J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

会津若松「鶴ヶ城」から「猪苗代湖」遊覧船へ・その2

2015年10月31日 | ドライブ・旅行
タイトルの写真は鶴ヶ城「茶壺櫓」から天守閣を撮った所。
再建された鶴ヶ城は内部が鉄筋建ての建物で、中は資料館のようになっていた。今年の4月頃リニューアルオープンされたようです。西暦1593年「蒲生氏郷」が天守閣を築きその前後の長い歴史が在りますが、展示資料は全体的に幕末の「戊辰戦争」攻防戦などの歴史にスポットを当てた展示になっているようで。それ以前の展示方法と可成り変わったようです。

福島県会津ころり三観音巡り・その1



城下の町中一般道より北出丸入り口から場内に入ります(写真左側)。場内の道は曲がりくねって居て案内版に従って「鶴ヶ城西出丸駐車場」に入り、そこから徒歩で旧表門を通り天守閣に入ります。写真は西出丸駐車場の案内板で、一番下が現在地。此方から入ると管理事務所に直接出られる。なにせ3歳の子供連れなので早く歩く事も出来無い。




写真は西出丸駐車場から「梅坂」を登り「帯郭」に出た所から撮った物です。お城の中は通常真っ直ぐ歩ける所は殆ど無く中心部へ行く為には曲がり角や坂を何回も通らねば行けないようになっています。




管理事務所の前を通り、写真左手方向へ行くと「旧表門」へ出て漸く天守閣に到達します。





上の写真の左手にある「武者走」です。太鼓門の上に兵を昇降させるための石垣(武者走)で高い城壁となっています。





今は「本丸」は無いのですが本丸跡正面から天守閣に入ります(ここで入場券を買う)写真中央やや左下が入り口です。




内部は各階とも小屋組などの木造の木組みなどは無く鉄筋建ての白い壁の展示室!と言った感じで、展示資料などを見ながら急な階段を登り順路に従って回ります。写真は天守閣から北方向を撮った所、会津若松の中心部方面。





写真は同じく天守閣から東方向、遠くに会津磐梯山が見える。





写真は天守閣から降りて南方向に続く「南走長屋」これは木造で2000年に再建された物で内部は真新しく貯蔵庫の役割もあったようです。

鶴ヶ城HPより
南走長屋は、表門(鉄門)から続いており、帯郭と本丸を隔てる重要な位置にあります。現在ある天守閣から表門をつなぐ走長屋とともに表門を守り、帯郭から本丸への敵の侵入を防ぐ要となっていたと考えられています。





天守閣から北側に見える「武者走」(前出)を上から見た所。





写真は南西方向にある「飯盛山」ここで白虎隊が全滅した話は有名。





「南走長屋」内部、写真の様に内部は新築の家と言った感じで、この長廊下の左側が部屋とか倉庫になっていたようです。




「南走長屋」の出口から「鉄門」(くろがねもん)と天守閣





「南走長屋」出口から石垣の上へ出られます正面を歩いて行くと「月見櫓」近くへ出ます。





写真は月見櫓へ続く城壁から降りて本丸跡を挟んで天守閣を見た所です。写真中央左端に「鉄門」が見えます。




此方の写真は「月見櫓」から撮った物です。写真左に写っている城壁が「櫓」跡の石垣です。





写真はタイトルの写真と同じで「茶壺櫓」から撮った物で。主に茶器等が納められていたというのが茶壺櫓。





写真が「茶壺櫓」跡で土台の石が写っています。すでにモミジなどの広葉樹が少し紅葉していました。写真正面の赤い橋は「廊下橋」これらの「櫓」跡右手、内堀を隔てて二の丸跡、三の丸跡があります。




写真は本丸跡ですがかつては大書院、小書院、奥御殿など沢山の建物が在った所です。






写真は天守閣、本丸から出て来た所「帯郭」に戻って「武者走」の有る城壁の「石組」の写真この石組みも色々な組み方の城壁があり「野面組」の様な古い時代の物も有りました。





鶴ヶ城観光を終了して、丁度昼近くになりましたので喜多方へ行き、ラーメンでも食べようという事になり喜多方市役所の駐車場に車を止め市内を歩きます。
そこで有名な「坂内食堂」へ行ってみた所、写真の様な行列が出来ていました。。。。。。所が右隣もラーメン屋さんですが此方は閑散としています・・・・・・どうなってるんだろう?
日本人はいつから此ほど行列が好きになったのだろう・・・・・
と、言う事で私らは全く別の店へ、次の店も行列していました、要するにガイドブックに出てくる店は行列する傾向が有る。そこで私らは全くガイドブックに無い別の店で食べる事にした。
どこの店でも激しい競争の中で大してうまさは変わらないだろうに・・・・・と、思いますが。




ゆっくりとラーメンを食べた後。次に「猪苗代湖」へ向かいます。3歳の孫に遊覧船に乗せたくて来ました。遊覧船「白鳥号」に乗り猪苗代湖から磐梯山を撮った所です。




磐梯山をズームアップした所。





写真に写っている真ん中奥の山塊は「西吾妻山塊」と思えます。右手の山塊は「安達太良山」(1,700m)と思いましたが、その手前にある山塊のようで「安達太良山」はどうやら見えなさそう。




その「安達太良山」方面を撮った所ですが「川桁山」(1,413m)山塊のような気がします。





猪苗代湖の遊覧船の乗船時間は35分程、すでに15時を廻っていましたが、会津東山温泉へ戻る途中に在る地ビールの醸造所の経営する「地ビール館」へ立ち寄ります。

今日は2家族大人5人と子供1人で一台の車で来ましたので、車の運転は全て息子に任せて私は、息子には悪いがビールを飲ませて貰いました。お昼でも生ビール飲みました!!
ここのビール、千円で5種類の飲み比べが出来るセットが有り、1人地ビールの味見をしました。
これで本日の予定は終了。
明日は帰りがてら「大内宿」と「塔のへつり」を見て回ります。




昨日は息子家族と夕方にホテルで合流の為あわただしかったのですが、連泊の今日はゆっくり出来ます。

東山温泉「新滝」の夕食(初日と全く別のメニュー)朝食はバイキング。
以下メニュー内容
「大月膳」先付☆季節の先付け、小鉢☆季節の小鉢、前菜☆季節の前菜盛り、造り☆生刺し三点盛り、焼物☆川魚の塩焼き、煮物☆豚の角煮、鍋物☆会津地鶏鍋、香物☆地野菜漬け、椀物☆お吸い物、食事☆会津産コシヒカリ、甘味☆季節のフルーツ、その他生酒、生ビール。

福島県会津ころり三観音巡り・その1

2015年10月24日 | ドライブ・旅行
タイトル写真は恵隆寺「立木観音」観音堂。
この日朝7:40分世田谷の自宅を出発して環八、外環道、東北自動車道、磐越自動車道を通り「会津坂下IC」で降りる。今回、息子一家と夕方直接ホテルで待ち合わせなので私達一家はその間、会津若松近辺を回る事にした。
時間的に丁度良さそうなのが「会津ころり三観音」を廻る事だった。

旅行から帰ってその日から風邪の症状が出て咳と微熱で寝込んでしまい。結局Blog記事を書く事出が来たのは1週間もしてからだった。。。。。。。。


会津三観音位置グーグルマップ ←クリックするとグーグルマップに成ります。
「会津ころり三観音」とは観音経の言う所の「三毒」仏教用語で貧(とん)、䐜(じん)痴(ち)。
むさぼる邪心欲、腹を立てる怒りの心、愚痴を言う不平等不満の心。この三つの悪心を三観音を巡拝し仏の慈悲にすがり消し去る事で仏の導きで心に安らぎが宿り諸病が無くなり、健康に恵まれ、長寿をまっとうし、やがて病に伏す事無く大往生が約束され、来世に極楽往生が出来ると言う・・・・




丁度「立木観音堂」に三観音の専用「御朱印帳」が有ったので買い求め各観音堂の「御朱印」を頂く事にした。





写真は一番最初に立ち寄った「立木観音」山門 。国指定重要文化財指定
磐越自動車道、会津坂下(ばんげ)ICを降りて国道49号線行く。
会津ころり三観音巡りをする場合東京方面からの場合恵隆寺「立木観音」から始めるのが一番近い。高速を降りてから15分ほどで到着した。





山門をくぐると参道の向こうに観音堂が見えてくる。
恵隆寺は会津三十三観音三十一番札所。西暦808年(大同年間)徳一大師によって開祖と言う事に成るらしい。武家政治が確立する前には会津一帯は思想、文化、経済に寺院政治が支配的で在ったらしい。




観音堂の右手には三重の塔(小金塔)があります。現在の塔は平成12年に再建された模様で、まだ真新しい。




写真は「観音堂」。内部は撮影禁止で写真はありません。内部などの写真は「立木観音堂」のホームページを参照して下さい。ここで有名なのは重要文化財指定のご本尊「十一面千手観音」。内部には「抱きつき柱」も有り、私も真似して抱きついてみました!(タイトルと同じ写真)




次に「鳥追い観音如法寺」。写真は仁王門。この如法寺も徳一大師開祖と言う事らしい。
この仁王門自体が福島県の重要文化財となっている。




上の写真と同じ仁王門を近くから撮った所。左右の金剛力士像、右が阿形像、左は吽形像(うんぎょう)、どこの観音堂も仁王門がありますが残念ながら撮影は条件的に無理で画像はありません。




写真は観音堂正面





写真は内部を外側から撮った物「会津三十三番札所番外結願所」





写真は観音堂を一周する回廊のひさし部分に掘られた彫刻、慶長年間に左甚五郎作による隠れ猿が彫刻されている。三猿(難よりかくれ猿)(難をのがれ猿)(安楽に暮らし猿)
良く視ないと見付からない。




観音堂から隣の広場に行くと写真の様な古いロータリー式とラッセル式除雪車両が保存されていた。





写真は次に向かった「中田観世音」参道入り口。何れも仁王門がありそこには大きなわらじがぶら下げてありました。




仁王門を抜けると観音堂が真正面に見えます。会津三十番札所。国指定重要文化財指定。
ここには銅造十一面観世音菩薩・脇侍不動明王・地蔵菩薩立像の三体があり、いづれも金剛仏として国指定重要文化財となっています。




観音堂正面と左側面


自分としては宗教心は全く無くご利益などは全く思考の外ですが、文化的、歴史的、思想等先人の残した遺産を見て回る事がとても勉強に成ると考えています。

以上三観音を廻ると丁度良い時間となり、この後、本日宿泊の会津東山温泉へ直行します。こんかいホテルに連泊して明日は会津若松「鶴ヶ城」を見学、喜多方ラーメンなどのグルメ散歩の予定。











コスモスと彼岸花を愛でる

2015年10月11日 | 花を愛でる
タイトルの写真は深大寺植物公園にて先月撮影した物で、この華やかな写真は何ともなまめかしく魅力的だ。彼岸花の「赤」は咲いている場所、日当たりの具合、その株の個性などで色合いが微妙に異なる、この写真はそんな中でも気に入った一枚だ!




赤い彼岸花の間に挟まれて「タマスダレ」が遠慮がちに咲いていた。





白い彼岸花





赤い彼岸花





同じ赤でも微妙に色合いが異なる





パラガイオニバス、ボリビアなどに生息する。大きさは1m以上在った。アマゾンに生息するオオオニバスと若干違うようです。




ハンカチノキの実、大きさは2cm程





コブシの実、初めて見た時は何か寄生虫の卵かと思いました。花の綺麗さから想像出来ない姿なので戸惑う。




日にちを改め、この写真は立川にある「昭和記念公園」立川口駐車場側の銀杏で、僅かに色付き始めた。ぎんなんが沢山なっていた。




公園の一番奥にある「花の丘」に植わっている、コスモス、時期的に少し早いかも?





ちなみに一昨年に同じ場所で撮影した満開のコスモス!







赤系のコスモス





一昨年の写真





蝶々が盛んに蜜を吸っていた





白いコスモスもイイ!







秋の足音も感じる





一昨年の「原っぱ西花畑」のコスモス





同じく一昨年の「原っぱ西花畑」のコスモス





一輪だけ混ざったコスモス。他と違っても良いんだよ!・・・・・





古民家とコスモス





黄色系コスモス





同じ白系でも花びらが違っていた。





一昨年の「花の丘」のコスモス

昭和記念公園からの写真は2015-10-04に撮影した物です。
今回コスモスはどうも時期的に若干早かったような気がします。
ソロソロ昭和記念公園の銀杏が綺麗に色づくようになると秋も深まった感じがしますね。


神奈川県相模原市「石老山」周回コースを歩く

2015年10月08日 | ハイキング・山登り
タイトルの写真は石老山山頂(694m)から南西方向に見える「富士山」と手前丹沢山系「大室山」その間に挟まれて居るのは「加入道山」時間的に午前11時近く空気が乾燥してきた割に水蒸気が多く遠景は霞んでしまっていた。中央やや右よりに富士山が写っていますがどうも冴えないこれが真冬なら綺麗に見えると思いますが・・・・・・


今回歩いたコースを載せました、車で行った為スタート・ゴールは「相模原病院」の駐車場でハイカー用に数台駐車出来るスペースが確保されていました。周回コースにしましたが、帰路は結局国道412号線まで降り、又「相模原病院」の駐車場まで村の道を登り返すという無駄に歩いたハイキングに成りました。


写真は「相模原病院」の駐車場で写真の反対側がハイカー用のスペースになっています。その奥から登山道が付いていて病院の裏手から登る感じです。


2分ほど歩くといよいよ登りになります。案内板や分岐標識が豊富で道を間違えるようなコースでは無いようです。


岩がゴロゴロする割と急な道を上ります。この石老山は「礫岩」で構成されているようで600万年まえ海底から隆起したとか・・・・・・


15分ほど歩くと「顕鏡寺」へ出ます。登山道は写真中央の階段を登って行きます。



写真は顕鏡寺参道に在る「蛇木杉」津久井の名木となっていて、樹齢400年高さ20mこの木の根っこがあたかも大蛇が寝そべっている様に見える事から名が付いたようです。


登山道には大きな岩などに名前が付いておりその前に説明書きがあります。一つ一つ読んでいると時間が無くなりますので、ここは無視で歩きます。


分岐標識ですがどちらへ行っても同じ所へ出るようなので今回は右手の楼山展望台方向へ行きます。


数分も歩くと写真の様に明るく展望が開けた場所に出ました。



東南方向眼下に道志川沿いに町が見えます。



この辺りは道も穏やかになり整備された木の階段などを登ります。



上の写真から25分ほど歩くと「融合平見晴台」へ着きます。ここから相模湖や相模湖駅などが見えます。


上の写真を望遠レンズでアップにした物ですがJR線と中央高速が写っています。



割と穏やかな道を35分ほど歩くと、やがてあっけなく「石老山」山頂(694m)へ出ました。駐車場を出発したのが9:00時、山頂着が10:30分殆ど休憩無しで歩きましたがほぼコースタイム通り。


タイトルの写真と同じ、山頂の南西方面が僅かに伐採されており、そこから丹沢や富士山方面を見る事が出来ました。


山頂で証拠写真等を撮り5分ほど休憩してから今度は下山に掛かります。山頂から1分ほど緩やかに降ると分岐標識。周回コースにする為「大明神展望台」方面へ進路を取ります。


下りは結構急下降で檜と杉の混合林を降って行きます。時折広葉樹林も残されていて、クヌギやコナラ等で明るく成っています。


写真は名も無いピークですが小さなアップダウンを繰り返しながら次第に標高を下げて行きます。



写真は「大明神展望台」、この上に登って相模湖を見下ろします。



北方面なので空が青くスッキリ写ります。写真には中央高速や相模湖大橋が写っています。来る時この写真の相模湖大橋左から右へと車で通りました。向こうの山は高尾山から連なる陣馬山方面。


都心方向、東南方向は既に霞んでしまいかすかにビル群が写っています。



相変わらず急下降の道を下ります。



道は岩と根っこが混ざるゴロゴロした道になり、歩きにくくなります。礫岩で写真の様に丸い砂利が崩れて砂利道のようになっています。


道は沢筋になりいよいよ険しくなります。枯れた沢を降って行くとやがてチョロチョロと水の音と共に沢の流れが見えてきます。


でも相変わらず急な下りです。



30分ほど我慢で歩くと相模湖休養村キャンプ場へ着きます。ここからはアスファルトの道で今回はガイドブックの地図に従って鼠坂(ねんさか)の国道412号線まで降りました。


キャンプ場は閉鎖されているようでこの夏営業したかしないかは不明。ここから車を止めた相模原病院まで一般道をテクテク歩く羽目になりました。


村の中の一本道からのどかな風景を見ながら歩きます。写真左手上に見える観覧車は「相模湖レジャーフォレスト」昔は相模湖ピクニックランドと言ったそうな。


国道412号線をテクテクと歩き写真の石老山登山口の信号まで来ました。ここを右折して坂を登ります、来る時は車でしたが歩くと結構大変!
この信号を入るとハイカー用のトイレがあります。結局40分位舗装道路を歩く羽目になった。


漸く駐車場のある相模原病院に着きました。相模湖休養村キャンプ場から少し降った所にショートカットの道があるようなのですが、山用の地図ではハッキリしない為結果的に大回りの道を歩く事になりました。登る時私と年齢的に同世代の夫婦連れの方が居ましたが、私の方が歩く速度が速いので可成り先行しましたが下山して駐車場に到着した時には同じような時間で到着、夫婦連れの方達はショートカットの道を通った様です。
もう少し調べてから行けばこの様なミスは無かったと思います。。。。。。

下山時間は12:45分、このまんま中央高速道石川サービスエリアで昼食にする事にしました、時間も早いので自宅へ一端戻り、自転車で仙川の「湯けむりの里」温泉へ出かけ、反省会としました。
後で判りましたが、前出の「相模湖レジャーフォレスト」内にも温泉が有るようなので、そこに立ち寄るのも良いと思います。