味深い、梁や柱など「ちょうな」の削り後が残り、中でも天井
の組み方は「井桁梁」と云い下から見る事が出来る。
あくまでも戦闘を基本として「守る」為の作りで無駄が無く合理的
だ。

残念なのは、本丸、二の丸は焼失して居て無い事だが、本丸跡か
ら見る天守閣は美しい。


「高ボッチ高原」

2006年08月13日 | ドライブ・旅行
世田谷の自宅を出発したのが、午前8時半 8月5日土曜日と
成れば中央高速道は早朝から大渋滞、解ってはいるものの希
望的観測で案外早く着くかも!・・・・・・

そんな甘い期待は粉々に崩れ、八王子バス停から27キロ程渋
滞との交通ニュース、調布インターを避け、府中インタ-から入
る事に。
結局、途中甲府の先、双葉サービスエリアで昼食を取る事に成り
更に、出口を勘違いして手前の諏訪南インターで降りて仕舞って
余計時間がかかって仕舞った。
甲州街道をひたすら走り、塩尻峠を少し過ぎた当たりに高ボッチ
への入り口が有る。すでに時計は午後1時半を過ぎていた。
通常は入り口からシャトルバスに乗り換え会場まで行くだが、す
でに午後、此から見物と云う人も殆ど居ないようで、一方通行は
解除となり、そのままマイカーで会場まで行けた。

結局会場に着いた時は全25レース中、残り3レース。まあ最終レ
ースに間に合ったので、良かったとしよう。
午前中のポニーレースなどの方が、いかにも草競馬と云う趣が
有り、レース途中逆送したり止まってしまったりと楽しいのだが。
翌日報道では3500人の人出が有ったそうだ。
レース後そそくさと帰り道の混雑を避けそしてその日は、松本ま
で行き、美ヶ原温泉へ。
この続きは次回へ