J-Blueの雑記帳(近場を歩く)

此のBlogを雑記帳代わりにと始めました。最近はハイキング・旅行等の写真を中心に記録性を高めた内容と編集にして居ます。

「松蔭神社」

2006年03月28日 | ツアー旅行
 「松蔭神社」は全国2カ所に在る、一つは此処「萩市」もう一つは我が町
「世田谷区」に在る、幕末の頃「吉田松陰」の亡骸を小塚原回向院から会葬
したのが「世田谷松蔭神社」これは「高杉晋作」等によって行われた。安政
6年(1859年)の事だった。
「萩松蔭神社」は、世田谷の其れより随分と後に作られた、又「安政の大獄」
を実施した「井伊直弼」の墓も同じ世田谷区内の「豪徳寺」に在る、目と鼻の
先程の近くだ、何と皮肉なことか!・・・・
「世田谷松蔭神社」は長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸が在った事から
墓所を作った、一方「豪徳寺」は世田谷領として寛永10年(1633年)近江
彦根藩主井伊直孝の領地で「豪徳寺」は井伊家の菩提所である。
「豪徳寺」はどちらかと言えば、「招き猫」の方が有名だが・・・・・・

 「萩松蔭神社」の境内には、「松下村塾」が在り、当時の母屋等が在り、塾生
達の勉学に対する情熱が伝わってくる。
明治維新は此処から始まった!当時の松下村塾塾生は皆若く10代から30代
に掛けてで日本の進路を決める若き獅子達を数多く排出した。
中でも「吉田松陰」は11歳の時兵学師として、藩の教育担当をしたのだから驚
きだ、今の日本の若者達の姿と比較すると、大人としての完成度レベルの差が
余りにも乖離して居るので愕然とする。当の現代の「大人」も幼児化しているが?

「散切り頭を、叩いてみれば、文明開化の音がする。」 おっぺけーぺー節より


アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「津和野」

2006年03月25日 | ツアー旅行
 飛行機は紀伊半島を過ぎた当たりから瀬戸内海沿岸に沿って飛んで行き
「中国山地」を上空から眺め一路「宇部空港」へ。着陸した後、ツアー観光の
バスが待機していて、即乗車、乗客は私達家族だけ。バスガイドさんの話に
よると今日の日程は可成り忙しく余裕が余り無いとの事で、新幹線「山口駅」
で電車からの乗客15~6名を載せて「津和野」へ。

 写真は「津和野」の観光名所「殿町通り」の鯉、ご多分に漏れず自分もこんな
写真を撮ってみた、此処の「鯉」やたらと太っている、糖尿病に成って居るんじゃ
無いかな~・・・・と思える位大きい鯉で1m程も有るだろうか、其れが胴回りの
太いこと・・・・ガイドさんの話によると、観光客の蒔く餌を食べ過ぎるから、との事。
時間も無い事から近辺をほんの少し見ただけで昼食、そして又バスに乗り今度
は「萩市」へ。こうしたツアーはバスに乗車して居る時間がやたらと長い、車窓か
ら眺める地元の風景が楽しみだが写真を撮る事が出来ない。
車中バスガイドさんの案内を聴きながら、見聞を深める、其れも又良し。

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「南アルプス」

2006年03月22日 | ドライブ・旅行
 この写真は南アルプス、一番右は「白根三山」中でも一番高いのが「北岳」で
3,192m富士山の次に高い山だ、右手には「甲斐駒ヶ岳」がそびえているが、こ
の写真では見え無い、そして「千丈岳」「塩見岳」「赤石岳」「聖岳」大雑把に名前
を上げて見たが何れも3,000mクラスの山だ。
写真には無いが、左手の方には「上河内岳」「茶臼岳」「光岳」と続く、標高も次第
に低くなり、最後に「大無限」「小無限」と続く、森林限界も次第に高く成り2,500m
依り上になる。
前回のBlogで少し触れたが、若い頃「塩見岳」から登って10日間の日程で縦走
した、しかし「聖岳」から先、台風の接近により猛烈な風と雨で危うく命を落としそう
になり、又日程に余裕が在れば「大無限」「小無限」まで走破したかったが「茶臼岳」
迄で断念せざるを得なかった。・・・・・・・
何時か又「光岳」から「小無限」まで走波・・・・と思い描いていたが、今となっては
諦めざるを得ないですね!
最近中高年登山が流行している様ですが、この辺りの「山」に入るには、経験と体力
が必要で可成り難しい、体力、気力が充実して居る時に登っておけば良かった!

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「大井川」

2006年03月17日 | ドライブ・旅行
 この写真も高度4,600m当たりから見下ろした、南アルプス山中で真ん中に
見える川は「大井川」と思います、この少し下に大きいダムが見えるのですが
たぶん「畑薙第一ダム」と思います。飛行機が進むにつれてドンドン真下に行っ
て仕舞うので撮影のチャンスが掴めませんでした。
「畑薙ダム」は第一と第二ダムがあり「畑薙第一ダム」の下流5km付近に「畑薙
第二ダム」が在ります。「第一ダム」は大井川の源流「赤石岳」近くに在ります。

「畑薙第一ダム」に大吊り橋が架かっていたのですが、若い頃、「茶臼岳」だった
か「光岳」(てかりだけ)だったか、の下山でこの「畑薙大吊り橋」を渉ったのです
が、吊り橋がこれ程恐ろしい物だと初めて経験しました。
幅は1.5m程で歩く為の踏み板の幅が20cm程で下を見ないようにしても、見え
てしまう、足下を見ると高さが数十メートルも在りそう! おまけに台風の接近で
強風に煽られ吊り橋が左右に揺られ、真ん中当たりまで来ると歩けなくなり、しば
し立ち往生200m近くも有るだろうか、兎に角長かった! 恐怖その物!・・・・・
踏み板を踏み外しても落ちることは無いと思っても、もし左右に転げれば一巻の
終わり・・・・・下山中とは言え背中のキスリング重量も40Kgは在り歩行の自由も
ままならない中での事だった。
そんな昔の事を思い出しながら、この写真を撮影し、しばし下界を眺めていました。

アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編


三寒四温

2006年03月14日 | その他随筆
 閑話休題!
この時期天候の変化が激しく、体調も今一で、色々な事で活力がそがれて仕舞い
何となく憂鬱です。
これから暖かく成るに従って、身体の方も夏モードに切り替えるためにホルモンの
分泌を変化させるようで、自分の意志ではどうにも成りません、冬眠から目覚める
動物たちの様に、冬眠こそしませんが、人間も自然のサイクルに合わせて反応して
行くのでしょう。
「木の芽時」と言う言葉があるように、この時期、体調管理が上手く出来ないと思わ
ぬ故障に遭遇します。若い内は多少変でも馬力で乗り切れますが、私位の歳に成
るとそんな力もないので、冷静に自分の身体の変化を見つめる時間が多くなります
結果として物事に慎重になり、保守的傾向に成ります。
これも年齢のなせる技か!・・・・・・・変に意識して逆らわない方が賢明かも・・・・?

 そんな訳で「萩・津和野旅行記録」を連載しようと思っていますが、此処でしばし
休憩でした。

「富士山」

2006年03月12日 | ドライブ・旅行
 この写真は、記憶によると高度約4,600m当たりでしょうか。
飛行機は既に駿河湾かもう少し内陸に入った当たりの上空と思いますが、上から
見る「富士山」も面白い。
独立峰で今更「富士山」に付いて説明をしても仕方ないので省略しますが、この
写真の左方向ず~と奥に矢張り独立峰の「白山」が微かに見えました。
写真には南アルプス連山も写って居ますが、上空から見ると木々に隠されて居
るためか意外と雪が少なく感じますが、積雪はこの時期が一番多いと思います。

 此程の高度になると、地上の動く物を殆ど認識できないのでまるでジオラマを
見ているようで不思議です。夜間の場合などは自動車のライトの動きが多少解る
のですが・・・・夜間は又別の趣があり、此も又面白い。
飛行機は上昇中で時速780km程だったと思いますが、最終的に高度9,000m迄
上昇した様です。
帰りの飛行機は確か高度12,000m位まで上昇しましたが、あいにくの悪天候と雨
で機体が揺れたり、夜間出発の為、外の景色は全く見えず、離陸してすぐに、雲の
中に突入でした。しかし翼の先端に在る点滅灯を眺めていて、雨粒が見えることを
発見して、飽きずにず~と眺めていました。
此は、翼の先端に在る点滅灯がストロボ発光なので、その発光時間が3千分の一
程ですので、雨粒が一瞬止まって見えるのです。


アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「羽田発 午前7時40分」

2006年03月08日 | ツアー旅行
この辺りは相模湾平塚海岸線です、右下に江ノ島が見えます、高度約3000m
程でしょうか、茨城県上空で旋回し一路、宇部空港に向けて上昇中です。
当日は快晴でしたが、風が無く水蒸気も多く、空気が今一濁っていますが、珍しく
陸路、上空を飛行する、飛行機に乗りました。

 飛行機の機種はMD-90150程の定員でしょうか、座席が3列と2列、私は
何時もの様に窓側の席。
宇部空港に到着するまで、雲に邪魔されることも殆ど無く、私は窓に顔を付けた
まんま、窓から下界を眺めていました。(まるで子供むき出しです)

 其れにしても上空から見るとゴルフ場の多い事! 山中至る所に山肌がムキ
だしに成ったゴルフ場が点々と在ります、自然破壊の極致です、全くひどい物です。
ゴルフ人口が増えたからと云って、又儲けになるからと言って・・・・・全くひどい事を
する物だ、今ではゴルフ人口も減って来て閉鎖するゴルフ場も沢山出ていますが。
自然を回復する事には全く関心を示さないのが、利潤を追求する企業の現状、此程
国土を破壊しながら、儲けにならないからと知らぬ存ぜぬを決め込む企業!
其れを許す国の政治、何時かしっぺ返しがキット来ると思うのだが!


アーカイブ・シリーズ(No3)「山口県萩・津和野ツアー」編

「窓」

2006年03月03日 | その他随筆
 朝日新聞3/3付け夕刊の「論説委員室から」、表題は『筋金入り』
論旨は北海道旭川市、国民健康保険の保険料を回って国と市を相手に回し自ら
弁護士役として闘い敗訴した。

 しかしこの「杉尾正明」さん(弁護士では無い)のインタビューが載っている。
最後の方で平等にこだわるとして。

記者(藤森研)  「こんな現状を一体どうやったら変えられるのですか」と質問。
杉尾正明さん 「一人ひとりが真剣に考えて地道に意識を改革し、団結してゆ
        くしかないよ」・・・・

 全くその通りなのですね!・・・・こうして実際に闘い、主張する事が世の中を
動かす力になるのですね!、朝刊の記事も読みましたが、この様な方が居るから
今の世の中、何とか曲がりなりにも成り立っているのかも知れないと思うと、感動
その物です。
学歴や弁護士の資格が無くても、正々堂々と国家に対して立派に「もの申す」と
言ったのです。
あ~だ、こ~だと、考え込んでいる自分が悲しくなる、そんな気持ちになりました。