相伝「棒の手」で毛受兄弟しのび(2013年4月22日 読売新聞) ...
豊臣秀吉が柴田勝家を破った「賤ヶ岳の戦い」(1583年)で戦死した勝家の家臣、毛受(めんじゅ)茂左衛門、勝助の兄弟の霊を慰める法要が21日、長浜市余呉町新堂の墓前で関係者によって営まれた。
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この日は兄弟の命日で、430回忌にあたった。参加したのは、新堂地区の住民による「毛受兄弟史跡保存会」(是洞(これとう)尚武会長)と、兄弟の出生地である愛知県尾張旭市の住民らで作る「尾張旭市毛受勝助保存交流会」(水野洋三代表)の人たち。
毛受兄弟は、余呉町一帯で繰り広げられた賤ヶ岳の戦いで勝家の身代わりとなって戦死。その忠義心の厚さに、敵であった秀吉もたいへん感銘を受けたと伝えられている。
新堂の保存会は10年ごとに法要を営んでおり、今回初めて尾張旭市の保存交流会も合同で参加した。
法要後、関係者らは墓所の程近くにある兄弟の菩提(ぼだい)寺・全長寺に移動。兄弟の子孫が継承に関わってきたとされ、愛知県無形民俗文化財に指定されている武術「棒の手」が、「尾張旭市棒の手保存会・検藤流」のメンバーによって奉納された。